大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第14回 都の義仲
「正式に夫婦(めおと)となること、鎌倉殿(源頼朝)(大泉洋)と御台所(みだいどころ)(北条政子)(小池栄子)に申し上げたいのですが」
と、義時は八重の表情をうかがいます。八重は少し複雑な表情です。
「行って参ります」
と、義時は八重に背を向けるのでした。
木曽義仲(青木崇高)の息子、源義高(市川染五郎)が鎌倉へ入りました。表向きは大姫(頼朝と政子の娘)の許嫁(いいなずけ)としてでしたが、実質は人質でした。
「大姫がかわいそう」
と、政子がいいます。頼朝は立ち上がります。
「わしだって、好き好んで、木曽の山猿の息子なんぞに、くれてやりとうはない」
義時が政子に、なだめるようにいいます。
「すべては、いくさを避けるため」
頼朝と政子は、義高と対面します。その端整な顔立ちと、礼儀正しい振る舞いを、政子はすっかり気に入ります。義高が席を立った後、政子はにこやかに頼朝にいいます。
「よろしいのではありませんか」
寿永二年(1183)五月。木曽義仲は兵たちを前に声をあげます。
「俺は、悪逆非道の平家を決して許さない。これは正義のいくさである。怖れるな。義は我らにあり」
義仲は拳を突き上げます。兵たちもそれに習うのです。
倶利伽羅(くりから)峠で、平家軍を撃退し、勢いに乗った義仲は、京へ向かって突き進みます。
義仲軍を怖れた平家は、京を引き上げます。平宗盛(小泉孝太郎)は、幼い安徳天皇に呼びかけます。
「帝(みかど)。都は危のうございます。これより皆で、もっと良いところに参ります」
平家一門は、帝と三種の神器と共に、都を落ち延びたのでした。
鎌倉では頼朝が嘆いていました。
「義仲に先を越された。平家を滅ぼされたら、わしの出る幕がなくなる」
「ご心配には及びませぬ。法皇(ほうおう)様と義仲は、いずれ必ずぶつかります」
義時は質問します。
「なぜ分かるのですか」
大江は答えます。
「木曽の荒武者と法皇様が、合うわけがございません。しばらくは様子を見ましょう」
京では木曽義仲が、後白河法皇(西田敏行)に謁見していました。法皇は義仲に声を掛けます。
「よくぞ平家を追い出してくれた」
法皇の側近である平知康(たいらのともやす)(矢柴俊博)が義仲にいいます。
「平家を追討し、これを滅ぼせ。法皇様の思し召し(おぼしめし)である」
法皇がいいます。
「何よりも急ぐは、三種の神器の奪還」
三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)のことで、帝が受け継いできた宝物です。木曽義仲はその存在を知りませんでした。義仲は、毛皮に包まれた刀を差し出します。
「法皇様。この太刀をふるい、連戦連勝。我が軍勢の守り神にございます。その三種の神器、を、取り戻し奉(たてまつ)るまでこちらを、法皇様にお預けいたします」
義仲は階段を上がり、直接法皇に手渡ししようとします。それを平友康に叩き落とされるのです。
「三種の神器を何と心得る。この無礼者が」
その頃、鎌倉では、義仲の息子の義高が、義経に話しかけられていました。
「もし鎌倉殿が、義仲と戦うことになったら、お前は殺されるんだぞ」
「いくさにはなりません。父がそう申しておりました」
義経は義高の肩を叩きます。
「めでたいな、全く」
義高はセミの抜け殻を集めるのが好きだ、と、義経に話します。義経はあきれ、あまり人にいわない方がいいぞ、と忠告するのでした。
平家の都落ちから五日後、頼朝、義仲、行家の三人に、勲功(くんこう)が与えられます。頼朝は密かに法皇に文を送っていました。今後は朝廷の指図のもと、西は平家、東は源氏が治めるよう、定められてはいかがか、との内容です。源氏のことはすべて頼朝が決めていると勘違いさせようという策略でした。
「恩賞など俺にはどうでもいい」と、京にいる義仲はいいます。「平家を滅ぼすことができれば、俺はそれでいい。褒美なんぞは、頼朝にくれてやるわ」
巴御前の兄であり、義仲の側近の今井兼平(町田悠宇)がいいます。
「それでは、家人(けにん)どもがおさまりません。命がけでここまでやって来たのですぞ」
義仲は頼朝の叔父である源行家(杉本哲太)と共に、法皇のところに向かいます。
「頼朝は棟梁ではないのか」
と、後白河法皇はたずねます。行家が答えます。
「大間違いにございます」
義仲がいいます。
「まことに血を流し、戦ってきた家人どものために、なにとぞふさわしい恩賞を、お願いいたします。これでは兵たちがおさまりません」
法皇はいいます。
「仕方ない。頼朝への恩賞は、一旦、忘れよう」
鎌倉の御所では、義仲の息子、義高が、大姫と耳相撲をして遊んでいました。政子も義高をすっかり気に入っています。
京の街で、頼朝に情勢を伝えている三善康信(小林隆)が兵たちから乱暴を受けます。木曽義仲がその者たちを払いのけ、殴りつけます。
「すまぬ。怖い思いをさせてしまった」
義仲は謝ります。三善は頭を下げつつ、義仲にいいます。
「京に住む者は、皆、おびえております」
「今のは俺の手勢ではない。我らは、攻め上るうちに膨れ上がった寄せ集め。今後はもっと引き締めてかかるつもりだ。許せ」
法皇は、平家に連れ去られた安徳天皇をあきらめ、後鳥羽天皇を即位させました。この時、わずか四歳でした。
後白河法皇は、義仲を呼び出し、命じます。
「これ以上、猶予はならん。今すぐ、西国へ出陣せよ。平家を滅ぼし、三種の神器を取り戻せ」
義仲は顔を上げます。
「平家討伐は、頼朝を待ってからと思っております。平家と互角に戦うには兵が足りませぬ」
平知康がいいます。
「そなたには、勇猛果敢な兵が山ほどおるではないか」
「平家をあなどってはなりませぬ。いくさに出たこともないお人が、口を出さないでいただきたい」
すると上皇が声を張るのです。
「義仲、わしに申しておるのか」
義仲は困惑し、頭を下げます。
「申し訳ございませぬ」
後白河法皇はいいます。
「頼朝を待っておってはいつになるかわからん。今すぐ発(た)て。今すぐじゃ」
義仲は、出陣した備中(びっちゅう)で、苦戦を強いられました。
鎌倉では頼朝が、大江広元に伝えます。
「義仲が京を離れた」
大江が顔を上げます。
「いよいよ出番でございますぞ」
頼朝はこの時とばかり、後白河法皇に莫大な引き出物を送ります。法皇は、頼朝に、東海道、東山道の軍事支配権を認めます。上洛のお膳立てが整ったのでした。
戦陣にて、今井兼平が義仲に伝えます。頼朝に東山道が与えられた、と。義仲の本拠地である信濃が頼朝の手に渡ったのも同じでした。義仲は怒ります。そしてつぶやくのです。
「法皇様はなにゆえこのような仕打ちを」
今井がいいます。
「頼朝と法皇様の間で、何やらやりとりが」
巴御前(秋元才加)が悔しさをあらわにします。義仲はいいます。
「京へ戻るぞ」
法皇に会おうとする義仲の前に、行家が立ちふさがります。
「法皇様はおぬしにはお会いにはならん」
「なぜでございますか」
「おぬしは法皇様の信を失った。取り戻すには、いくさに勝つしかなかった。それもできぬおぬしに、もう先はない」
義仲はかまわず法皇のもとに向かおうとします。その背に行家が呼びかけます。
「謀反の疑いがある。平家と密かに和睦を結んだという噂はまことか」
義仲は笑い出します。
「馬鹿な」
義仲は顔色を変え、法皇の下に急ぎます。途中、義仲は平知康に制せられます。それを殴りつけ、義仲は御所を進みます。平知康に様子を聞いた法皇は叫びます。
「謀反じゃ」
鎌倉の頼朝は文(ふみ)を読みます。
「法皇様が救いを求めておられる。義仲が平家と通じておるらしい。もう猶予はならん。出陣する」
義時はいいます。
「すぐには難しゅうございます」
「兵糧(ひようろう)は十分だと申しておったではないか」
「御家人たちです。あの者たちは、源氏どうしの争いに加わるのを嫌がります」
まずは先陣を向かわせ、本軍は後からゆっくりと向かうことにします。先陣の大将は義経です。
その命を受け、義経は感激します。ひと月のうちに平家を滅ぼすといきり立つ義経に、その前に木曽義仲を討つように頼朝は命じます。
義時は義高と話します。
「お父上は、我らとのいくさを、決して望んでおられませんでした」
「そう申されていました」
「そのことを文(ふみ)にしたため、鎌倉殿に送るよう、お伝えくださらないでしょうか」
「父は、義に、もとることは、決して許しませぬ。鎌倉殿に義がなければ、必ず受けて立たれます。このいくさに、義はございますか」
義時は答えられませんでした。
三浦の館に、坂東武者たちが集まっています。千葉常胤(岡本信人)が発言します。
「此度(こたび)の件で、よう分かった。わしらはもう、鎌倉殿に付いていくつもりはない」
岡崎義実(たかお鷹)が、三浦義澄(佐藤B作)にいいます。
「次郎。わしらの仲間に加わってくれ」
「その後は」
義澄が聞きます。千葉が答えます。
「わしらの手で、坂東を治める」
旗頭を義仲の子の義高にしようというのです。義澄の息子の義村(山本耕史)は鼻で笑います。
「それでは鎌倉殿と、同じことになりませんか」
義澄は断ろうとします。千葉たちの手勢が流れ込んできて刀を抜くのです。土肥実平(阿南健治)がそれを止め、義澄に仲間になってくれるように頭を下げます。義澄は仲間になるに当たっての条件を出します。北条を助けるとの約束を千葉に取り付けるのです。
義経の先発隊が、鎌倉を発とうとします。義経は義高に箱を与えるのです。箱の中には、セミの抜け殻が入っていました。義経一行を義高は義時と共に見送ります。
「残念です。九郎殿(義経)が不憫(ふびん)でなりません。父にいくさでかなうわけがありません。もはや再びお会いすることもないでしょう」
と、いって義高は、義経にもらったセミの抜け殻を握りつぶすのです。
義時は上総広常(佐藤浩市)を訪ねていました。
「御家人たちに、不穏な動きがあります」義時は上総の隣に座ります。「お願いがございます」
「だからいったろう。俺を味方にしたけりゃ……」
「そうではなく。もし、あの方潟から誘われたら、乗ってやって欲しいのです」
「どういう了見だ」
「鎌倉殿のことは気になさらず、御家人たちの味方に」