大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第21回 仏の眼差し
義時(小栗旬)は、夕暮れの鎌倉の街を見ていました。そこへ土肥実平(阿南健治)がやって来ます。
「どうした」
と、聞く土肥に
「九郎殿のことを、考えておりました」
と、義時は打ち明けます。
「わしもじゃ。平家とのいくさの間、ずっと共にいたもんでなあ。死なねばならなかったのか。もったいない。実に」
そこに鎌倉の道を直す、八田知家(市原隼人)が通りかかります。両親とも飢饉で死んだ、鶴丸、を義時に託すのでした。
頼朝は全国から兵を集め、奥州に攻め込みます。いくさは、鎌倉方の圧勝に終わります。
「貯めこんだものだのう」
との声を頼朝は放ちます。そこへ藤原泰衡の首桶が運ばれてくるのです。献上したのは泰衡の家人でした。頼朝は表情をこわばらせます。
「恩を忘れて、欲得のために主人を殺すとは何事か」頼朝は命じます。「この男の首を今すぐはねよ」頼朝は義時にいいます。「これから大事になるのは、忠義の心だ。あのような男を、二度と出してはならん」頼朝は庭に踏み出します。「ついに、日の本すべてを平らげた」
「ご苦労様でございました」
と、安達盛長(野添義弘)がいいます。
「おめでとうございます」
と、義時も頭を下げます。頼朝が話します。
「源氏の世は、もうすぐそこだ。だがその前に」
「法皇様でございますか」
と、義時がたずねます。頼朝はうなずきます。
「京の大天狗を、何とかせねばならん。天下草創の総仕上げよ」頼朝は義時に向き直ります。「小四郎、悔やむな」
「申し訳ありません」
と、詫びる義時。
「おのれのしたことが、正しかったのか、そうでなかったのか、自分で決めてどうする。決めるのは天だ」
「罰(ばち)が当たるのを、待てと」
「天が与えた罰なら、わしは甘んじて受ける。それまでは、突き進むのみ」
坂東武者たちが酒を酌み交わしています。義経の住んでいた館に行って、手を合わせようという話になっていました。千葉常胤(岡本信人)がいいます。
「それにしても、九郎殿は強かった」
神がかりの強さだった、との声も聞こえます。和田義盛(横田栄司)がいいます。
「梶原平三が、鎌倉殿に余計なことをいわなきゃ、死ななくて済んだんだ、九郎殿はよ」
義時は一人飲んでいる、梶原景時(梶原景時)の隣に腰を下ろします。
「九郎殿は亡くなったが、その名は語り継がれる」梶原は姿勢良く座っています。「そして、いくさのなんたるかも知らぬ愚か者として、梶原景時の名も、また残る。これも定めか」
鎌倉に戻った頼朝は、上洛に向けて動き出します。都から、北条時政(坂東彌十郎)が戻ってきていました。時政は後白河法皇(西田敏行)にひどく気に入られていました。法皇と双六をしたとき、時政は法皇のズルを許さなかったというのです。
「そなた、肝が据わっておるのう」
と、後白河法皇は感心します。法皇の愛妾である丹後局(鈴木京香)も
「さすがは坂東武者」
と、ほめます。法皇は時政にいいます。
「のう、わしの側に、ずーっとおらんか」
「ご勘弁を。鎌倉で、美しい妻が待っておりますもので」
と、時政は法皇の要求を、にこやかに断ります。
その話を聞いて、頼朝は上機嫌に笑います。
「美しい妻のおかげで、わしは、鎌倉の要石(かなめいし)を手放さずに済んだわけだ」
義時が、法皇からの文(ふみ)を確認し、望みの恩賞を出すといっていると頼朝に伝えます。
「さて、どうする、小四郎」
と、頼朝は義時にたずねるのです。
「分かりませぬ」
その答えに、頼朝は笑い声を上げるのです。
法皇に、頼朝から、恩賞を断る文(ふみ)が届きます。法皇は述べます。
「奥州攻めは勝手にしたこと、だといいたいのであろう。今後わしのいいなりにはならんとな。調子に乗りよって」
「奥州を倒した今、法皇様の事だけが心残り。近々、お目にかかりたい、とあります。やはり、頼朝追討の宣旨(せんじ)を出したこと、怒っておるのでは」
法皇は声をあげます。
「こんな時に、平家がおったらのう。義仲。九郎。なんで滅んだ」法皇は平知康をにらみます。「お前が悪い。お前はいつも、わしの言いなりじゃ。なんでわしを止めなんだ。この、役立たずが」
鎌倉では、義時が、息子の金剛を、頼朝の嫡男である万寿に会わせていました。政子(小池栄子)が、八重(新垣結衣)にいいます。
「八重さん、なにか変った。つやつやしていない? いえ違う、面持(おもも)ちね。明るくなった。たぶんねえ、幸せなんだと思う。顔に出てる」
しかしこれを聞いた頼朝は面白くないようなのです。八重と付き合っていたときに待ち合わせた桜の木や、地蔵の話を始めるのです。頼朝は仕事で男たちが集まる席でも、そんな話を続けます。挙げ句の果てに、金剛が自分に似ているとまでいいだすのです。
家に帰って義時は八重にその話をします。
「よく見てください」と、八重は寝入った金剛を義時に示します。「どこから見ても、あなたの子。不安だから、お話しになったんでしょ。鎌倉殿はそうやって、小四郎殿をもてあそんでおられるのです。腹が立ってきた」
「いわなければ良かった」
と、義時は立ち上がります。
「もっとご自分に自信を持って下さい」
「向こうは天下の鎌倉殿。源氏の棟梁。武士の頂(いただ)きにおられるお方。どうあがいても、太刀打ちできる相手ではない。抗(あらが)っても結局はいいなり。いわれるがままに、非道なことをしているおのれが情けない」
八重が立ち上がって義時に寄ります。
「私はあなたを選び、金剛が生まれたのです。確かに昔は、あのお方の側にいたいと思った。はっきりいいます。どうかしていました。小四郎殿でよかったと、思っています。あなたがいなければ、源頼朝だって、今もただの流人ですよ」
「それはいいすぎだ」
と、義時は笑いながらいいます。
「いいえ。あなたが、今の、鎌倉をおつくりになられたのです」八重は微笑みます。「今のはいいすぎました」
二人は笑い声をたてます。義時は八重を抱き寄せるのでした。
北条の一族が、時政と、りく(宮沢りえ)の間に、男の子が生まれたことを祝って、集まっていました。畠山重信(中川大志)も時政の娘を嫁に取り、一族に加わっています。この場で、りくは皆にたるんでいる、と言い放ちます。もっと北条を盛り立ててゆくのです、と、興奮します。
伊豆にある願成就院(がんじょうじゅいん)に、時政と義時はやって来ていました。
その頃、八重は河で子どもたちを遊ばせていました。その場に三浦義村(山本耕史)も来ていました。二人の娘と息子を、夫婦(めおと)にさせてやるか、などと話しています。
願成就院では、奈良から呼び寄せた運慶つくらせた仏像を、時政たちが見ようとしていました。運慶が現れて住職に文句をいいます。仏像たちは、すべて出来上がっていたわけではなかったのです。
河原で遊んでいた子の中で、鶴丸が、流されて岩にしがみついていました。八重は死んだ子である、千鶴の名をつぶやいて川に入っていきます。八重が鶴丸を抱いて戻ってくるのを、三浦義村が見つけます。慌てて肌脱ぎになって川に入り、八重から鶴丸を受け取ります。鶴丸を救出した義村でしたが、振り返ると八重がいません。
八重がいなくなったのは政子の知るところとなります。
「嘘でしょ。死んじゃったの」
と、義時や政子の妹である実衣(宮澤エマ)が義村に聞きます。夜には頼朝も聞きつけます。鎌倉中の御家人を集めて探索するように命じます。
「御台所(みだいどころ)」
と、悲壮な声をあげて仁田忠常(高岸宏行)がやって来ます。
「見つかったのですか」と、聞く政子。「様子は」
仁田首を振るのでした。
その時、伊豆で阿弥陀仏を見ていた義時は
「妻の顔を思い出してしまいました」
と、運慶にいっていました。