大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第18回 壇ノ浦で舞った男
一ノ谷で破れた平家は、四国の屋島に逃げました。
範頼軍は九州に渡り、筑前に攻め込みます。平家は逃げ道を断たれます。
義経は海を渡り、平家軍に奇襲をかけます。不意を突かれた平家は、屋島を捨て、長門(ながと)の彦島に落ち延びていきます。
鎌倉では、頼朝が文(ふみ)を読んでいました。顔を上げます。
「九郎(義経)がまた勝った」
「九郎殿の前に、敵なしでございますな」
頼朝は苦り顔です。
「しかし強すぎる。あれはすぐに調子に乗る男だ。このまま勝ち進むと」
「何を心配しておられます」
と、安達盛長(野添義弘)が聞きます。
「たとえば」頼朝は顔をしかめます。「次の鎌倉殿は、自分だと」
「まさか、そのような」
時政は笑い声を上げます。
元暦二年(1185)三月十四日、朝。壇ノ浦の戦いが始まります。
範頼軍は船に乗っていません。敵の逃げ場をふさぐのが役目です。
船団を率いる義経は
「漕(こ)ぎ手を射殺(いころ)せ」
「漕ぎ手は兵ではござらん。殺してはなりませぬ」
「かまわん」
「末代までの笑いものになります」
「笑わせておけ」
義経はみずからも弓をとって、漕ぎ手を狙います。そして敵の船に次々と飛び移り、斬りまくります。
「もはや、これまで」
と、つぶやきます。平家の船から神器を持った女官が、次々に海に身を投げていきます。幼い安徳天皇も、女官に抱かれて水に沈んでいくのでした。
戦いは終わりました。範頼と共に睦にいた義時(小栗旬)は、流れ着いた死体の間を歩いていました。義経と行き会います。
「お見事にございました」
と、義時は義経に頭を下げるのでした。義経は砂浜に座り込みます。
「策が当たったな。どうした。これはいくさだ。多少の犠牲はやむを得ん」
「多少でしょうか」
と、責めるように義時はいいます。
「勝たねば意味がない。これまでに、討ち死にした者の命が、無駄になる。お前の兄も、いくさで死んだらしいな。無駄にならずに済んだぞ」
「兄は、平家に苦しめられる民のことを思っていました。果たして喜んでくれているのかどうか」
「私のいくさにケチをつけるか」
「そうではございませぬが」
「死んだ漕ぎ手は、丁重に葬ってやれ。義仲も死に、平家も滅んだ。この先、私は誰と戦えば良いのか」義経は義時の脇を抜けます。「私はいくさ場でしか、役に立たぬ」
鎌倉の御所で、頼朝は政子のいる寝所に入ります。
「どうされました」
と、政子は、顔をしかめた頼朝にたずねます。
「平家が滅んだ」
と、頼朝は声を出します。政子は目を見開き、いうのです。
「おめでとうございます」
「九郎がやってくれた」頼朝は声をあげて泣くのです。「平家が滅んだ」
政子は頼朝を抱きしめ、共に泣くのでした。
京で義経は、後白河法皇(西田敏行)から杯を賜(たまわ)ります。
「見事な働きであったの」
と、法皇はご満悦です。義経は、思いついたように後ろに下がり、膝をそろえて座ります。
「宝剣のことは、まことに申し訳ございませぬ」
「いやあ、見つかる、見つかる」
「幼き帝(みかど)を、お救いすることもできず」
「死んだとは限らん。それより、九郎。獅子奮迅(ししふんじん)の働き、そなたの口からじかに聞きたいものだ」
義経は破顔し、大きく答えます。
梶原景時(中村獅童)は、一足先に、鎌倉に帰ってきていました。頼朝に報告します。
「九郎殿は、いくさにかけては、神がかった強さを持っておられます。しかしながら、才走るあまり、人の情けというものを、ないがしろにされます。壇ノ浦で、船乗りを狙い撃ちしたのが良い例。一ノ谷における奇襲においても、急な崖(がけ)を馬と共に下りることを、皆に強いられました。勝利のためには」
頼朝が口を挟みます。
「手を選ばぬと」
安達盛長がいいます。
「しかし、九郎殿がおられたから、平家を滅ぼすことができたのも事実。都では、九郎殿の噂で、もちきりと聞いておりまする」
梶原が発言します。
「鎌倉殿をさしおいて、平家の後(のち)は、九郎義経の世だと口にする者も」
北条時政がいいます。
「九郎殿は強すぎるんじゃ。二、三度いくさに負けて痛い思いをすれば、もう一つ大きくなれるんだがなあ」
頼朝は義経を呼び戻そうとします。しかしそれができないのです。義経は検非違使に任じられ、都の治安を守っているからです。
京の河原で、義経と義時が話しています。文(ふみ)を読み終えた義経がいいます。
「いくさに勝って、どうして兄上に怒られなければならない」
義時がいいます。
「九郎殿が、力を持ちすぎるのを怖れておられるのでは」
「私は兄上の喜ぶ顔が見たいだ」
「分かっております。一日も早く、ご自分の口で、弁明なされるべきでございます」
義経は鎌倉に帰れるよう、法皇に掛け合うことにします。後白河法皇がいいます。
「わしはの、側(そば)にいて欲しいのだ。鎌倉へ戻ったら、帰ってこないと」
「そんなことはございませぬ」
「いいや、絶対」
ここで法皇の愛妾である丹後局(鈴木京香)が知恵を出します。捕えられている平宗盛を頼朝に見せに鎌倉に連れて行くのです。そして検非違使として宗盛の首をはねるため、義経は京に戻ってくるという手はずです。
鎌倉では頼朝が側近たちと話しています。義経が検非違使をやめていないことに、頼朝は驚きます。また京へ戻るつもりであることが知られます。梶原景時がいいます。
「宗盛の首も、京へ連れ帰ってからはねるそうにございます。すべて法皇様と、九郎殿が示し合わせたこと。よほど九郎殿は気に入られているご様子。これでは、勘違いされても不思議はございませぬ。鎌倉殿の後を継ぐのは、自分だと思われたとしても」
義時が口を挟みます。
「お待ちください。あの方に野心があるとはとても思えませぬ」
梶原がいい放ちます。
「九郎殿を鎌倉に入れてはなりませぬ。何をたくらんでおるか分かりませぬ」
義時が前に出ます。
「あり得ません」
梶原が義時を見すえます。
「いい切れるか」
頼朝がいいます。
「決めた。九郎には会わん。会うのは宗盛のみとする。九郎は、腰越で留め置け」
「会ってやってください」
という義時に、頼朝はいい放ちます。
「奴を、決して御所に入れてはならん」
頼朝が行ってから、義時は梶原と話します。
「梶原殿、あなたも分かっておられるはず。九郎殿は、鎌倉殿に会って話をしたいだけなのです」
梶原がいいます。
「そなたも、いくさ場での九郎殿の様子を見たであろう。あのお方は、天に選ばれたお方。鎌倉殿も同じだ。お二人とも、おのれの信じた道を行くのに手を選ばん。そのようなお二人が、並び立つはずがない」
義経一行は、鎌倉の西、腰越に到着しました。そこに北条時政が待っていたのです。
「どういうことだ」
と、義経は時政を責めます。時政は一歩も引かない態度です。
「これよりはそれがしが警護の上、宗盛公を鎌倉へお連れ申す。九郎殿には、ここで待てというお沙汰(さた)」
「私は鎌倉に入れないのか」
「それが鎌倉殿のお考え」
義経は自分の思いを、宗盛に書いてもらって頼朝に届けます。その文には頼朝の官職を知らないで書かれたと思われる一文が出てきます。これは義経が書いたものではないと、頼朝は怒ります。
「宗盛を連れて、とっとと京へ帰れと伝えよ」
と、いい放つのでした。
腰越にいる義経は、宗盛に息子を会わせる温情を見せます。義経は義時にいいます。
「私は決めた。この先、法皇様第一にお仕えする。京の都で、源氏の名に恥じぬように生きる。私は検非違使の丞、源九郎判官義経」
義経は以前、飢えていたときに芋を与えてくれた者に、大量の芋をごちそうするのです。