大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第16回 伝説の幕開け
義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)の子に、頼朝(大泉洋)は「金剛」の名を贈ります。その席には義時の父、北条時政(坂東彌十郎)の姿もありました。頼朝が時政にいいます。
「よう帰って来てくれた。おぬしが一向に戻ってくれんので、藤九郎(安達盛長)を遣(つか)わせたぞ」
「お手間を取らせました」
と、時政。安達盛長(野添義弘)がいいます。
「やはり鎌倉に、北条殿はなくてはなりません」
「このたびのこと、一切を、小四郎(義時)から聞いております」
頼朝がいいます。
「この先、御家人たちを束ねていけるのは、舅(しゅうと)殿しかおらんのだ」
時政は頭を下げます。
「ありがたいお言葉。粉骨砕身、務めまする」
帰りに、廊下を歩きながら、時政と義時は話します。
「鎌倉は変るな」
「あれ以来、御家人たちは、次は我が身と、すっかりおびえています」
と、義時は上総広常が、殺された事件のことをいいます。
「しかも今度の一件で分かったことがある。誰かに落ち度があれば、その所領が自分のものになる」
「御家人たちがなれ合うときは終わりました」
「だから戻って来たのよ」時政は柱を叩きます。「いつ誰に謀反の疑いを掛けられるか、分かったもんじゃねえ」
「これから、どうなっていくのでしょうか」
「わしにもさっぱりだが、北条が生き抜いていく手立てはただ一つ。源氏に取り入り、付き従う。これまで以上に。それしかないて」
義時はうなずくのでした。
御家人たちは義経(菅田将暉)の兵と合流し、木曽義仲(青木崇高)を討つことを命じられます。総大将は頼朝の弟である、源範頼(迫田孝也)です。そしていくさ奉行には、上総広常を討った、梶原景時(中村獅童)が任命されます。頼朝は鎌倉に残り、北から攻めてくるかもしれない、藤原秀衡に備えます。鎌倉には比企能員(佐藤二朗)と、北条時政も残ります。大江広元(栗原英雄)が御家人たちに伝えます。
「義仲を滅ぼせば義仲の所領を、平家を滅ぼせば平家の所領を、皆に分け与えると、鎌倉殿はおおせでございます」
その言葉を聞いて御家人たちは張り切ります。
鎌倉を出発した範頼の本軍は、墨俣(すのまた)で義経の先発隊と合流します。範頼の陣に梶原景時が座ると、和田義盛(横田栄司)と土肥実平(阿南健治)が立ち上がります。二人は上総広常を斬った梶原を、許すことができなかったのです。そこへ義経がやって来ます。
義経はすでに義仲軍と小競り合いをしていました。
京の義仲の宿所にて、義仲の側近である今井兼平(町田悠宇)がいいます。
「鎌倉の本軍が近江に迫ってきております」
「我らと手を組むつもりはないのか」
「残念ながら、すでに小競り合いが」
義仲は巴を振り返ります。
「文(ふみ)を送れ。我らは盟約を結んだはずだ。共に平家を討とうと伝えよ」
鎌倉軍の陣では、義経が地図を見ながら範頼にしゃべっていました。
「明日には近江。兄上はこのまま勢多を通り、正面から京へ攻め込んでください。私は南へ下って、宇治より京へ」
梶原景時が坂東武者に配置を命じようとしますが、和田たちは聞きません。義時が思わずいいます。
「方々、大いくさの前に、仲間内のいさかいはやめていただきたい。梶原殿は、鎌倉殿の命で上総介殿を斬られたのです。恨むのなら、鎌倉殿を恨むのが筋。道理の分からぬ者は鎌倉へお帰り願いたい」
そこへ義仲からの文が届きます。義経はそれを読み、激怒します。恐る恐る義時が聞きます。
「返事は何とします」
「文を持ってきた奴の首をはねて、送り返せ」
という義経に梶原がいいます。
「使者を殺すのは武士の作法に反します」
義経は梶原にいいます。
「義仲の頭に血を上らせるんだ。いくさは、平静さを失った方が負けだ」義経は歩きながらしゃべります。「そうか、義仲はまだ、我らを敵とは思っておらぬのか。敵ならば、兵の数を躍起となって知ろうとするが、今はまだ、それもつかんではいないと見た。小四郎」と義経は義時に呼びかけます。「我らの軍勢を一千と少なく偽って、噂を流せ」
義仲のもとへ、使者の首が送り届けられます。今井兼平がうめくようにいいます。
「これが義経の答えです」
義仲は立てかけてある弓を引き倒し、文机を投げ捨てて暴れます。巴御前がいいます。
「今すぐ、いくさの支度を」
しかし義仲は、意外にも冷静でした。
「挑発に乗ってはならん。我らを挑発するということは、向こうに小細工があるということだ。攻め手を分ける気か」義仲は地図を出させます。「大手が勢多なら、からめ手は宇治」
そこへ知らせが入るのです。義経率いる一団が、南へ下ったとのことでした。
「数は」
と、義仲は聞きます。わすか一千とのことでした。頼朝は鎌倉に大半の兵を残したのか、と義仲は理解します。義仲は地図を持ち上げます。
「鎌倉方、恐るるに足らぬ。このいくさ、勝った」
義経は宇治川のほとりに兵を集結させます。物見にやって来た義仲は、その数が万を超えていることを確認するのです。義仲勢の倍以上です。義仲は京を捨てることを決意します。
義経は、義仲勢が橋を壊し始めたのを見て、畠山重忠(中川大志)に川を渡るように命じます。味方が派手な先陣争いを演じている隙に、背後に回り込もうというのです。
京の院御所にやってきた義仲は、後白河法皇(西田敏行)を探します。隠れる法皇にかまわず、義仲は声をあげます。
「本日をもって、この源義仲、この京の地を離れ、北陸へ戻りまする。力及ばず、平家追討を果たせずに、この地を去るのは、断腸の思い。いっそ法皇様を道連れに北陸へ、そう考えもしましたが、その策に義はござらん。義仲の果たせなかったこと、必ずや、頼朝が引き継いでくれると信じております。法皇様の御悲願成就。平家は滅び、三種の神器が無事戻られることを心よりお祈りたてまつる次第。最後にひと目、法皇様にお目通りしとうござったが、それもかなわぬは、この義仲の不徳のいたすところ。もう二度と、お会いすることはございますまい。これにてごめん」
義仲は頭を下げると去って行きます。
義仲は近江へ去り、宇治川を突破した鎌倉軍は、京へ入ります。
「もそっと近う」
という法皇の言葉に、義経は階段を上ります。しばらく体を休めよという法皇の言葉に、義経はいいます。
「それはできません。九郎義経、これより義仲の首を落とし、その足で西へ向かって、平家を滅ぼしまする。休んでいる暇はございません」
あっけにとられる後白河法皇でしたが、やがて笑い出します。
「よう申した」
京を出た義仲は、近江に向かいますが、そこに範頼の軍勢が待ち構えていました。
義仲は巴御前に、息子への文を託し、一人落ち延びるように命じます。わざと捕えられて鎌倉へ行け、というのです。
義仲は自害する場所を探していました。義仲はいいます。
「やるだけのことはやった。何一つ悔いはない。一つだけ、心残りがあるとするならば」
といいかけたところに、一本の矢が義仲の額に突き刺さるのでした。
鎌倉にいる頼朝は、京から来る知らせに目を通していました。そのなかで、義経の文が簡潔に事実を伝えていました。義仲を討ち取った。北条時政たちは、
「おめでとうございます」
と、声を合わせるのでした。
京にある範頼の陣で、梶原景時が話していました。
「平家の軍勢は福原に集まっています。攻めるならば、東の生田口か西の一ノ谷。されど真っ向から攻めれば、こちらも大きな痛手をこうむるのは必定」
「ではどうする」
と、範頼が聞きます。
「下から攻め入りまする」
「山を下るのか」
と、土肥実平。
「軍勢を二つに分け、蒲殿(範頼)が、生田口に攻める。敵を引き付けている間に、九郎殿は、山側から敵の脇腹を突く」
「いかが思われますか」
と、義時が義経にたずねます。
「山から攻めるのはいい。あとは、駄目だな」義経は梶原を見すえます。「話にならない」
「訳をうかがいましょう」
と、梶原。
「私の策だ」義経は地図の前に片膝を立てます。「まず、福原の北にある、三草山の平家方を攻める」
梶原がいいます。
「それでは、山側から攻めるのを、相手に知らせるようなもの」
「意表をついて、山から攻める。そんなのは子供でも思いつく。ということは敵も思いつく。だったらいっそのこと、手の内を見せてやる」
「何のために」
と、和田が質問します。
「全部説明させるのか」と、不機嫌そうな態度を義経はとります。「敵を散らすんだよ。今は東西を固めている軍勢が、北も守ることになるだろう。その上で、我々は裏をかく。予想外の所から攻める」
梶原がたずねます。
「どこから攻めるおつもりか」
「考え中である」と、義経はいってのけます。「その時その場をこの目で見て、決める」
皆が騒然とする中、梶原がいうのです。
「九郎殿が、正しゅうござる。すべて、理にかなっておりまする」
一人夜空を見上げる梶原に、義時は話しかけます。
「先ほどは、ありがとうございました」
梶原がいいます。
「九郎殿が申されたことは、本来ならば、わしから思いつくべきこと。その手前で止まってしまっていた自分が腹立たしい」
「いくさをするために生まれてきたお人です」
「いくさ神、八幡大菩薩の化身のようだ」
そこに義経がやって来て、義時にいうのです。
「法皇様に、文をお届けしろ。平家に対して、和議をお命じいただきたい。源氏とのいくさを避けるよう、法皇様にお指図いただく。明後日六日には、先方に伝わると嬉しい。我々は法皇様のお言葉は知らなかったことにして、七日に攻め込む。敵はすっかり油断している。こっちの勝ちだ」義経は義時を振り返ります。「だまし討ちの何が悪い」
文を受け取った後白河法皇は乗り気になります。
「こういうことは大好きじゃあ」
と、声に出すのです。
三草山で平家軍に夜討ちをかけた義経勢は、福原に向かって、山中を進みます。梶原が策を話します。
「鵯越(ひよどりごえ)。あそこならば、馬に乗って駆け下りることも可能でしょう」
義経がいいます。
「なだらかなところを駆け下りても、出し抜くことにはならぬ」
その先にある鉢伏山に義経は注目します。あの山を降りる、と宣言します。まず馬を行かせ、その後に人が続きます。
二月七日の早朝、義経は、七十騎の武者と共に、鉢伏山に到着します。
福原の東、生田口で「一の谷の戦い」といわれる、源平合戦最大の攻防が始まります。
油断した平家の本陣の背後から、義経たちが姿を現すのです。
正面から攻めていた義時たちは、戦う義経の姿を見つけます。梶原がつぶやくようにいいます。
「八幡大菩薩の化身じゃ」