日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第63回 家光と彦左と一心太助

第63回 家光と彦左と一心太助 

平成十三年五月(2001)
千石 三百人劇場

 

 世の中には自分とそっくりな人間が三人はいるらしい。
 昔からそっくりの別人が入れ替わる物語はたくさんあって、マーク・トウェインの小説『王子と乞食』、映画ではチャップリンの『独裁者』、黒澤明の『影武者』などなど。
 一方は権力者、一方は庶民という落差が面白いこのパターンの作品で、私が好きなのが中村錦之助主演の『家光と彦左と一心太助』である。
 これは東映で作られた錦之助主演の一心太助シリーズの一本で『江戸の名物男 一心太助』『一心太助 天下の一大事』『一心太助 男の中の男一匹』に続く四作目。シリーズを通して錦之助徳川家光と魚屋一心太助の二役である。が、このシリーズ、家光と一心太助が瓜二つという設定ではない。芸達者の錦之助がたまたま二つの役柄、身分の高い武士と庶民の魚屋を演じ分けているだけだ
 ところが、この『家光と彦左と一心太助』はその二役という設定を巧みに活かしているのだ。
 江戸時代のまだ初期の頃、二代将軍秀忠の治世。秀忠夫人は世継の家光よりも弟の駿河大納言忠長を溺愛し、忠長を次期将軍にせんと、悪人一派と手を結んで、家光の暗殺を企てる。それを察知した大久保彦左衛門、なんとか未然に防ごうと思い悩むが、ふと出入りの魚屋太助を見て、はっとする。これが家光とそっくりなのだ。同じ錦之助だから。
 そこで太助に因果を含め、危険なお世継ぎの身代わりになるよう頭を下げる。そして、密かにふたりのすり替えが行われる。
 町に偉そうにふんぞり返った魚屋が現れ、お城の家光はやけに卑屈におどおどしているという場面、客席は大爆笑だった。脚本のアイディアもさることながら、ひとえに高貴な将軍世継ぎと下々の魚屋を演じ分ける錦之助の名演技あってこそ。そして弟忠長を演じたのが錦之助実弟、中村賀津雄であった。

 

家光と彦左と一心太助
1961
監督:沢島忠
出演:中村錦之助進藤英太郎、中村賀津雄、北龍二

『映画に溺れて』第62回 関の彌太ッペ

第62回 関の彌太ッペ

平成十四年八月(2002)
中野 中野武蔵野ホール

 

 一本の映画の中で、武士と町人というように全然別の人物を演じ分ける達者な錦之助だが、ひとりの人間がまったく別人に変貌する様を見せるのが長谷川伸原作の股旅もの『関の彌太ッペ』である。
 弥太っぺこと弥太郎は渡世人に似合わず剽軽でおおらかで気立てがいい。川で溺れている幼い娘を助けたら、その父親の巾着切りに有り金残らず奪われる。が、別の渡世人、箱田の森介に巾着切りが斬られ、息を引き取る前に娘のお小夜を弥太郎に託す。気のいい弥太郎は引き受け、旅籠の沢井屋にお小夜を無事に届ける。悲しむお小夜に彼は言う。日が暮れりゃ明日になる。ああ、明日も天気か。
 そして、名も告げずに去って行く。
 十年の月日が流れ、お小夜は裕福な沢井屋で娘同様に育てられている。そろそろ縁談もあるのだが、昔自分を助けてくれた旅人に礼を言いたいと思いつめている。その話を聞き込んだ箱田の森介が、礼金ほしさに自分こそ十年前の旅人だと名乗り出る。お小夜の父親を斬っておきながら、お小夜が美しいので、今度は命の恩人の自分を婿にしろと強要する。十年前にちらりと見ただけだから、誰もこの男を偽者だとは断言できない。
 その騒動を聞きつけ、立ち寄る弥太郎。
 これがすごいのだ。顔の傷跡も恐ろしい、冷酷で凶悪な人相、気味の悪いやくざである。気のいい陽気な若者が、十年の間にどんな凄惨な生き方をしてきたのか。どれだけの人を斬り殺してきたのか。一言の説明がなくても、見ただけでわかる。
 そして弥太郎は森介を斬り、お小夜の難儀を救う。十年前のやさしい旅人と、目の前にいる恐ろしい人殺し。同じ人物だろうか。
 弥太郎は何気なく口にする。ああ、明日も天気か。口癖なのだ。
 やっぱりこの人こそ恩人だった。だが、弥太郎はお小夜を振り切り、飯岡助五郎一家との果し合いの場所、おそらく死地へと向かうのだった。

 

関の彌太ッペ
1963
監督:山下耕作
出演:中村錦之助木村功、十朱幸代、大坂志郎、夏川静江、月形龍之介

『映画に溺れて』第61回 冷飯とおさんとちゃん

第61回 冷飯とおさんとちゃん

令和元年五月(2019)
阿佐ヶ谷 ラピュタ阿佐ヶ谷

 

 山本周五郎原作による短編『冷飯』『おさん』『ちゃん』にそれぞれ中村錦之助が主演したオムニバスである。
『冷飯』さる藩の城下に住む若侍、柴山大四郎は明るくおおらかな性格で古本を集めるのが趣味。本屋の行き帰り、路上で毎日同じ刻限にすれ違う武家娘を見初め、相手もまんざらでない様子。だが、四男坊の部屋住みの身分で、嫁を迎えるわけにはいかない。ひょんなことで藩の重職に気に入られ、婿に望まれるのだが……。
『おさん』おさんと所帯を持った大工の参太。女房はいい女だが、夜の営みの最中に乱れて他の男の名を口にする。それがために参太はおさんを捨て、上方に修業に出た。おさんが次々と男を替えているのを手紙で知り、江戸に戻っておさんを探すのだが……。
『ちゃん』重吉は腕のいい火鉢職人だが、世の中は高級な火鉢よりも安価なものを求めるので、仕事は先細り。裏長屋で女房と四人の子供と貧乏暮らし。苦しいとつい酒に溺れて、酔って家に帰る。居酒屋のおかみはそんな重吉に惚れているようだが……。
 気のいい若侍の大四郎、陰気な大工の参太、気が小さくていつも酔っぱらっている重吉。この三人を錦之助が演じ分けるのが見ものである。私は特に爽やかでユーモラスな『冷飯』の錦之助が大好きだ。

 大四郎に見初められる武家娘の入江若葉、参太の女房おさんの三田佳子、参太が箱根で泊まる宿屋の女中の新珠三千代、重吉に惚れる居酒屋のおかみの渡辺美佐子、みな美しく、脇役も小沢昭一千秋実大坂志郎三木のり平など味わい深い。
 三話ともにチャンバラシーンはないが、配役はもとより、セット、小道具、衣裳など、見事なまでに贅沢ないい時代の作品である。が、この頃から東映は時代劇より任侠映画に移行していく。錦之助は晩年、萬屋錦之介と名を変えて、重々しい役しかやらなくなったが、私は喜劇を演じる軽快で剽軽な錦之助が好きなのだ。

 

冷飯とおさんとちゃん
1965
監督:田坂具隆
出演:中村錦之助木暮実千代小沢昭一入江若葉千秋実河原崎長一郎三田佳子新珠三千代大坂志郎、森光子、渡辺美佐子北村和夫三木のり平

新書専門書ブックレビュー2

「戦国武将と連歌師」(綿抜豊昭、平凡社新書

戦国武将と連歌師 (平凡社新書)

戦国武将と連歌師 (平凡社新書)

 

  
 本作は戦国武将と連歌師との関係を書いたものですが、なぜ、戦国武将は連歌をしたのでしょうか。それは連歌の持つ性格にありました。
 和歌は、五・七・五・七・七からなる一首を一人で詠みます。これを二つに分けて、上句「五・七・五」と下句「七・七」をそれぞれ別な人が詠むものを「短連歌」といい、ずっと繰り返し続けていくのを連歌といいます。百句詠むのを「百韻」といい、
複数の人間でないと詠めません。そこから分かるように、連歌は一人ではできないのです。ということは、単なる個人事ではなく「コミュニティ形成ツール」になり得るということです。ここに茶の湯とともに連歌が戦国武将に好まれた理由があります。     

 百韻連歌は、だいたい10人くらいで行いますが、連歌師は、そうした連歌の会を仕切ります。連歌宗匠ですから、良い句に「点」と呼ばれるしるしやコメントを付け、添削を行う場合もありました。当然、ただというわけにはいきません。それなりの謝礼が発生し、これが連歌師の収入源となります。(第一章)
 連歌師の発生は、まず「僧が知的遊戯の一面がある連歌を嗜み、上手となり、連歌師となって」いきました。
 そして、「職人として働く場ができ、生活が成り立つようになれば、僧でなかった人が学習して『連歌師』となり、法体になるといった場合も出てくる。宗教家としての性格が薄くなり、連歌の専門性が強くなるのが、次の段階」であり、「連歌を職業とする連歌師が登場する」のです。
 連歌で「高収入を得られるとなれば、その職を息子に継がせたいと思うようになる」でしょう。里村紹巴の子孫は、江戸幕府連歌のことを司ることとなります。役職名は、そのまま「連歌師」で、役料は無く、家禄が100石で世襲です。(第一章)

 連歌師は明治の初めの頃には姿を消したようですが、その頃には連歌そのものが廃れていたようです。そういう意味では、連歌は優れて中世後期(室町時代から戦国時代)の文化というべきでしょう。

 戦国乱世の時代、武将が生き残るためには、組織力、情報管理、ブレイン、外交、資金力、技術開発(武器等)、戦略(戦術)の7つは、「最低限のチェックポイントであった」ことから、連歌を嗜んだのではないかと作者はいいます。具体的には、以下の6つの効用をあげています。


連歌そのものの享楽 → 組織力
連歌会で家臣や同輩と連帯感の形成 → 組織力
連歌師から中央や他国の情報収集 → 情報力
連歌師を通じた情報伝達 → 情報力
⑤ 戦勝祈願といった祈祷 → 戦術他
⑥ 古典教養等の学習他 → その他


 さらに連歌は、貴人を迎えたときのおもてなし、無事跡継ぎが生まれた祝儀、故人の追善・追悼、安産・病気平癒、戦勝祈願の他忘年会の催しにもなったようです。
 連歌室町時代前半から盛んとなり、飯尾宗祇、宗長、肖柏を経て里村紹巴の頃に最盛期を迎えます。(第二章)

 里村紹巴といえば、山城国愛宕山で催した連歌の会(愛宕百韻)が有名です。
 そこで明智光秀は、
“ときは今 天(あめ)が下(した)しる 五月かな”
 という句を詠みました。天正10年(1582)5月24日のことです。すでに広く人口に膾炙している句で、当日最初に詠まれた句、つまり発句です。
 本能寺の変天正10年6月2日)の直前だったことから。この句が、様々に話題を提供していることは周知の事実です。「とき」を明智の本姓「土岐」に重ね、いよいよ土岐氏が「天が下しる」つまり「天下を下知する」好機の「5月かな」ということで、天下取りの野心があったというものです。
 光秀の句は様々解釈されますが、本作では江戸時代の解釈についても触れられています。(第六章)

 果たして真相はどうなのでしょうか。来年の大河ドラマで、このシーンがどのようなドラマになっているか、今から楽しみな方も多いのではないでしょうか。

 ところで、小説との関係でいうと、岩井三四二氏の『難儀でござる』(光文社時代小説文庫)に収められた「二千人返せ」の主人公宗長が紹介されています。宗長は今川氏親に召し抱えられていて、よく京都と駿府を往復しました。著書『宗長日記』は、その旅の記録で、岩波文庫で読むことが出来ます。
 岩井三四二氏といえば、タイトルもズバリ『戦国連歌師』(講談社文庫)という作品もあります。

 鎌倉時代西行に代表される和歌、室町時代連歌、そして江戸時代は芭蕉に代表される俳句、明治・大正は詩歌、昭和は流行歌、と時代の変遷と共に盛衰を探るのも面白いかもしれません。

 最後に岩井三四二氏関係で余談ですが、第10回松本清張賞受賞作『月ノ浦惣庄公事置書』と第14回中山義秀賞受賞作『清佑、ただいま在庄』は、中世を舞台にした傑作だと思います。

『映画に溺れて』第60回 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

第60回 皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ

平成二十九年三月(2017)
京橋 テアトル試写室

 

 一九七〇年代の日本のTVアニメが当時イタリアでも放送されて、向こうの子供たちにも人気があったそうだ。日本アニメファンだったガブリエーレ・マイネッティ監督が、永井豪原作『鋼鉄ジーグ』から着想を得て作ったのが『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』である。
 現代のローマ。コソ泥の小悪党エンツォ。警察に追い詰められて川に飛び込んだら、そこは放射性廃棄物のたまり場で、汚泥にまみれて、ようやく這い出るが、その日から体調を崩す。
 世話になっている故買屋に頼まれて麻薬取引現場に同行すると、いきなり銃撃戦になり、銃弾を受けて逃げ帰る。ところがまったく無傷で、それどころか、恐ろしい怪力を発揮。廃棄物の影響で鋼鉄の肉体とスーパーパワーが身についたのだ。
 根が小悪党なのでさっそく銀行のATMを引きちぎり、現金を奪う。
 銃撃で死んだ故買屋にアレッシアという引きこもりの娘がいて、日本のアニメ『鋼鉄ジーグ』を毎日繰り返し見続けている。
 親分のジンガロは取引が失敗したので、故買屋の家に押しかけ、アレッシオをいためつける。それをエンツォが助けたので、彼女は彼を鋼鉄ジーグだと思い込む。
 チンピラのエンツォと精神障害のあるアレッシオの間に恋が芽生え、彼女は彼に正義のヒーローになってほしくて、毛糸で鋼鉄ジーグのマスクを編む。
 一方、上部組織と敵対したジンガロは追い詰められ、手下を殺され、体を火で焼かれて川に飛び込む。
 アレッシオの懇願で、正義のために力を発揮しようと決意したエンツォの前に、焼けただれた体の不死身の怪人が立ちふさがる。

 

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ/Lo chiamavano Jeeg Robot
2015 イタリア/公開2017
監督:ガブリエーレ・マイネッティ
出演:クラウディオ・サンタマリア、イレニア・パストレッリ、ルカ・マリネッリ、ステファノ・アンブロジ

 

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第21回 櫻の園

 大正九年(1920)、アントワープオリンピックにてメダルを逃した金栗四三(中村勘九郎)は、失意のうちにヨーロッパをさまよっていました。オリンピックが幻に終わったベルリンを訪れると、女性たちがスポーツを行っていました。大いに刺激を受ける四三。
 日本に帰国した四三は、ミルクホールで働くシマ(杉咲花)にベルリンの女子たちの姿を語ります。そして
「おなごの体育ば、俺はやる」
 と宣言します。そこへ男がやってきます。シマのお見合い相手の増野(柄本佑)でした。四三と増野は握手を交わします。
 播磨屋の二階の下宿に帰ってきた四三は、妻のスヤ(綾瀬はるか)と息子の正明に会います。スヤは四三の帰りを待っていたのでした。
 部屋で四三とスヤは話します。
「悔いはなかですか」
 と問うスヤ。四三は現役を引退するというのです。では熊本に帰りましょうというスヤ。しかし四三は女子へのスポーツの普及を次の目標に決めていました。すでに嘉納治五郎には相談していました。
「女子の体育の普及は、国力増進への近道と考えます」
 女子が体育に関心を持ち、実践すると、体の丈夫な子が生まれる。人は健康に、国は豊かになる。四三は嘉納に東京府立第二高等女子校(通称・竹早)の赴任を命じられました。
「そんなら、熊本には帰らんとね」
 と、スヤに問い詰められる四三。四三は謝ることしかできません。
「熊本にはそのうち帰るけん。ばってん、それは今じゃなか」
 と、つい怒鳴る四三。スヤは荷物をまとめて出て行こうとします。
「おってくれ」
 四三はそう言ってスヤを抱きしめます。東京で一緒に暮らそうとスヤに言います。
「はい」
 と返事をし、スヤは涙を流すのでした。
 一方、後の古今亭志ん生である美濃部孝蔵(山本未來)は浜松から東京に帰って来ました。清さんと小梅(橋本愛)が所帯を持って、店を開いていることを知ります。驚く孝蔵。孝蔵は再び東京で落語修業を始めるのです。
 四三は竹早に赴任します。竹早と言えば、当時、御茶ノ水と並ぶ名門女学校です。女学生は良い嫁、賢い母になるために厳しくしつけられました。あいさつは「ごきげんよう」。シマは東京女子高等師範学校を卒業し、竹早の教師となっていました。
 四三は女の園に圧倒されます。しかし負けじと張りきって生徒たちに語りかけます。強健な肉体、それこそが最高の美である、と説きます。しかし女学生たちは反発します。「あぶさん(アブノーマル=変わり者)」「田紳(田舎紳士=野暮くさい先生)」「すこどん(少しどんくさい)」などの言葉で評価します。耐えきれなくなった女生徒の村田富江(黒島結菜)が、友人たちを連れ、四三に忠告に訪れます。
「もうおやめになってください。みっともない」
 と富江はいいます。竹早は他校からシャンナイスクールと呼ばれている。シャンは美人、つまり美人がいない学校という意味です。ただでさえそのようにけなされているのに、運動などしたら色は黒くなり、手足は太くなる。嫁のもらい手がなくなるというのです。当時は女学校に卒業までいるのは恥で、中退して結婚することが理想と思われていたのです。富江は言います。
「ですから先生。勤め先を間違えたと思って、おあきらめ下さいまし」
 しかし四三はあきらめません。立ち去ろうとする富江たちに呼びかけます。一度だけ槍を投げてくれと頼むのです。四三の熱意にほだされる富江たち。竹早の生徒たちが槍を投げる富江たちに注目します。槍が投げられると、女生徒たちから歓声が起こるようになります。槍を投げる女生徒に笑顔がともります。
 富江の番になります。富江上着を外し、髪を結んでいたリボンを外してたすき掛けをします。四三のアドバイスに従い、大声を出して槍を投げるのです。槍は大きく飛び、女生徒たちから歓声が沸き上がります。皆に取り囲まれる富江。四三は言います。
「諸君らは、今、美しく、可憐な少女ばい。なんがシャンナイスクールか。言いたか奴には言わせときゃよか。俺に言わせれば、オールシャンばい。おせじじゃなかよ。日に焼けて、お日様ん下で体ば動かして汗ばかいたら、もっと✕10シャンになったばい」
 こうして女生徒たちは体育に励むようになるのです。
 竹早の教師のシマは増野に結婚を断っていました。
「まだ家庭に入る気になれないんです」学校も走るのもあきらめたくない。「私、まだ何も成しとげてないから」
 増野は言います。
「結婚して、子供を産んだ人は、(オリンピックに)出場できないものですか」
「無理ではないけど」
 と答えるシマ。
「だったら、出ましょうよ。うん。子供連れて応援に行きます」
「やめなくていいんですか」
「続けて下さい。仕事も、走るのも」
 増野はシマの手を握るのです。
 そしてシマは洋風の花嫁衣装、増野はタキシードを着て、仲人の四三夫婦と共に記念写真を撮るのでした。

 

書評『炯眼に候』木下昌輝

書名『炯眼に候』
著者名 木下昌輝
発売 文藝春秋
発行年月日  2019年2月15日
定価  本体1700円(税別)

 

炯眼に候

炯眼に候

 

 

 2012年「宇喜多の捨て嫁」でオール讀物新人賞を受賞してデビューした歴史時代小説界の気鋭木下(きのした)昌(まさ)輝(てる)(昭和49年、奈良県生まれ)による「織田信長」である。
「信長ほど神仏を敬い、かつそれを攻撃した人物はいない。……そんな信長を支えたのは、合理の心だ」とあるように、信長及びその周囲の人物を主人公として、天下統一を目指した信長の徹底した合理主義に光を当て、信長の「炯眼」が語られる。
 7編の短編よりなる連作短編集だが、初出は「オール讀物」で、2016年1月号より2018年12月号までの3年間に断続的に発表された。
 章名および雑誌発表時の原題は以下の通り。

「水鏡」 /「運ハ天ニ有リ、死ハ定メ」 2016年1月号
「偽首」 /「桶狭間の偽首」 2016年9月号
「弾丸」 /「杉谷善住坊の弾丸」 2017年2月号
「軍師」 /「山中の猿」 2018年12月号 
「鉄船」 /「幻の船」 2017年12月号
「鉄砲」 /「復讐の花」2018年7月号
「首級」 /「信長の首」2017年7月号

 木下にとっての「信長」は満を持しての「信長」である。
 信長とは何か。破壊者であり建設者でもある織田信長という英雄について、好きな人は大好きであり、嫌いな人は大嫌いだという評価である。信長の全貌を明らかにすべく多くの作家たちが筆を取り、これまで書き尽くされてきた人物故の難しさもあるのだが、木下がどのような「信長」を描くのか、固唾を呑みながら、本書を紐解いた。
 本書で重要な役割を演じているのは、斎藤(さいとう)道三(どうさん)、羽柴(はしば)秀(ひで)吉(よし)、それに太田(おおた)牛一(ぎゅういち)、山中の猿の4名である。
 信長の武将としての前半で最も重要な位置を占めるのは、美濃の蝮こと斎藤道三であろう。
 信長にとって最大の敵はままならぬ天候であった。信長が天候さえも己の意のままに操りたいとしているのを見て、道三が「婿殿は、天に打ち勝つ術を必死に考えているらしいな」と観るシーンがある。まもなく「天下布武」を政治理念とする信長の強固な意思を戦国の梟雄・斎藤道三はすでに読み取っている。
 苛烈さ、厳しさと、冷徹無比なイメージだけが先行する織田信長になぜたくさんの武将が仕えたのか。武将たちが刺激を受けて畏怖、魅了されたのは、時代を突き抜けていた信長の感覚と知能、すなわち信長の「炯眼」だったが、道三亡き後、信長を最も理解したのは秀吉である。
 鉄砲を軽視する織田家の風潮をかえるために、信長は鉄砲の名手・杉谷(すぎたに)善(ぜん)住坊(じゅうぼう)に狙撃させる策を練った〔「弾丸」の章〕。あろうことか信長は自らの命を的にしてまで狙撃させるのである。この秘策を秀吉は「理に合わぬ因習や妄執を捨てさせるために」信長公は実行しようとしているのだと、合理主義者・信長を理解する。「顔色は悪く頬もこけているが、眸だけは獣を思わせる貪欲な光をたたえ、心のありかが麻痺しているように見えた」とする秀吉の容貌造形も素晴らしく、信長の後継者としての秀吉を見事にとらえている。
「山中の猿」はかの道三に薦められ信長が己の軍師とする人物である〔「軍師」の章〕が、太田牛一の『信長公記』に実際に登場するとは評者は知らなかった。信長にとって「猿」と言えば秀吉のことであるから、秀吉が擬人化されているとも思った。桶狭間の戦いや長篠設楽が原の戦いで、織田軍は天候を味方に付けて、勝利する。軍師・山中の猿には天候が予知できる神通力があるとみられたが、天候が悪くなると体調に異常をきたす山中の猿の体質を見抜いて信長が利用したのだった。信長の合理的思考を際立たせている存在である山中の猿は秀吉同様、信長にとって欠くべからざる部下であった。
 太田牛一は『信長公記』の著者である。木下昌輝による太田牛一の人物の造形は当初、「又助」として登場し、「信長の父の代から織田家に仕え、10代の頃の信長をもよく知っている。三人張りの強弓をあつかう弓の名人だが、時代遅れの名人。山中の猿の世話を信長に託される。武(たけ)田(だ)方の内通者でもある」と、とてつもなくユニークである。
 最終章の「首級」は、イエズス会ヴァリアーノ神父によって信長の下へ連れてこられ、晩年の信長が側近としてかわいがった黒人奴隷の弥助が主人公。天下取り目前、無念の死を遂げた信長の最期を見届けた人物として描かれる。信長が死後の動乱を見通し、「わが首級を敵(光秀)にやらぬことだ」と自らの首をめぐる秘策を打ち出し自身の最期を迎えるシーン、信長亡き後、インドに渡り、戦士としてムガル帝国と戦った弥助が、世界的視野を持っていたサムライ信長を回想するラストシーンも忘れ難い。「信長には明晰な認識者としての孤独感ともいうような虚無のにおいがただよっている」と記したのは『下天は夢か』の津本陽だが、自らの死後をも見通した信長の死生観が圧巻である。
信長公記』(全16巻)は信長の旧臣太田和泉守牛一が、慶長15年(1610)、84歳の時、完成した信長の一代記である。太田牛一は信長の同時代人とはいえ、「信長公記」の完成は信長の死の天正10年(1582)より28年後のことである。
 太田牛一の心中には、戦国の世で長寿の晩年を迎えた自分の来し方と、7歳年下ながら49歳で夢幻のごとくに消えた信長の生涯が、渦巻いていたことだろう。
 長篠設楽が原の戦いにおける鉄砲の三段式装填法と馬防柵の設置、石山本願寺攻めの鉄甲船建造など、近代的合理主義によるアイデアの勝利といってもいいのだが、信長の勝利の裏側には常に、恐ろしいまでの合理的思考があったことは紛れもない。作家はただそこで思考をとどめていない。信長をして合理的思考を然らしめたのは何か、と作者は信長の深層にまで立ち入ろうとしている。著述に要した三年の歳月を思うと、信長像をめぐって木下昌輝の思考の軌跡をまとめたものが本書であることがわかる。信長の若き日から本能寺で斃れるまでの信長の生涯に起きた出来事を、ひとつひとつ丁寧に、史料に即して、ある時はあえて史料から離れて、その歴史的意義をとらえ直し、最後にそれらを統合したうえで信長という一人の人物像を等身大で捉えようとしている。
 本書はまた信長にまつわるエピソードの謎に関する異説論集であるといえる。人物や素材に執拗に迫り、定説、通説への疑問、異説を唱えるその用意周到な構成と斬新極まりない謎解きする姿勢は一貫している。
「弾丸」の章では、杉谷善住坊はむごたらしく処刑されたはずだが、不思議なのはどうしてその子孫が生き残ったのかと、疑問をもった「筆者である私」は運に恵まれ、11番目の子の子孫と語り合うことができたとし、戦慄すべき異説の中に、鉄砲にとりつかれた同類相憐れむ者としての善住坊と信長の心の交流が一陣の爽風のようにそよぐ人情譚を紡いでいる。
 本能寺の変にからむ「鉄砲」や「首級」の章では、光秀の人物造形が大胆で、史実ばかりに拘る研究者が目くじらを立てて怒りそうな設定で、変に至る経過も盛り上がりに欠けるとの批評もありえようが、いずれの作品も短編小説の技巧が冴えわたる。連作による多方面からの切り口が鮮やかで人間性を備えた信長像を浮かび上がらせることに成功している。
 本作は小説としての凄まじい破壊力を持ち、凡百の<信長もの>とはまったく質を異にする端倪すべき作品であるということである。

 

         (令和元年6月2日 信長公忌の日に 雨宮由希夫 記)

 

『映画に溺れて』第59回 ヤッターマン

第59回 ヤッターマン

平成二十一年九月(2009)
上野 上野東急1

 

 かつて台東区で開催されていた下町コメディ映画祭。上野、浅草を中心にコメディ映画を上映するという年に一度の喜劇映画の祭典。無声映画の『子宝騒動』や『チャップリンの冒険』、コント55号特集、伴淳特集、モンティパイソン特集、これに新作や海外の未公開作、短編映画のコンテストなどもあった。そこで観た一本が実写版『ヤッターマン』である。
 かなり長寿のTV人気アニメということだが、私はほとんどTV版のものを見ていない。オリジナルを知らなくても、充分に楽しめる独立した娯楽作品になっていた。
 ヤッターマン1号、2号というふたりのヒーロー。玩具屋の息子とそのガールフレンドが正体。これが巨大おもちゃのごときロボット犬を操作し、悪人と対決する。
 悪人というのが三人組の泥棒で、リーダー格のセクシー美女ドロンジョ、発明家のボヤッキー、大食のトンズラーという漫画そのもののキャラクター。謎の怪人ドクロベエの指令でドクロストーンという古代の遺物を捜し求めている。
 世界の秘境四ヵ所にあるドクロストーンがそろった時、時空が歪み、悪が栄えるという恐ろしい石。
 この善と悪の対決にインディジョーンズ風の考古学者が加わって、全編ギャグ漫画の実写版。
 深田恭子ドロンジョは衣裳の効果もありセクシーだった。
 このドロンジョが偶然にも対決の途中にヤッターマン1号と抱き合ってキスしてしまい、お互い淡い恋心を抱くというのもロマンチックコメディのパロディみたいでバカバカしくも楽しい。ドロンジョを密かに慕うボヤッキーが嫉妬で苦悶するあたりも大笑い。下町コメディ映画祭で、子供たちに大受けだった。

 

ヤッターマン
2009
監督:三池崇史
出演:櫻井翔福田沙紀深田恭子生瀬勝久ケンドーコバヤシ阿部サダヲ

 

森川雅美の詩

明治一五一年


にぎるままの掌の内側
陽射しが温もっていき
ぼくたちは青白い
炎として燃える
空はどこまでも
ただすみ渡っていたと
記録には記される
よろめくままに踏みだし
山道を登っていく
降りつもる百数十年の雪の
ふかく残る人の足跡に
ほら小さな声はこだまし
白くぬくもる湯に身を浸す
記憶は体内を巡る
さざなみとなり
あふれ流れおち
振りかえる一瞬に
高だかと盛りあがり
奥羽山脈阿武隈山地
何が越えていくのか
明治元年の記録の
新政府軍の列が続く
ほらほころびていく先の
落城であるから
もっと鮮やかな青になる
ゆらぐ正面からの
避難する人にも雪が降り
いくつもの目の躓きから
声にもならない囁きに
まじる風や波音に耳すま
遠ざかる背中を
にぎるままの掌の内側
消えた笑い声がともり
ぼくたちは弱まる足首に
体重を傾け踏みだす
記録を紐解くならば
雪深い細道を歩いていく
ほらたくさんの人たちは
やはりまだ明治のはじめ
信じられる時代だった
とひとりずつ消えていき
幅ひろい道路が建設される
裏切だ裏切りなんだ
逃げる者は足を掬われ
高い位置からの目線に
体の奥底まで覗かれ
いまもまた雪が降る
切り傷がなお残るなら
ほら弱まっていく鼓膜に
ながい時の隔たりが
重なりあい積みあげられる
もろもろの手の動きに
帰らない者も少なくなく
境界に向けて抜ける
踏み潰される者たちも
ほら小さな種子としてあり
愛する人がいないことが
病なのだとつぶやく
背中が遠くにかすんでいる
ぶつ切れになる足跡まで
にぎるままの掌の内側
いたむ静脈が残り
ぼくたちは退くままに
より奥深くまよい歩く
ほら癒えぬ微熱はのこり
どことも知れず散っていく
記憶は見捨てられる
明治の終わりの
豊かなために追われていく
地面は耕されず荒れ果て
ならばこめかみに痛む
常磐線磐越東線
何が越えていくのか
振り返られない者のため
返事はつねに未然で

 

『映画に溺れて』第58回 ブレイド

第58回 ブレイド

平成十一年十一月(1999)
新橋 新橋文化

 

 マーヴェルコミックの変種ヒーローが吸血鬼退治のブレイドである。
 妊娠中の母親が吸血鬼に襲われ、吸血鬼と人間の両方の性質を持って生まれたため、生きるには人間の生血が必要だが、にんにくを恐れず、日の光も平気で、その代わり人間と同じように年を取る。
 このブレイドが吸血鬼ハンターのウィスラーと共に吸血鬼を退治する物語。
 長年生き続けている純血種の吸血鬼ドラゴネッティは人と争わず、地下でひっそりと暮らすことで人類と吸血鬼との共存の道を目指している。
 が、吸血鬼に噛まれて吸血鬼になったフロストは闇から這い出し、昼間の世界をも征服しようと企む。コンピュータで古代の秘密文書を解読し、純血吸血鬼の崇める悪の神マグラを呼び出し、自分が吸血鬼の王になろうとする。
 マグラ復活の儀式にはいけにえの血が必要で、フロストと対決するために神殿をつきとめたブレイドも純血種とともに血を奪われる。
 吸血鬼が題材だが、オカルト色はほとんどなく、派手なアクションが中心のヒーロー映画となっている。
 フロストがブレイドの撃った銃弾を避ける場面で、弾が体をかすめる描写は、この後の『マトリックス』でも使われている。
 長老のドラゴネッティ役のウド・キアは『処女の生血』のドラキュラ以来、吸血鬼映画にはしょっちゅう出演している。よほど吸血鬼が気に入っているのだろう。

ブレイド/Blade
1999 アメリカ/公開1999
監督:スティーブン・ノリントン
出演:ウェズリー・スナイプス、スティーブン・ドーフ、クリス・クリストファーソン、ウンブッシュ・ライト、ドナル・ローグ、ウド・キア