大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第3回 栄一、仕事はじめ
血洗島の渋沢家には、大勢の職人が集まっていました。藍の「すくも」」作りが始まったのです。乾燥させた藍の葉を、水を打ちながら混ぜ合わせ、発酵させます。これを何度も繰り返します。発酵を初めておよそ百日。「すくも」ができあがります。この「すくも」を液状にすると、美しい青を出す染料になるのです。
渋沢栄一(吉沢亮)は、いとこの渋沢喜作(高良健吾)と話します。
「うちのとっつぁまはなあ、この武州で作る藍を、阿波の藍に負けねえ品にしようと思っている」
そして栄一は、もうすぐ父に江戸に連れて行ってもらうことを話すのです。
アヘン戦争で清国が攻められる様子を描いた書物を、栄一のいとこである尾高惇忠(田辺誠一)が読んでいました。これは当時の日本人に強い危機感を与えました。
栄一は父の市郎右衛門と共に、江戸に到着していました。
「とっさま、江戸は京が祭りか」
と問う栄一。市郎右衛門は笑って答えます。
「何をいう。江戸ではこれが常だ」
この頃、江戸は世界最大級の都市。百万人近くい人口を抱えていました。栄一は驚き、はしゃぎ、江戸の通りを走り抜けるのでした。栄一は市郎右衛門にいいます。
「とっさま、俺は嬉しい。この街は、商いでできてる。ものを作るもんも、運ぶもんも、売るもんも、それを買ってるもんも皆が皆つながって、生き生きとしとる。見ない。お武家様がまるで脇役だ」
「しっ、声が大きい」
「こんな誉(ほま)れはねえ。この江戸の街は、とっさまみてえな商(あきな)い人が造ってるんだいな」
一人の侍が栄一に近づいてきます。
「おっと、聞き捨てならねえな、そこの小僧。聞こえたぜ。イナカッペの声がよ。この江戸の街は商人(あきんど)が造ってるとかなんとかぬかしやがって」
父に促され、栄一たちは逃げ出します。侍は追おうとしますが、妻に引き止められます。ホントのことじゃないか、とさえいわれます。
「商人ばかりが景気が良くって、お前さんみたいなお武家様がすっからかん。おかげさまで一緒になったあたしまでこんななりになっちまってさ。あーあ、いつになったらまた、きれいなおべべが着られるようになるのやら」
「ちげえねえ」
と侍はあっさり認め、笑い出すのです。この侍は平岡円四郎(堤真一)といい、やがて栄一と徳川慶喜を結びつけることになるのです。
栄一親子は神田の紺屋町にやって来ました。ここが藍の商いの中心地です。市郎右衛門が藍に染められた布を見て栄一にいいます。
「どれも一級品だ。ここに来りゃあ、染め物の、はやりすたりがひとめで分からい」
父と子は建物に入っていきます。市郎右衛門は店の番頭に紙に染めた見本を見せます。
「これはいい色だね」
と番頭は声を出しますが、大店(おおだな)は阿波の藍しか買わないとも語ります。
「これからは、武州藍もどうかひとつ、頼まいね」
と、市郎左衛門は頭を下げるのでした。
その頃、江戸城では、寝たきりになった将軍徳川家慶(いえよし)(吉幾三)を徳川慶喜(草彅剛)が見舞っていました。家慶は無理に起き上がります。
「世の中には、私よりも、そなたの父が優れた君主だと陰口をたたく者もおった。それゆえ私は、斉昭(なりあき)が嫌いだった。だが今、こうしてそなたの顔を見ていると、悪い男ではなかったのかもしれぬと思えてくるから不思議じゃ」
その三ヶ月後、血洗村に瓦版売りがやって来ます。そこにはペリーの黒船がやって来た様子が描かれていたのです。喜作はそれを持って剣のけいこをしているや栄一たちもとにやって来ます。瓦版は尾高惇忠に渡されます。
「水戸様が案じていたとおり、やはり日の本は太平の夢をむさぼっていることなどできなかったのだ」惇忠は弟の長七郎に本を渡します。「これを読め。清国が夷狄に乗っ取られたさまがつぶさに書かれておる」
「日の本も、清国のようになんのか」
「それはならねえ。今こそ、人心を一つにして戦わねえと」
江戸の街を大砲の列が進みます。これは徳川斉昭(竹中直人)が幕府に献上した大砲でした。斉昭は、外国船を打ち払うことを強硬に主張していました。
幕府老中の阿部正弘(大谷亮平)が語ります。
「黒船におびえていた江戸の庶民は、さすがは水戸様と狂喜乱舞しておりまする」
横になっている将軍家慶がいいます。
「斉昭と協議すべし。この国難。水戸の斉昭に力を借りるのじゃ。慶喜」
「はい、ここに」
家慶が布団から手を出します。慶喜はそれを握ります。
「徳川を、頼む」
しかし家慶のその言葉に、慶喜が応えることはありませんでした。
その十日後、将軍徳川家慶は亡くなります。幕府では、将軍の後継ぎである家祥(いえさち)のもと、次にペリーが来た時にどう対応すべきか、大名や、幕府有志にまで登城を命じ、広く意見を求めました。
幕府は、徳川斉昭の隠居処分を解き「海防参与」という役目を与えました。
こうした攘夷の動きは、栄一が住む武蔵国(むさしのくに)にも及びました。砲術家、高島秋帆(玉木宏)が牢から出されたのです。栄一は姿を整え、騎乗した秋帆を目撃します。栄一は思わず秋帆に駆け寄るのです。
「確か前に、この国は終わると。誰かが国を守らねばって」
「そうか、お前か」
と、秋帆は馬を降ります。
「私はあの夜、お前の言葉に力をもらった」
幼い栄一は、牢にいる秋帆にいっていたのです。
「俺が守ってやんべえ。この国を」
秋帆は栄一の前にかがみます。
「そしてどうにかここまで生き延びた。私はこの先、残された時をすべてこの日の本のために尽くし、励みたいと思っている。お前も励め。必ず励め。頼んだぞ」
幕府の保守派によって冤罪をこうむり、投獄されていた長崎の砲術家、高島秋帆は、釈放されたのでした。
栄一は畑で騒ぎが起っている様子を聞きつけます。藍の葉の多くが虫にやられていたのです。市郎右衛門は冷静に指示を出します。
「とにかく急いで、無事な藍葉を刈り取れ。少しでも早く残ったものを刈り集めんだ」
栄一はこれからどうするのかと市郎右衛門に質問します。
「信州や上州へ行って買ってくるしかねえが、今から行って、どんだけ買えるもんか」
「だったら俺も行くべ。二人がかりで行けば」
「馬鹿もん。目え利くもんが、いい藍葉買ってきねえと、意味がねえ。子供の使いでできるこっちゃねえ」
市郎右衛門は雨の中、一人で出かけていくのでした。
一方、徳川慶喜は父の斉昭に話していました。
「当てにされても困るのです。私にはこの先、将軍になる望みはございません」慶喜は続けます。「父上は私を傀儡(かいらい)とし、ご自身が将軍になられたいのでありましょう」
慶喜は斉昭の前から去るのでした。
「誰か、あやつを側(そば)で支える、直言(ちょくげん)の臣(しん)はおらんのか」
と、斉昭はつぶやきます。
栄一は母のゑい(和久井映見)に頭を下げていました。
「頼む、かっさま。俺を信州に行かせてくれ。俺が藍葉を買い付けてくる」栄一は顔を上げます。「俺にも藍の善し悪しは分かる。ちいせえ頃から、とっさまの買い付けをずっとこの目で見てきた。藍を買ってる時のとっさまは、まっさか立派で、俺もいつかああなりてえってずうっと思って側で見てきたんだ。俺はとっさまの役に立ちてえんだ。とっさまのために、この村のために励んでみてえんだ」
ゑいは部屋の奥に姿を消します。やがて銭の入った漆の箱を持ってくるのです。ゑいは栄一に巾着袋を渡していいます。
「行っといで。このかっさまの胸ん中が、お前を行かせてみろ、行かせてみろ、っていうてるに。行っといで。決して無駄にしたらいけねえよ」
こうして栄一は信州の村にやってくるのです。最初は相手にもされない栄一でしたが、その確かな目利きに村人は気付き始めます。栄一のいる場所に藍葉を持って人々が集まってくるのです。そろばんをはじき、的確な判断で栄一は藍葉を買い取っていきます。しかし厳しい評価ばかりではありません。来年に肥料を買って、もっと良いものを作るとの期待のもと、高い値をつける場合もありました。
栄一が藍葉を買って帰ってきます。市郎右衛門は難しい顔で栄一の藍を確かめます。そしていうのです。
「よくやった」
そして栄一に、明日から、一緒に買い付けに行くことを確認するのです。喜びのあまり栄一は大声を上げて走り出します。
江戸の平岡円四郎のもとを、斉昭の家臣が訪れていました。慶喜の小姓になれというのです。円四郎は断ります。家臣は怒り出すのです。
「わしもそう申し上げた。かように無礼で粗野な男に、小姓など務まるものかと。しかし、それをご承知でなお、水戸のご老公はおぬしが良いと仰せじゃ。一度拝謁いたしてみるがよい」
小説を更新しました
合評会用の小説を更新しました。
書評『新装版 汝の名』
書 名 『新装版 汝の名』
著 者 明野照葉
発行所 中央公論新社
発行年月日 2020年12月25日
定 価 ¥780E
前作の『誰?』(2020年8月刊)に引き続き、女性の心理を巧みに描きあげ、あわせて現代社会の病理をも暴き出す明野照葉の世界にまたしても魅せられた。
金も社会的な地位も得て優雅な生活を送る女と、そんな女に憧れを抱きながら奉仕する真逆の女。主人公のこの二人の女性はもちろん創作上の人物だが、凄まじき生の軌跡を追っているノンフィクションを読んでいるかのようで一気読みさせられた
若き経営者・麻生(あそう)陶子(とうこ)33歳は表参道でETS(エクストラ・タレント・スタッフ) の事務所を構えている。業種で言えば人材派遣業である。30代の若さで事業に成功したが、美貌で独身の陶子にとって男とは、自分に何かを与えてくれる存在でなければ意味がない。計算づくで世を渡る陶子が素に戻るのは、神宮前の我が家、5歳年下の妹の久恵(ひさえ)の前だけである。
妹の久恵は姉の陶子のことを「陶子ちゃん」と呼ぶ。ふつう5つ年下の妹が姉のことを、「〇〇ちゃん」と名前で呼ぶだろうか、と読者は訝るであろう。作家の仕掛けた〈罠〉に気づきつつ読んでいくことになる。
姉妹というのは不思議である。血肉は誰よりも似通っているはずなのに、まったくといっていうほどに体型も、性格も異なることが多い。陶子と久恵もその類で、陶子は165センチ、長くて格好のいい脚。弾力を持った胸、長い手脚。美貌の上にしなやかな身のこなし、お洒落でセンス良し。対して、久恵は小柄で顔立ちは悪くないが、雰囲気そのものが陰気。内向的な性格。まったくの真逆である。
それというのも当然だと知る。二人は実の妹でも何でもない。山梨県甲府市の出身で、高校時代の同級生。同い年ながら、陶子は久恵に妹という役柄をあてがった。同居人の二人は周囲の人々には姉妹と名乗るが、その実、二人ともが仮初めの人生を演じて生きている。久恵は2年前、光耀製薬を退職。以来、勤めには出ていない。無職の久恵はもう2年以上も陶子のところで、家政婦のような居候生活をしている。
「ある日」を境に、この奇妙な姉妹関係が崩れ始める。作家の仕組んだ〈罠〉の一端が解きほぐされ、驚愕の事実が徐々に明らかになっていくのである。
陶子と久恵の関係は対等ではない。陶子はある意味、久恵の雇い主なのである。陶子に生活を依存している以上、陶子の機嫌のよくないときには虐待されるなどそのはけ口にされるのは、いわば久恵の役割。いかにDVされようと陶子を崇拝し奴隷の如く仕える久恵は、「ずっと陶子とこんな暮らしを続けていたい」と念じている。
「ある日」久恵は嫌な予感がした。陶子に愛する男ができたのだ。男の名は壱岐亮介、38歳。クラウンホテルグループ会長・壱岐丘一郎の次男である。久恵は祈る、「男なんて好きにならないで、自分を置いていかないで」と。自分が見捨てられて、陶子との生活が終わるかもしれないと考えただけで恐ろしい。
久恵の予感通り、陶子は亮介と出遭ったことで女に戻った。「人間として、女として、本当の意味でしあわせになるのよ」。亮介と生きていくためには、仕事も手放してもいいとさえも。そう思うと陶子にはふと久恵が気味悪い存在にしか思えない。そして、さらにこうも思うのだ、いずれは久恵を斬り捨てなければならない。
ここで、作家はさらなる〈罠〉を読者の前にさらけ出す。いや実はすでに「プロローグ」の章で、〈罠〉は明快に張り巡らされていたのだった。
「私は麻生陶子ではない。三上里矢子」と陶子が語り始める。陶子は仮初めの「日常」を生きる上での役名に過ぎず、三上里矢子が本名であるというのだ。当然、久恵は陶子が三上里矢子だということを知っている。久恵の知らぬ間に陶子は、一度は捨てたはずの三上里矢子に返っていた。
陶子が男に心奪われて、久恵を不用品のように捨て去る気持ちを固めた頃、久恵の中で、突然のように怒りが沸き起こる。ある場所で、「あの女が死んだ。三上里矢子」。久恵は本物の麻生陶子の今現在の居所を突き止めた。「私は陶子ちゃんを守るために、そこまでやったのに。陶子ちゃんの裏切者」。
何をするにも地味で冴えない久恵がはじめて自らの生に執着を覚えた「あの時」、久恵は自分を殺すか、他人を殺すかの選択に迫られた…………。
「別に姉妹でもありません。ただの同居人同士」と電話口で話す久恵の声を、今もおむつを当てられた陶子が自分の寝室のベッドに身を横たえながら聞いている。
久恵が陶子に与えている薬は副交感神経遮断薬。薬は恐ろしい。陶子の気力を見事なまでに奪い取り、からださえ思うように動かなくしてしまう。今も陶子は、久恵に言われなければ動けない。このまま黙って薬漬けにされ、「妹」が張り巡らせた〈罠〉でやがて殺されるかもしれない。この状態が何によってもたらされたか、陶子にはすでに自分が知っているという手応えもあったが、一度夕食を摂った後に不調を覚えた時点で、陶子は可笑しいと気づくべきだったのだ。
陶子は2年半の間、妹という名の下に久恵を飼ってきた。そして、不要となったらどこへでもおいきとばかりに放りだそうとした。立場はかつての陶子と同じでも、久恵は陶子の自由意思を強制的に奪って監禁している。「姉」を監禁下に置いた久恵は
それまでの孤独で惨めな暮らしの憂さを晴らすかのように自由気ままで、エステティックサロンでもヘアサロンでもどこへでも出入りし、、麻生陶子と名乗り、陶子の財を食いちぎっている。
久恵が外に出ることによって出遭った老人たちとの関わりこそ、作家が描こうとしている本書のテーマであろう。
久恵は製薬会社に勤めていた経験が生き、老人たちに頼られる。彼らとの交流が深まるほどに、年寄りが何を最も恐れているかが分かってきた。問題は、死そのものではなく、死に至るまでの過程、自らの身を処することができなくなった時のことを考えた時である。高齢者たちの二大苦はひとり病に喘ぎ苦しむ孤独と、世話を焼いてくれる肉親もおらず、他人に面倒を賭ける不安である。
孤独にもがき苦しんでいる人、という点では無職で未婚の久恵は年寄と同じだ。
孤独で惨めな暮らし。私の20数年はなんだったのだろうと孤独感にひたる毎日を過ごしている。生まれ育った家であっても、帰る場所ではなくなった。付き合っている男もいなければ友人もいない。ひとつとしていいことのなかった33年だった。このまま終焉を迎えて悔いはないのか。33歳にして、さながら先のない老後生活だ。
ストーリーの合間に綴られる次の一文は優れた文明批判である。
「一族が故郷の地でまとまって暮らしていた時代とは違う。いかに子供をもうけようが、子供には子供の個としての生き方があり、暮らしがある。成長した子供が結婚を機に独立することも、遠くにいてろくに面倒を見ない子供たちも、当然。経済のシステムがそういうふうにできているのだ。自分がそのシステムの歯車の一つとして廻っているときは、別に何とも思わないが、歳をとってみた時に、ひずみが一挙に押し寄せる。経済システムからいったんはずれると、この社会では人が人ではなくなる」。
久恵が最も弱い立場の孤独な老人たちに取り入って食い物にするというのは、卑劣な行為であるが、それを言うなら、そもそも陶子の人材派遣とは名ばかりで、人の弱みに付け込み人を不幸にして稼ぎを得ている「事業」も褒められたものではない。畢竟、陶子と久恵は似た者同士ということになる。
作家は「妹」が平然と「弱き者」の仮面をかぶり、狙った獲物の「姉」をしとめる軌跡を物語に仕立て上げているが、「エピローグ」はこれまたなんとも凄まじい。
作家の仕掛けた罠の数々は巧妙で拙評では書き尽くせない。
なお本書は『汝の名』(2007年6月25日刊・中公文庫)を13年ぶりに新装・改版したものである。読了した今、ここに描かれた「日常」に居場所のない女や老人たちと同じ地平に自分もいるのだということと、現代社会の病理は今日、13年前に比してますます深まっていることを痛感している。
明野(あけの)照葉(てるは) は1959年、 東京都中野区生まれ。1982年 東京女子大学文理学部社会学科卒業。1998年「雨女」で第37回オール讀物推理小説新人賞を受賞し、デビュー。2000年『輪(RINKAI)廻』で第7回松本清張賞を受賞。
(令和3年2月23日 雨宮由希夫 記)
森田健司さんの小説を公開しました
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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第2回 栄一、踊る
九つになった渋沢栄一は、少しずつ、父の市郎右衛門(小林薫)の仕事を学び始めていました。各地の藍農家を回って、藍葉を買い付けるのも市郎右衛門の大事な仕事でした。父のお供で信濃国を訪れた栄一は、帰り道で父が嬉しそうな顔をしていることを指摘します。
「そうか。藍玉はいいものを作りゃ、人に嬉しがられ、自らも利を得て、また、村をうるおす事もできる。人のためにも、おのれのためにもなるいい商いだに」
「ふーん。そいうや、かっさまもおっしゃった。みんなが嬉しいのが一番だって」
「だからこそ、その藍玉をほめられるというんは、まるで、息子がほめられるみてえで嬉しいもんだに」
「なぬ、息子みてえにか」
「だけんども、藍玉と違ってこの息子は、俺の思うようには育たねえ」
父と子は笑い合うのでした。
栄一の祖父の渋沢宗助(平泉成)たちが、獅子の面を持って神社から降りてきます。この地の獅子舞は面と衣装を着けた者がひとりで踊ります。宗助は栄一たち宣言します。
「藍の採り入れが終わったら、祭りだに。今年一年の五穀豊穣と、悪疫(あくえき)退散を願う村の大事な祭りだから、気いしめて踊るんだで」
子供たちは元気に返事をします。栄一は思わず踊り出すのです。
血洗島の渋沢家には、この地域一帯を治めている、岡部藩の代官が時々やって来ます。そんなときは精一杯のもてなしで迎えることが常でした。岡部藩代官の利根良春(酒向芳)が宗助と市郎右衛門に告げます。
「めでたいことにこのたび、岡部の若殿様のお乗り出しが決まった」
「ほお、それはそれは、誠におめでとうございます」
と頭を下げる宗助と市郎右衛門。利根はいいます。
「ついては道を整えねばならぬ。六月吉日の前後十日、この村より人足を百人と、及び二千両用意するようにとのお申し付けだ」
「もちろん、喜んで」
と、答える宗助。しかし市郎右衛門は利根にいうのです。
「恐れながら、お代官様。その頃と申しますとこの村は、一年のうちで、一番人手の足りぬ時期で、毎年、ほかの村より人手を借りるほど。御用金の方はなんとか用立てます。何とぞいま少し、人足の数を、減らしてはいただけませぬかと」
市郎右衛門は深く頭を下げるのでした。利根は配膳を蹴飛ばして怒ります。
「たわけよって。その方、百姓の分際(ぶんざい)で口が過ぎるぞ。いいか、お上が百人出せといったら出すんだ」
市郎右衛門はひれ伏します。それを栄一は見ていました。母親に引き戻される栄一。栄一は井戸に向かって叫ぶのです。
「承服(しょうふく)できん。承服できっこないに。なんでとっさまが。村のみんなに慕われているとっさまが、あんなに頭を低くしなきゃなんねえに」
翌朝、宗助は皆に告げます。
「今年は、祭りはなくなった。どうにかやれんもんかと考えたがのう」
市郎右衛門が言葉を継ぎます。
「人足も、刈り入れもとあっちゃ、どうしても手が回んねえ。いろいろ掛け合ってみたが、どうにもなんなかった。みんな悪いが、力貸してくれ」
力なく返事をする村人でしたが、
「俺はやだに」と栄一が叫び出します。「俺は獅子が舞いてえ。祭りをしてくれ」
母や祖父にたしなめられる栄一。しかし栄一は引きません。
「そんじゃあ今年の五穀豊穣はどうするんだに。悪疫退散は。祭りをして、村のわりいものを追い出さねえとなんねえに」
ついに栄一は市郎右衛門にげんこつを落とされるのです。
江戸城内にある一橋家では、水戸から来た七郎麻呂が、将軍家慶(いえよし)の慶の字を賜(たまわ)り、徳川慶喜となりました。髪を結う慶喜。
「つまり一橋とは将軍家の居候という訳か」慶喜は肘(ひじ)をついて横になります。「退屈じゃ。これならば水戸で弓の稽古をしたり、当家の説教を聞いているほうがよほど幸せであった。お父上もどうしておるであろうのう」
そこへ将軍家慶(吉幾三)がやってこようとしているとの知らせが入るのです。慶喜は家慶の前では礼儀正しく振る舞うのでした。
その頃、江戸の水戸藩邸では、慶喜の父、斉昭(なりあき)(竹中直人)が声をあげていました。斉昭は幕府の命により、隠居生活を送っていたのです。水戸にいる藤田東湖(渡辺いっけい)から文(ふみ)が来ていました。
「東湖は、この私が、天子様を尊(たっと)び、異国の汚れた塵(ちり)を、祓い清めようとしていると、この文に歌ってくれたのじゃ」
と、斉昭は妻の𠮷子(原日出子)に語ります。
「今に見ておれ」斉昭は立ち上がります。「私は必ずや政(まつりごと)の場に、舞い戻ってみせる。頼むぞ。そなたが頼りじゃ。七郎麻呂。いや、一橋殿」
六月。血洗島の一番忙しい季節がやって来ました。市郎右衛門は出かける用意をしていました。妻のゑい(和久井映見)に話します。
「今が、一番でえじだ。女子供だけでつらいと思うが、頼んだからな」
お代官の命令に従い、男たちは労役に出かけて行きます。残った者たちで、桑や藍葉を刈っていきます。時期を逃すと葉に含まれる色素が変化するため、急いで刈り取らなければなりません。また、お蚕(かいこ)様が、一斉に繭(まゆ)になるのも、この時期です。こうして、男たちは労役で土木作業、日が暮れて村に帰ると、遅くまで藍の刈り取り。そんな日が何日も続きました。ゑいは作業をしながら、唄を歌い始めるのです。
「苦しいときほど楽しまねえと」
と、ゑいはいいます。女たちも歌い始め、男たちはそれに合いの手を入れていくのでした。
栄一は一人、考え込んでいました。話しかけてくる、いとこの喜作に、耳打ちするのです。
男たちが帰って来ました。刈り入れは終了しています。市郎右衛門の耳に、笛の音(ね)が聞こえてきます。吹くのは栄一のいとこの長七郎です。二つの獅子が太鼓を叩きながら踊っていました。
「何やってんだ」
あきれて声をかける市郎右衛門。面を取って顔を見せる栄一と喜作。栄一は叫びます。
「五穀豊穣。悪疫退散だに」
二人の踊りに、人々も歓声を上げ始めます。
「ったくあいつ」
市郎右衛門はゑいの顔を見ます。ゑいは笑い声を上げます。
「まったく、あの子ら、疲れてるだんべに。よっぽどみんなに喜んで欲しかったんだね」
やがて市郎右衛門も踊り出すのでした。
それから数年がたちました。
栄一、喜作、長一郎は尾高信五郎改め、尾高惇忠(田辺誠一)に剣の教えを受けていました。惇忠はいいます。
「水戸様は、太平の世はすでに終わったと仰せだ。これからは百姓であっても剣の心得は欠かせねえ」
栄一と喜作は共に剣を学び、読書に明け暮れる日々でした。
栄一は山田長政の本を歩きながら読み、泥に落ちてしまいます。着物を洗いながら、長政の渡ったシャムに行ってみたいと栄一はつぶやきます。
夕食の時、市郎右衛門がいいます。
「読書はなんも悪いこっちゃねえ。だけんど朝昼、寝るも食うも忘れて、仕事をおろそかにするとはもってのほか」
「すまん。気をつける」栄一はいいます。「だから春は江戸見物に」
「馬鹿もん」と市郎右衛門は叱りつけます。「江戸どころか、このまんまじゃ、お前にこの中の家(なかんち)を任せるわけにはいかねえ」
「えっ。いや、この家継ぐんは俺だに」
「別にお前が継がなくても、そのうちなか(村川絵梨)に婿でも取らせりゃいい」
「そんな。いいや、とっつぁま」栄一は膳を寄せて頭を下げます。「俺に継がせてくれ。頼む。そう思って今まで家業を学んできたんだに」
「いいか栄一。藍の葉は、手間暇かけた分だけいい靑が出せるんだ。手え抜く奴にその靑は出せねえ」
「私の子は、男は家祥(いえさち)を除いて皆、死んだ。家祥もあの様子では後を継いだとて、子を残せるかどうか。慶喜、水戸の壮健な体を持つそなたが、この一橋に入ったこと、徳川にとって何上と思うておる」
家慶は慶喜を寵愛し、毎日のように鷹狩りなどに連れ回しました。
長崎奉行から江戸城に使いが来て、日本との条約締結を求め、アメリカが艦隊を派遣したと知らせてきます。
血洗島では栄一が母から、春になったら父が商いの用のついでに、栄一を江戸に連れて行くつもりだと聞かされます。栄一は喜びのあまり走り出すのです。
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西山ガラシャさんの小説を公開しました。
大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第1回 栄一、目覚める
文久四年(1864)。京の野道を武士の集団が馬で駆け抜けます。それを待つ二人の青年がいました。青年たちは近づいてくる集団の前に立ちふさがります。
「渋沢栄一でございます」
と、叫びます。騎馬の武士たちはかまわず駆けてきます。もうひとりの青年に引き戻される栄一(吉沢亮)。騎馬は栄一たちの前を走り抜けていきます。栄一は走って集団を追い、声を張り上げます。
「それがしは、渋沢栄一でございます」
後ろの青年(高良健吾)も叫びます。
「それがしは、渋沢喜作と申します」
栄一はなおも走りながら大声を出します。
「今、すでに徳川のお命は尽きてございます」
「馬鹿、余計なことを」
喜作が叫びます。
「いかに取り繕うとも、すでにお命は」
そこまでいいかけて栄一は転ぶのです。顔を上げてみると、騎馬の集団は止まっています。身分の高そうな武士(草彅剛)が馬を返します。栄一と喜作は、刀を横に置いてひれ伏します。二人は武士たちに囲まれる形になります。その一人は刀を抜き放っていました。
「そなた今、なんと申した」
身分の高そうな武士がいいます。ひれ伏しながら栄一は述べます。
「すでに徳川のお命は尽きてございます。あなた様は、賢明なる水戸列侯のお子。もし、天下に事のあったとき、あなた様がその大事なお役目を果たされたいとお思いならどうか、この渋沢をおとり立てくださいませ」
身分の高そうな武士は徳川慶喜でした。
「おもてを上げよ」と慶喜はいいます。「いいたいことはそれだけか」
「否、まだ山ほどございます」
それを聞いて吹き出す武士(堤真一)がいます。慶喜が振り返ります。
「円四郎、そなたの仕業か」
「はっ」
と答える武士。慶喜はいいます。
「この者たちを明日、屋敷へ呼べ。これ以上、馬の邪魔をされては困る」
慶喜は馬を返します。
「ははっ」
と、答え、円四郎は栄一に微笑みます。
渋沢栄一と徳川慶喜の、この出会いから、日本は近代に向けて動き出すことになるのでした。
天保十五年(1844)。渋沢栄一が少年時代を送るのは、武蔵国(むさしのくに)です。
「置いてけぼりは嫌だ」
の声が里芋畑に響き渡ります。父の市郎右衛門(小林薫)が町に出かけるのです。栄一は自分も行くといって聞きません。
「強情もいいかげんにしろ、栄一」
と、栄一は父に頭から籠に入れられるのです。栄一はこの時、四歳でした。
その日の夕方は、ひどい騒ぎになっていました。栄一がいなくなったのです。使用人たちも総出で栄一を探します。
「あの子はうんとさみしがり屋で」
という母のゑい(和久井映見)に対して、祖母のまさ(朝加真由美)はいいます。
「さみしがりいうより、強情っ張りなんね」
祖父の宗助(平泉成)が心配します。
「栄一の奴、人さらいにあったんじゃねえだんべか」
朝になります。母のゑいが蚕(かいこ)棚を見回っていたところ、栄一を発見するのです。栄一はわらの中に寝ていました。母に抱きつきます。ゑいも栄一を抱きしめます。
「ずっとここに寝てたのかい」
ゑいが聞きます。
「ここで隠れといてたまげさせてやるべえと思ったんだ」
父の市郎右衛門がやって来ます。
「馬鹿もん。皆がどれだけ心配したと思ってんだ」
栄一に悪びれる様子はありません。
「そんなん、とっさまが俺を置いていくからいけねえんだんべ」
「何」
栄一は市郎右衛門に迫ります。
「置いていくなというのに置いていくんだから、どんなことになっても構わねえ」
そこまでいいかけた栄一に
「ふざけるな」
と市郎右衛門はげんこつを落とします。そして栄一の体を担ぎ上げて連れ出します。残されたゑいは嘆きます。
「あの子の強情っ張りにはあきれたもんだいね」
市郎右衛門は栄一に正座させて言い聞かせます。
「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久のもとい。怒りは敵と思え」
「どうしてなん」栄一は途中で口を出します。「どうして怒りは敵なん」
「口を挟むな」
それは徳川家康の言葉でした。父のお説教が終わり、栄一は母のもとにやって来ます。
「そんでもなあ、かっさま。俺はちっとんべ嬉しかったよ」
「はあ、嬉しい。何が」
「みんな俺を置いていかなきゃ良かったと思ったんべ。ほれ見たことかだ」
「まあ、何てことを」ゑいは諭すようにいいます。「思い浮かべてみな。とっさまの気持ち、かっさまの気持ち。お前を心配してくれた姉様や、おじさま、おばさまや、働き手みんなの気持ちを」
「そんなにたくさん思い浮かべるのは大変だに」
「思い浮かべんの。人は、生まれてきたその時からひとりでないんだよ。いろんなものとつながってんだよ」ゑいは自分の胸に手を置きます。「それをここの奥底だってわかってんだよ。一人じゃないことを」
栄一も胸に手をやります。
「おお、ここか」
「ここに聞きな。それがほんとに正しいか。正しくないか。あんたが嬉しいだけじゃなくて、みんなが嬉しいのが一番なんだで。わかったいね」
栄一は、ごめんよ、と謝るのでした。夜、栄一は作業をする右衛門の所にやって来ます。
「とっさま、おやすみなさいまし」
と、深く頭を下げるのでした。
栄一たちの暮らしているのは、武蔵国(むさしのくに)の北にある血洗島(ちあらいじま)です。土の質が稲作に向かないため、畑で麦や野菜を育てたり、カイコから生糸をとる養蚕(ようさん)をしたりして暮らしていました。また、この地の大事な収入源となっていたのが、衣類を青い色に染めるための藍作りでした。藍づくりは、藍の葉を育てるだけでなく、それを加工して藍玉(あいだま)と呼ばれる染料にするまで、大変手間のかかる仕事でした。美しい色を出す藍は人気があり、値も高く売れましたので、この辺りの領主である岡部藩を支えるほどに儲けるようになり、栄一の父、渋沢市郎右衛門は、農民として、また、藍玉作りの職人として、そしてそれを売る商人として一年中、忙しく暮らしていました。
そしてその息子の栄一は、人一倍わんぱくで、人一倍おしゃべりでした。栄一といとこの渋沢喜作は、広い畑を朝から晩まで駆け回って遊んでいました。
この緑豊かな血洗島から、東に百五十キロ離れた常陸国(ひたちのくに)水戸では軍事訓練が行われていました。水戸城外の千原ケ腹に、侍たちが集合しています。大砲を撃ち放ち、槍組が繰り出していきます。徳川御三家、水戸藩主の徳川斉昭(なりあき)(竹中直人)が指揮をとっていました。その頃、限られた国としか付き合いのなかった日本に、多くの外国船が、国交を求めて訪れるようになっていたのです。斉昭はいち早く、日本を外国から守ると立ち上がり、軍事訓練を始めていたのでした。訓練が一通り終わると、従者を連れた少年の武士が、皆の中を走り抜けていきます。七郎麻呂。後の徳川慶喜でした。七郎麻呂は放たれた雉(きじ)を弓で見事に射落とします。
七郎麻呂は厳しく育てられていました。食事について父の斉昭がいいます。毎日黒豆を百粒ずつ食べろ。牛乳を飲むを一生続けろ。湯茶は飲むな。果物のような水ものも、極力ひかえよ。当主たる者、常に乾いておらねばならん。湿る濡れるは万病の元。
「そなたには、人の上に立つ器量がある。いずれは、この父より、さらに多くの者の上に立ち、その命運を、担うことになるかもしれん。太平の世は終わった」
七郎丸に話し続ける斉昭に、公儀より使いが来た、との知らせが入ります。幕府は斉昭に、大砲を連発して世の中を騒がせたとして、隠居、謹慎を申しつけました。過激ともいえる思想を持つ斉昭は、幕府から警戒されていたのです。幕府老中の阿部正弘(大谷亮兵)が斉昭にいいます。
「寺からも鐘や仏像を召し上げ、大筒をつくるとは何事かと」
斉昭は抗弁します。
「すべて日の本を守りたいがためのこと」
「水戸に謀反の企てあり、との密告もありましたぞ」
「謀反。何を馬鹿な。この私が、どれだけ日の本のことを案じておるか。なぜ上様にはわかっていただけんのか」
六歳となった栄一は、父、市郎右衛門から、読み書きを教えてもらうようになっていました。栄一は記憶力に優れており、書物の内容をすぐに覚えてしまいます。市郎右衛門がその内容を説明します。
「上(かみ)が正しい政(まつりごと)をし、皆に幸せをもたらすということだ」
「上とは、金太郎ですか。お代官様ですか。公方様か」
「公方様でも、親でも師匠でも、人の上に立つ者は皆、上だ。上に立つ者は、下の者への責任がある」
「責任とは何だい」
「ほだな、大事なものを守る務めだ」
栄一のもう一人の遊び相手はいとこの長七郎でした。その日も棒で遊んでいると、代官一行がやってきます。栄一たちはひれ伏してその行列の過ぎるのを待ちます。行列の中には、かごに入れられた罪人がいたのです。
「きっと鬼みてえな奴にちげえねえ」
と、子供たちは罪人のことを想像します。
渋沢の親戚にあたる、尾高の家に栄一はやってきていました。尾高新五郎(田辺誠一)は、父の宗助に水戸で見た軍事訓練の様子を語っていました。
「一方、道中では、水戸様があれだけ国を守ることをお考えなのに、江戸の公方様は何もせず、太平の眠りについたままだという不平も耳にしました」新五郎は感激した様子です。「水戸様は素晴らしい。私もこれからは、水戸の教えを学び、自分なりに日の本のことを考えたいんです」
それを見ていた栄一と長七郎は話します。
「新五郎兄いは立派だな」
と、長七郎。
「なにが俺たちと違うんだがね」
と、栄一。
「俺はともかく、お前は、寂しがり屋だし、甘ったれだし、相撲も弱えし、仕方ねえだんべ」長七郎は続けます。「それに、そもそもおしゃべりな男はおなごに好かれねえだよ。男は黙っているのがいいんだんがな」
そこに栄一の従妹の千代が通りかかります。
「まことか」栄一は千代に話しかけます。「お千代もおしゃべりな男は嫌なん」
子供たちは川に遊びに来ました。千代はそこで櫛(くし)を流されてしまうのです。栄一はその櫛を取りに行きます。いつまでも櫛を探し続ける栄一に千代はいいます。
「千代は一人で探せます。栄一さんはもう」
栄一は千代のところに戻ってきます。
「俺はお千代が大事だ。お千代を幸せにしてえ。俺が歳も上だから、上に立って、きっとお千代を守ってやんべ」
二人で探しに出た場所に、ひどく汚れた格好の男が立っていたのです。栄一たちのところに歩いてきます。栄一を押しのけ、お千代に櫛を差し出します。男は捕り者たちにつかまり、引っ立てられていきました。
「あれは、逃げた鬼かい」
という栄一。
「いいえ、いいお方です」
と、千代。
江戸幕府、第十二第将軍徳川家慶(いえよし)(吉幾三)は、外国の脅威を恐れていただけでなく、内側にも大きな心配を抱えていました。息子家祥(いえさち)に子ができず、このままでは将軍を継ぐ者がいなくなるのでした。将軍に最も近い家柄と言える一橋(ひとつばし)家でも、後継ぎのないまま当主がなくなることが続き、家の存続が危ぶまれていました。老中の阿部正弘が家慶にいいます。
「つきましては、水戸様のご子息を一橋家のお世継ぎに推挙いたします」
水戸から選ぶことに、家慶は反対します。
「水戸から選ぶわけではございません」正弘はいいます。「武芸に秀で、英邁ともっぱらご評判の七郎麻呂様を選びたいのでございます」
正弘が水戸を訪ね、その旨を斉昭に伝えると、
「お断りいたします」
との返事。しかし七郎麻呂を将軍が望んでいることを聞くと、斉昭は承諾します。そして人のいない廊下で妻に喜びを爆発させるのです。
「わが息子は、水戸から初めて出る征夷、大将軍になれるやもしれんぞ」
一方、栄一は、長七郎と喜作と共に、陣屋に忍び込んで罪人の様子を見ることを計画していました。夜、起き出して陣屋に向かう三人。栄一は二人とはぐれ、ひとり罪人のもとにたどり着きます。罪人(玉木宏)は外国語で何か唱えていました。髪飾りをありがとう、と栄一はいいます。
「なんで逃げてたん」
とたずねる栄一。
「牢の戸が開いておってな。少しこの地を見物してそっと戻ろうと思ったのだ。海でも見えはせぬかと」
「岡部に海はねえぞ」
「そうだな。何にもないところだな、ここは」
「それは失礼な話だな。お蚕様がいるだんべ」
罪人は笑い声を立てます。
「この国はどうなるのだろうな」
「この国とは何だい。武蔵国かい」
「日の本だ。私は長崎で生まれた。出島で砲術を学び、シーボルトやシチュルレルからナポレオンの話を聞き、ゲベール銃やモルチール砲を取り寄せ、肥後や薩摩、ひいては江戸でもオンテレーレした。」男は砲術家の高島秋帆でした。「このままでは、この国は終わる」
「なんで。なんで日の本は終わるんだ。どうしたら助けられる」
「それは私にもわからぬ。皆がそれぞれ自分の胸に聞き、動くしかないのだ」
「おお、ここか」
栄一は自分の胸を押さえます。
「そうだ。誰かが守らなくてはな」
栄一は秋帆に叫びます。
「俺が守ってやんべえ。この国を」
帰り道で栄一たちは美しい夜明けを見るのでした。
江戸城にて七郎麻呂が将軍家慶と対面していました。一橋家に入った七郎麻呂は、将軍家慶の慶の字を賜り、徳川慶喜となりました。
大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 最終回 本能寺の変
天正十年(1582年)、五月。安土桃山城で、家康をもてなす饗応(きょうおう)が行われました。饗応役を勤めた明智光秀十兵衛(長谷川博己)に対し、織田信長(染谷将太)は激怒します。皆の前で光秀を足蹴にしてみせるのです。
「饗応役を解く」
と、信長は光秀にいいわたします。
光秀は一人、怒りと屈辱に震えていました。そこに意外なことに、機嫌の良い様子で、信長が入ってくるのです。
「あれこれいうたが気にするな。家康が、あの場でどう出るか、様子を見ておきたかったんじゃ。招かれる者がそなたを饗応役に名指しするなど、礼を失しておる。それを思い知らせてやった。それよりもそなたには一刻も早う西国へ行ってもらいたい」信長は地図を持ってこさせます。「そなたの軍は船で備後(びんご)の鞆(とも)へ向かえ」信長は扇子で地図を突きます。「鞆にいる足利義昭を殺せ。毛利がいくさの大義名分としておるのは、おのれの手の内に足利がいるからじゃ。将軍がいる限り、わしのいくさは終わらぬ。そのことがよう分かった」
光秀は京の館に帰ってきます。出迎えに出た明智左馬之助(間宮祥太郎)から、細川藤孝(眞島秀和)が京に来ていることを知らされます。藤孝に会いたいという光秀。
藤孝は公家たちと蹴鞠(けまり)を行っていました。近衛前久(本郷奏多)に呼び止められます。前久はいいます。
「聞いたか。安土で、徳川家康の饗応役を、明智が解かれたそうじゃ。不調法があったというが、まわりの目では、すでに信長殿と明智の間には、隙間風が吹いておるという」
「さようでございましたか」
「松永久秀や佐久間信盛の例もある。万が一、信長殿が明智を斬り捨て、事を構えるとなったら、そなたはたちまち、どちらにつく」
「そうならぬ事を祈るほかありませぬ」
前久は伊呂波大夫(尾野真千子)のもとを訪れます。
「へえ、明智様はそんなひどい仕打ちをお受けになったのですか」
と、大夫。
「明智はよく我慢をしていると、皆、噂しているそうじゃ。いつ信長殿に背いてもおかしくないと」
「背けばいいのですよ」
「気楽におっしゃいますがね、信長殿に刃向こうて、勝った者はひとりもいないのですよ」
「そんなことをいっていたら、世の中、何も変わらないじゃありませんか」
「仕方がありますまい」
「私は、明智様に背いて欲しい。信長様に勝って欲しい」
光秀は安土での饗応の後、信長と話したことを思い出していました。
「わたくしに、将軍を」
信長はにこやかです。
「そなたと、いくさのない世をつくろうと話したのはいつのことじゃ。十年前か、十五年前か。そなたと二人で、延々といくさをしてきた。将軍を討てば、それが終わる」
光秀は声を絞り出します。
「わたくしには、将軍は、討てませぬ」
細川藤孝がやって来て、光秀は現実に引き戻されます。光秀は藤孝にいいます。
「此度(こたび)の毛利攻めには、信長様も直々(じきじきに)にご出陣なされるため、近々上洛され、本能寺で、万端手はずをつけられる」
「出陣は来月四日とうかがいました」
「それゆえ、我ら丹波の軍勢は、上様のお下知あり次第、西国へ向かうこととなる」
「つかぬ事をうかがうが」と藤孝は体を揺らします。「上様は毛利攻めとともに、備後の鞆におられる公方様と幕府の残党を、一掃したいとのご意向がおありとのこと。上様より、お下知はございましたか」
「お下知はあったが、わたくしはお断り申した」今度は光秀が聞く番です。「以前、藤孝殿は、上様のゆきすぎを、お止めする折は、私も声をそろえて申し上げる覚悟があるといわれた。今でもそのお覚悟がおありか」
「覚悟とは、どれほどの覚悟でございましょう」
「覚悟には、果てはありませぬ」
帰り道で藤孝は家臣に命じます。
「急ぎ備中の羽柴殿に使いを出せ。何も起らぬ事を願うが、あるかもしれんと伝えよ」
その場を通り過ぎる行商人がいました。徳川家康に仕える忍び、菊丸(岡村隆史)だったのです。
近衛前久は帝(みかど)に拝謁にやって来ていました。帝が前久に確かめます。
「織田と明智が、さほどの仲となったのか」
前久は答えます。
「はっ。今日、参内(さんだい)いたしましたのは、双方が朝廷に、力をお貸しいただきたいと願い出たとき、お上はどちらをお選び遊ばされるか、御意をうけたまりたく」
「花を見、川を渡り、おのれの行くべき所へ行く者を、ただただ、見守るだけぞ」
天正十年五月。光秀は、本拠地の丹波に入りました。愛宕山の寺にて、光秀は再び思い出していました。信長の妻の帰蝶がいっていました。
「毒を盛る。信長様に。今の信長様をつくったのは父上であり、そなたなのじゃ。その信長様が一人歩きを始められ、思わぬ仕儀となった。よろず、つくった者が、その始末を為すほかあるまい。違うか」
饗応の後、信長と話したことも頭に浮かびます。
「わしを変えたのは、いくさか。違う。乱れた世を変え、大きな世をつくれとわしの背中を押したのは誰じゃ。そなたであろう。そなたがわしを変えたのじゃ。今さらわしは引かぬ。そなたが将軍を討たぬというのなら、わしがやる。わしがひとりで、大きな国をつくり、世を平らかにし、帝さえもひれ伏す、万上(ばんじょう)の主(あるじ)となる」
五月二九日。信長は、安土からわずかな供を引き連れ、宿所の本能寺に入りました。
丹波の亀山城では、光秀が家臣である明智左馬之助、藤田伝吾(徳重聡)、斎藤利三(須賀貴匡)の三人を前にしていました。光秀は話し出します。
「われらは備中へは行かぬ。京へ向かう」
「京のいずこへ参ります」
と、訪ねる利三に対し、光秀は答えます。
「本能寺」光秀は立ち上がります。「わが敵は、本能寺にある。その名は、織田信長と申す。信長様を討ち、心ある者と手を携え、世を平らかにしていく。それがわが役目と思い至った」光秀は刀を抜き、三人の前に置きます。「誰でも良い。わしが間違うておると思うなら、この太刀で、わしの首をはねよ。今すぐはねよ」
それに対して伝吾がいいます。
「殿、皆、思うところは同じでございまするぞ」
三人は頭を下げ、同意の意思を示すのでした。
文(ふみ)を書いている光秀のもとへ、誰かがやって来ます。
「左馬之助か」
と、光秀は問いますが、現れたのは菊丸でした。
「今、わが殿は堺におられますが、私はお側付を解かれ、以後、十兵衛様をお守りするように命じられて参りました」
光秀は書き上がったばかりの文を持って立ち上がります。
「此度(こたび)、わしが向かうところがどこであるか存じておるか」
「おおよそは」
「わしは、このいくさは所詮、おのれ一人のいくさだと思うておる。ただ、このいくさに勝った後、何としても家康殿のお力添えをいただき、共に天下を治めたい。二百年も、三百年も穏やかな世が続く政(まつりごと)を行うてみたいのだ」
「はい」
「もし、わしが、このいくさに破れても、後を頼みたいと、そうもお伝えしてくれ」光秀は菊丸の側にしゃがみます。「今、堺におられるのは危ういやもしれん。急ぎ三河にお戻りになるのが良い。菊丸もここから去れ」光秀は菊丸の肩に手を置きます。「新しき世になった折、また会おうぞ」
光秀は家康宛の文を菊丸に渡すのでした。
備中の羽柴秀吉の本陣では、秀吉が細川藤孝からの文を読んでいました。家臣の黒田官兵衛にいいます。
「明智様が、信長様に刃向かう恐れがあるという」秀吉は声を張ります。「やれば良いのじゃ。明智様が上様を、やれば、おもしろい」
秀吉は官兵衛に、毛利など相手にしている場合ではないと話します。さっさと片づけて帰り支度をするようにと命じます。秀吉は一人いいます。
「明智様が、天下をぐるりと回してくれるわい」
天正十年六月二日早暁。光秀の軍勢が本能寺を取り囲みます。光秀は太刀を抜き放ち、
「かかれ」
と叫びます。応える家臣たち。本能寺に兵が流れ込みます。
外の騒ぎに信長は目を覚まします。寝間着姿のまま廊下を歩くと、森蘭丸(板垣瑞正)が駆けつけてきて、軍勢が取り囲んでいることを知らせます。水色桔梗(ききょう)の旗印から明智光秀かと思われると述べます。信長たちのもとへ無数の矢が飛来します。信長は肩に傷を受けます。寝室に避難した信長はうめくようにいいます。
「十兵衛。そなたが。そうか」信長は笑い声を立てます。「十兵衛か」信長は笑いながら目に涙をためます。「であれば、是非もなし」
信長は槍を持って打ち掛かる者たちを倒していきます。弓を持って光秀の武将を貫きます。ついに力尽きた信長は、蘭丸を連れて奥へ引き上げるのです。
「わしはここで死ぬ。蘭丸、ここに火をつけよ。わしの首は誰にも渡さぬ。火をつけよ。わしを焼き尽くせ」
本能寺の外にいる光秀たちは、火の手が上がるのを目にします。場所は奥書院かと思われました。光秀の胸に信長との思い出が去来します。同じく信長も光秀のことを思い出していました。
望月東庵(堺正章)の治療院に伊呂波大夫がやってきて、本能寺でいくさの行われていることを知らせます。駒(門脇麦)は着物の膝を握りしめます。
光秀は本能寺の焼け落ちた場所にいました。すでに火は消えています。信長の死体は見つかりませんでした。光秀は引き上げようとします。馬に乗る光秀に、伊呂波大夫が声をかけてくるのです。
「きっとこうなると思っていましたよ。帝もきっと、お喜びでしょう。明智様なら、美しい都を取り戻してくださる」
「美しい都。それは約束する。駒殿に伝えてもらえるか。必ず、麒麟が来る世にしてみせると」光秀は宙を見すえます。「麒麟は、この明智十兵衛光秀が、必ず呼んでみせると」
光秀の一行は大夫の前から去って行きます。
この日、明智光秀は天下を取りました。本能寺の変は、人々を驚愕させ、時代を一変させました。織田家家臣筆頭の柴田勝家は、遠い戦地で身動きが取れず、なすすべがありませんでした。光秀の有力な味方と思われていた武将たちは、一斉に沈黙しました。徳川家康は次の事態に備えるために、三河へ走りました。しかし光秀の天下はここまででした。六月十三日、西国から思わぬ早さで戻ってきた羽柴秀吉が、立ちふさがったのでした。光秀は敗れます。世の動きは、一気に早まりました。
本能寺の変から三年がたちました。駒は備後の鞆にいる足利義昭を訪ねていました。そこで義昭に、光秀が生きているという噂があることを話します。義昭は笑って相手にしません。
市場を行く駒は、見知った後ろ姿を見つけるのです。
「十兵衛様」
と駆け寄りますが、光秀はもういません。駒は人混みをかき分けて走り、ついに袋小路に行き着きます。そこに人の姿はありませんでした。