日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第2回 栄一、踊る

 九つになった渋沢栄一は、少しずつ、父の市郎右衛門(小林薫)の仕事を学び始めていました。各地の藍農家を回って、藍葉を買い付けるのも市郎右衛門の大事な仕事でした。父のお供で信濃国を訪れた栄一は、帰り道で父が嬉しそうな顔をしていることを指摘します。

「そうか。藍玉はいいものを作りゃ、人に嬉しがられ、自らも利を得て、また、村をうるおす事もできる。人のためにも、おのれのためにもなるいい商いだに」

「ふーん。そいうや、かっさまもおっしゃった。みんなが嬉しいのが一番だって」

「だからこそ、その藍玉をほめられるというんは、まるで、息子がほめられるみてえで嬉しいもんだに」

「なぬ、息子みてえにか」

「だけんども、藍玉と違ってこの息子は、俺の思うようには育たねえ」

 父と子は笑い合うのでした。

 栄一の祖父の渋沢宗助(平泉成)たちが、獅子の面を持って神社から降りてきます。この地の獅子舞は面と衣装を着けた者がひとりで踊ります。宗助は栄一たち宣言します。

「藍の採り入れが終わったら、祭りだに。今年一年の五穀豊穣と、悪疫(あくえき)退散を願う村の大事な祭りだから、気いしめて踊るんだで」

 子供たちは元気に返事をします。栄一は思わず踊り出すのです。

 血洗島の渋沢家には、この地域一帯を治めている、岡部藩の代官が時々やって来ます。そんなときは精一杯のもてなしで迎えることが常でした。岡部藩代官の利根良春(酒向芳)が宗助と市郎右衛門に告げます。

「めでたいことにこのたび、岡部の若殿様のお乗り出しが決まった」

「ほお、それはそれは、誠におめでとうございます」

 と頭を下げる宗助と市郎右衛門。利根はいいます。

「ついては道を整えねばならぬ。六月吉日の前後十日、この村より人足を百人と、及び二千両用意するようにとのお申し付けだ」

「もちろん、喜んで」

 と、答える宗助。しかし市郎右衛門は利根にいうのです。

「恐れながら、お代官様。その頃と申しますとこの村は、一年のうちで、一番人手の足りぬ時期で、毎年、ほかの村より人手を借りるほど。御用金の方はなんとか用立てます。何とぞいま少し、人足の数を、減らしてはいただけませぬかと」

 市郎右衛門は深く頭を下げるのでした。利根は配膳を蹴飛ばして怒ります。

「たわけよって。その方、百姓の分際(ぶんざい)で口が過ぎるぞ。いいか、お上が百人出せといったら出すんだ」

 市郎右衛門はひれ伏します。それを栄一は見ていました。母親に引き戻される栄一。栄一は井戸に向かって叫ぶのです。

「承服(しょうふく)できん。承服できっこないに。なんでとっさまが。村のみんなに慕われているとっさまが、あんなに頭を低くしなきゃなんねえに」

 翌朝、宗助は皆に告げます。

「今年は、祭りはなくなった。どうにかやれんもんかと考えたがのう」

 市郎右衛門が言葉を継ぎます。

「人足も、刈り入れもとあっちゃ、どうしても手が回んねえ。いろいろ掛け合ってみたが、どうにもなんなかった。みんな悪いが、力貸してくれ」

 力なく返事をする村人でしたが、

「俺はやだに」と栄一が叫び出します。「俺は獅子が舞いてえ。祭りをしてくれ」

 母や祖父にたしなめられる栄一。しかし栄一は引きません。

「そんじゃあ今年の五穀豊穣はどうするんだに。悪疫退散は。祭りをして、村のわりいものを追い出さねえとなんねえに」

 ついに栄一は市郎右衛門にげんこつを落とされるのです。

 江戸城内にある一橋家では、水戸から来た七郎麻呂が、将軍家慶(いえよし)の慶の字を賜(たまわ)り、徳川慶喜となりました。髪を結う慶喜

「つまり一橋とは将軍家の居候という訳か」慶喜は肘(ひじ)をついて横になります。「退屈じゃ。これならば水戸で弓の稽古をしたり、当家の説教を聞いているほうがよほど幸せであった。お父上もどうしておるであろうのう」

 そこへ将軍家慶(吉幾三)がやってこようとしているとの知らせが入るのです。慶喜は家慶の前では礼儀正しく振る舞うのでした。

 その頃、江戸の水戸藩邸では、慶喜の父、斉昭(なりあき)(竹中直人)が声をあげていました。斉昭は幕府の命により、隠居生活を送っていたのです。水戸にいる藤田東湖渡辺いっけい)から文(ふみ)が来ていました。

「東湖は、この私が、天子様を尊(たっと)び、異国の汚れた塵(ちり)を、祓い清めようとしていると、この文に歌ってくれたのじゃ」

 と、斉昭は妻の𠮷子(原日出子)に語ります。

「今に見ておれ」斉昭は立ち上がります。「私は必ずや政(まつりごと)の場に、舞い戻ってみせる。頼むぞ。そなたが頼りじゃ。七郎麻呂。いや、一橋殿」

 六月。血洗島の一番忙しい季節がやって来ました。市郎右衛門は出かける用意をしていました。妻のゑい(和久井映見)に話します。

「今が、一番でえじだ。女子供だけでつらいと思うが、頼んだからな」

 お代官の命令に従い、男たちは労役に出かけて行きます。残った者たちで、桑や藍葉を刈っていきます。時期を逃すと葉に含まれる色素が変化するため、急いで刈り取らなければなりません。また、お蚕(かいこ)様が、一斉に繭(まゆ)になるのも、この時期です。こうして、男たちは労役で土木作業、日が暮れて村に帰ると、遅くまで藍の刈り取り。そんな日が何日も続きました。ゑいは作業をしながら、唄を歌い始めるのです。

「苦しいときほど楽しまねえと」

 と、ゑいはいいます。女たちも歌い始め、男たちはそれに合いの手を入れていくのでした。 

 栄一は一人、考え込んでいました。話しかけてくる、いとこの喜作に、耳打ちするのです。

 男たちが帰って来ました。刈り入れは終了しています。市郎右衛門の耳に、笛の音(ね)が聞こえてきます。吹くのは栄一のいとこの長七郎です。二つの獅子が太鼓を叩きながら踊っていました。

「何やってんだ」

 あきれて声をかける市郎右衛門。面を取って顔を見せる栄一と喜作。栄一は叫びます。

「五穀豊穣。悪疫退散だに」

 二人の踊りに、人々も歓声を上げ始めます。

「ったくあいつ」

 市郎右衛門はゑいの顔を見ます。ゑいは笑い声を上げます。

「まったく、あの子ら、疲れてるだんべに。よっぽどみんなに喜んで欲しかったんだね」

 やがて市郎右衛門も踊り出すのでした。

 それから数年がたちました。

 栄一、喜作、長一郎は尾高信五郎改め、尾高惇忠(田辺誠一)に剣の教えを受けていました。惇忠はいいます。

「水戸様は、太平の世はすでに終わったと仰せだ。これからは百姓であっても剣の心得は欠かせねえ」

 栄一と喜作は共に剣を学び、読書に明け暮れる日々でした。

 栄一は山田長政の本を歩きながら読み、泥に落ちてしまいます。着物を洗いながら、長政の渡ったシャムに行ってみたいと栄一はつぶやきます。

 夕食の時、市郎右衛門がいいます。

「読書はなんも悪いこっちゃねえ。だけんど朝昼、寝るも食うも忘れて、仕事をおろそかにするとはもってのほか」

「すまん。気をつける」栄一はいいます。「だから春は江戸見物に」

「馬鹿もん」と市郎右衛門は叱りつけます。「江戸どころか、このまんまじゃ、お前にこの中の家(なかんち)を任せるわけにはいかねえ」

「えっ。いや、この家継ぐんは俺だに」

「別にお前が継がなくても、そのうちなか(村川絵梨)に婿でも取らせりゃいい」

「そんな。いいや、とっつぁま」栄一は膳を寄せて頭を下げます。「俺に継がせてくれ。頼む。そう思って今まで家業を学んできたんだに」

「いいか栄一。藍の葉は、手間暇かけた分だけいい靑が出せるんだ。手え抜く奴にその靑は出せねえ」

 江戸城では、慶喜が将軍家慶の話を聞いていました。

「私の子は、男は家祥(いえさち)を除いて皆、死んだ。家祥もあの様子では後を継いだとて、子を残せるかどうか。慶喜、水戸の壮健な体を持つそなたが、この一橋に入ったこと、徳川にとって何上と思うておる」

家慶は慶喜を寵愛し、毎日のように鷹狩りなどに連れ回しました。

長崎奉行から江戸城に使いが来て、日本との条約締結を求め、アメリカが艦隊を派遣したと知らせてきます。

血洗島では栄一が母から、春になったら父が商いの用のついでに、栄一を江戸に連れて行くつもりだと聞かされます。栄一は喜びのあまり走り出すのです。