日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第496回 バロン

第496回 バロン

平成元年十月(1989)
池袋 文芸坐

 

 ミュンヒハウゼン男爵はドイツに実在した人物。架空の冒険談を面白おかしく語り、やがてその聞き書きが尾ひれをつけて出版され、世界各国で有名になった。このほら男爵を主人公にテリー・ギリアムが監督。
 十八世紀末、トルコの侵攻を受けるドイツの港町。町の劇場で演じられているのがミュンヒハウゼン男爵の冒険物語。その舞台にひとりの老人が割り込んでくる。われこそは本物のミュンヒハウゼン男爵であり、こんな茶番は許せないと抗議する。そして観客を前に語り始める。トルコ軍が攻めてくる本当の理由、それは自分のせいだと。
 かつて四人の特殊能力を持つ家来を使って、サルタンとの賭けに勝ち、宝物庫の財宝をことごとく持ち去ったので、今もトルコ軍から命を狙われている。
 そこで今回のトルコ軍の攻撃を食い止めるため、二十年前に別れた四人の家来を探し出す新たな冒険が始まる。
 女性の下着をつなぎあわせて作った気球で月へ行ったり、火山に落下してヴァルカンとヴィーナスに出会ったり、怪魚に食われて腹の中で家来と再会したり。
 現実よりも空想を愛するミュンヒハウゼン男爵はテリー・ギリアムのライフワークともいえるドン・キホーテに通じる。
 男爵と行動をともにする座長の幼い娘が子役時代のサラ・ポーリー。貝殻から全裸で登場する美神ヴィーナスがユマ・サーマン。武器製造の神ヴァルカンがオリヴァー・リード。単独で敵地に乗り込み味方を救い出した勇敢な兵士を規律違反で処刑する杓子定規な長官がジョナサン・プライス。その兵士がノンクレジットのスティング。月の王がロビン・ウィリアムズ。そして俊足すぎて足に鉄の玉を鎖でくくりつけているのがエリック・アイドル
 豪華キャストによるファンタジーであり、モンティ・パイソン時代の馬鹿馬鹿しさはかなり抑えられている。

 

バロン/The Adventures of Baron Munchausen
1988 イギリス/公開1989
監督:テリー・ギリアム
出演:ジョン・ネヴィルサラ・ポーリーエリック・アイドルオリヴァー・リードユマ・サーマンジョナサン・プライス、ヴァレンティナ・コルテーゼ、ロビン・ウィリアムズ

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第24回 変わらぬ人

 頼朝が巻狩りから、鎌倉に帰ってきます。

 源範頼迫田孝也)は、安達盛長(野添義弘)と話します。

「うかつでございました」安達盛長は柱に寄りかかります。「まさか生きておられたとは」

 愕然として、範頼がいいます。

「私が鎌倉殿の座を狙ったと疑われても仕方がない」

「蒲殿(範頼)にそのお気持ちがないことは、私はよく分かっております」

「おぬしが分かっていてもな」

「朝廷への使者を、急ぎ呼び戻しております」

「確かに。あの書状を見られては、さらに疑われてしまう」

 しかしその書状は、頼朝に届けられていたのです。

 義時(小栗旬)が書状を読んでいます。

「範頼が朝廷へ送ろうとしていたものだ」

 と、頼朝(大泉洋)が告げます。大江広元栗原英雄)がいいます。

「蒲殿は、ご自分が鎌倉殿になるおつもりだったようです」

 義時が声を出します。

「それは、恐らく、混乱を治めるため」

「範頼を連れて参れ」

 と、頼朝は義時に命じます。

 範頼は、起請文(きしょうもん)を書いて、頼朝に会います。

 頼朝は範頼の持ってきた起請文を読みます。

「そこに書いてあることが、すべてにございます」 

 と、範頼は述べます。頼朝がいいます。

「謀反ではないと申すのだな」頼朝は書状を見せます。「これを都に送ったわけは」

「あの時は、兄上が討たれたと思い込んでおりました。誰かが兄上の後を継ぎ、采配を振るうべきと考えました」

「なぜわしが生きて帰ってくると思わなかった」頼朝は範頼を見すえます。「死んで欲しいという思いが先に立ったのではないのか」

 範頼は懸命に訴えます。

「すべては鎌倉を守るため。これからも忠義の心を忘れず、兄上と鎌倉のためにこの身を捧げとうございます。このたびのこと」範頼はひれ伏します。「どうか、お許し下さい」

 しかし大江広元は、起請文に難癖をつけます。義時が口を挟みます。

「それは、言いがかりでございます」

 頼朝が問います。

「さあ、どう言い逃れする。わしを説き伏せてみよ、範頼」

 範頼は力なくいいます。

「もう、結構でございます」

 範頼は死罪を免れ、伊豆の修善寺に幽閉されることになります。

 後白河法皇が世を去り、王姫(南沙羅)が、帝(みかど)の妃(きさき)となる話は消えました。頼朝は都で力を伸ばす、一条家に王姫を嫁がせようとします。しかし王姫は木曽義仲の息子である義高が忘れられずにいます。

 王姫は和田義盛横田栄司)の家人となっている、巴御前秋元才加)相談します。巴は、人は生きている限り、前へ進まなければならない、と語ります。

 王姫は京に行って、帝の妃となることを決心します。

 頼朝は二度目の上洛をします。

 京に着いた王姫は、母の政子と共に、後白河法皇の愛妾であった丹後局鈴木京香)に会いに行きます。

「もう入内(じゅだい)が決まったような口ぶりですね」丹後局は、政子に近づきます。「頼朝卿はともかく、あなたはただの東夷子(あずまえびす)。その娘が、たやすく入内などできるとお思いか。どこに行き、誰に会うべきか、指南してくれとすがってくるかと思えば。厚かましいにも程がある」

 政子は冷静さを保ち、丹後局に頭を下げます。

「どうかお知恵を、お授け下さいませ」

「そなたの娘など、帝からすれば、あまたいるおなごの一人にすぎぬのじゃ。それを忘れるな」丹後局は座ります。「頼朝卿に伝えよ。武力を笠に着て、何事も押し通せるとは思われぬように、と」

 夜、頼朝と政子は話します。

「言わせておけ。今は敵に回したくない。こらえてくれ」

 と、横になった頼朝はいいます。政子が訴えます。

「王姫が心配です」

「わしも今日は嫌な目に遭った。唐(から)の国の匠(たくみ)に会うはずだったが、かなわなかった。わしが罪深く、御仏に見放されているからだそうだ」

「言わせておきましょ」

「都は好かん」 

 王姫は病に倒れ、入内の話は延期となります。鎌倉へ戻っても、王姫の容体は、悪化する一方でした。そのまま衰弱の一途をたどり、王姫は、20歳の生涯を閉じるのでした。

 頼朝は仏像を前にいいます。

「誰かがわしを、源氏を呪っておる。思い当たるのは、一人しかおらぬ。やはり、生かしておくべきではなかったか」

 範頼はのどかな生活を送っていました。野菜の収穫に喜びます。その姿を善児(梶原善)が見ています。範頼は善児に刺されて死ぬのでした。

 頼朝はこのところ、熟睡したことがありませんでした。天から生かされていたこの男は、気づいているのでした。自分の死が、間近に迫っていることを。

第495回 モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル

第495回 モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル

昭和五十五年二月(1980)
渋谷 西武劇場

 

 私は映画が大好きなので、次から次へと映画を観続けている。中にはつまらない映画もたくさんある。どんなジャンルにもそれはある。低予算のB級映画にもそれはあるし、莫大な予算でベテラン監督で有名スターが出ていても、それはある。が、私はつまらない映画をけなすのは嫌いなのだ。どんなにつまらない映画でも、それは結果であり、作っている人たちはみなつまらない映画を作ろうと思っているわけではなく、一所懸命だと思う。だから、つまらない映画のことはここでは言及しない。
 それとは別に、世の中にはくだらない映画がある。が、私はその手の作品がけっこう好きなのだ。なぜなら、くだらない映画は作っている人たちが真摯に前向きにくだらなさを追求しているからだ。ああ、くだらないと言われたいために。
 学生時代にTVで放送されたモンティ・パイソンに夢中になり、毎週、欠かさずに観ていた。馬鹿馬鹿しいギャグの数々は、相当にくだらなかったが、大好きだった。
 その劇場版、アーサー王と円卓の騎士による聖杯探求の物語を描いた『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』はとんでもなくくだらなかった。
 アーサー王が登場する場面、馬の蹄の音とともに丘を駆けのぼってくる騎士。が、全身が映ると馬はなく、体を揺らして跳び歩いているだけ。後ろで従僕がココナッツの殻を叩いて、パカパカと蹄の音を出している。一事が万事で、この手の幼稚なギャグが延々と続くのだ。
 塔に閉じ込められた乙女を救うため、大殺戮を繰り広げるランスロット卿。が、塔にいるのは乙女ではなく、やたらミュージカル風に歌いたがるゲイの王子。
 淫乱な美女たちに誘惑される寸前、騎士たちに救助され残念がるガラハッド卿。
 アーサー王伝説の解説をしている途中、騎士に斬り殺される歴史学者
 トロイの木馬風の巨大なウサギを敵の城に置きながら、だれも中に入るのを忘れていたり。あまりのくだらなさに爆笑にはならず。でも好きである。

 

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル/Monty Python and the Holy Grail
1975 イギリス/公開1979
監督:テリー・ギリアムテリー・ジョーンズ
出演:ジョン・クリーズエリック・アイドル、グラハム・チャップマン、マイケル・ペリンテリー・ジョーンズテリー・ギリアム

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第23回 狩りと獲物

 巻狩りの仕切りを任された、父の北条時政坂東彌十郎)のもとを、義時(小栗旬)が訪ねます。

「父上、私に隠していることはございませんか」

 と、外を見ながら義時は聞きます。

「何の話だ」

 と、時政は応じます。義時は声をひそめます。

「曽我の兄弟。梶原の平三殿が動いております」

「ありゃただの敵(かたき)討ちだ」

「やはり、ご存じないのですね。敵討ちというのは見せかけ。あの者たちは、鎌倉殿への謀反(むほん)をたくらんでおります」

「何だと」

「父上は、利用されたのです」

 巻き狩りに頼朝親子が出発しようとしていました。政子たちにあいさつします。

「万寿(まんじゅ)(金子大地)の初陣(ういじん)じゃ」と、頼朝(大泉洋)は言葉に力を込めます。「みずから獲物を討ち取り、皆々(みなみな)の前で、山の神に捧げる。万寿こそが、次なる鎌倉殿と知らしめるのだ」

 万寿は頼朝にうなずいて見せます。

 巻狩りとは、猪や鹿を仕留める、大規模な狩りのことです。何日もかけて行われる、大軍事演習でもあります。この日、坂東各地から、御家人が義朝のもとに集結しました。

 しかし万寿は思うように獲物を仕留められないのです。義時の息子の金剛(坂口健太郎)は見事な鹿を仕留めます。

 夜、皆が酒を酌み交わす中、比企能員佐藤二朗)が姪(めい)の比奈(堀田真由)を連れてやって来ます。頼朝の相手をさせます。ところが比奈は、一人、作業をする義時のもとにやって来るのです。比奈と義時は、狩りの下見に夜道に出ます。そこに猪が現れ、二人は逃げ出すのでした。

 翌日、弓をうまく扱えない万寿は、金剛にやってみるよう促します。金剛は見事、鳥を射落とします。 

 比企能員安達盛長(野添義弘)は、万寿のために仕掛けを施します。動かない、作り物の鹿を万寿に射させ、それを功績にさせようとします。仕掛けが成功すると、頼朝は叫びます。

「山の神もお認めになられた。万寿こそ我が跡継ぎにふさわしい」

 万寿は金剛と話します。万寿は仕掛けのことを気付いていました。

「私はいつか、弓の達人になってみせる。必ず自分の力で、鹿を仕留めてみせる。必ず」

 そう語る万寿に

「楽しみにしています」

 と、金剛は応じるのでした。

 事件が起こったのは、五月二十八日の夜のことでした。武装した曽我兄弟が動き始めます。

 そんなことを知らない頼朝は、比奈のもとに向かおうとしていました。なりません、と珍しく安達盛長が諫(いさ)めます。しかし頼朝は工藤祐経坪倉由幸)を身代わりに寝かせ、こっそりと出かけていくのでした。

 頼朝は比奈のもとにやって来ます。しかしそこには比奈と共に、義時もいたのです。頼朝は大声を出します。

「わしは征夷大将軍じゃ。側妻(そばめ)を持つのがそんなにいけないことか」

 義時は引きません

「あなたというお人が分かりません。比奈殿と私を結びつけようとされたのは、ご自身ではないですか」

「政子じゃ。あれが勝手にいいだしたこと。それにお前、比奈にはその気はないんだろう」

「そのようなことは申しておりません。良い方を、お引き合わせ下さったと思っております」

「あっそう。お前とおなごを取り合うのは、もうごめんじゃ。帰る」

 頼朝は立ち去ります。それを追おうとする義時を、比奈が引き止めます。

「お気持ち嬉しゅうございます」

「あれは方便」

 という義時を比奈は放しません。

「いいえ、違うと思います」

 義時は完全に頼朝を見失います。

 曾我兄弟は、北条から借りた兵と共に、頼朝の宿舎に向かおうとしていました。そこは畠山重忠中川大志)が警護をしています。曽我兄弟の一団と、畠山の一団が、激突します。曽我五郎(田中俊介)は乱戦を抜け出し、寝ている頼朝と思われる人物を斬りつけます。

 巻狩りを行う坂東武者たちの間に、頼朝が死んだ、との話が伝わります。時政は義時に

「世の中ひっくり返るぞ」

 と、いいます。

 しかしこんな中、万寿は落ち着いているのです。的確な命令を出し、跡取りとしての貫禄を示します。

 義時は寝間着を着た遺体を確認します。そこへ頼朝が現れるのです。

「これは、何事じゃ」

 義時は安堵のため息をつきます。

 混乱の中、襲撃の第一報が、鎌倉にもたらされます。比企能員は万寿のまで死んだと聞き、頼朝の弟とである蒲殿(源範頼)(迫田孝也)を鎌倉殿にしようと画策します。

 時政と義時の親子は話し合います。このまま曽我五郎を殺せば、頼朝が自分への不満の口封じをしたと噂が立つ。兵を貸した時政も罪に問われかねない。

 義時は頼朝に、謀反ではなかったと話します。

「鎌倉殿の身代わりとなった工藤殿は、曾我兄弟とは因縁深き間柄。かつて兄弟の父親を殺(あや)めたのが工藤殿」義時は頼朝に近づきます。「これは、敵討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った敵討ちにございます」

 頼朝は納得します。

「確かに。わしの治めるこの坂東で、謀反など起こるはずもない」

 縛られた曽我五郎の前に、頼朝が姿を現します。梶原景時中村獅童)が語ります。父の敵討ちはまことにあっぱれであった。しかし巻狩りの場で、騒ぎを起こしたことは、許すことはできない。よって斬首とする。頼朝が五郎に声をかけます。

「曽我五郎。おぬしが兄弟の討ち入り、見事であった。まれなる美談として、末代までも語り継ごう」

 五郎は立ち去る頼朝に叫びます。

「違う。俺が狙ったのは、頼朝だ。祖父、伊東祐親を死なせたのも、坂東をおかしくしたのも、頼朝なんだ。聞いてくれ」

 五郎は連れ去られていきます。

 頼朝は鎌倉に戻ることにします。義時にいいます。

「時政は、曽我五郎の烏帽子親だと聞いた。此度(こたび)の一件、北条は関わりないのだな。信じて良いな」

 間を開けて義時は答えます。

「もちろんでございます」

「よかろう。小四郎。二度とわしの側を離れるな。わしのためでもあるが、お前のためでもある」

「かしこまりました」義時は原野に目を向けます。「やはり、鎌倉殿は天に守られております」

 頼朝は顔をしかめます。

「そうだろうか。確かに、此度(こたび)も命は助かった。だかこれまでとは違った。今までははっきりと、天の導きを感じた。声が聞こえた。だが昨日(きのう)は、何も聞こえなかった。たまたま助かっただけじゃ。次はもう無い。小四郎。わしがなすべき事は、もうこの世に残っていないのか」

 頼朝は低い声で笑うのでした。

 夜、義時は、比奈のもとを訪ねます。鎌倉へ帰ったら、自分の世話は無用だと言い放ちます。もう少し側(そば)にいさせて欲しいという比奈に、義時は話します。

「私は、あなたが思っているよりも、ずっと汚い。一族を守るためなら、手立てを選ばぬ男です。一緒にいても幸せにはなれぬ。そして何より、私は、死んだ妻のことを忘れることができない。申し訳ない」

 しかし比奈は義時を呼び止めるのです。

「私の方を向いてくれとはいいません。私が小四郎殿を見ていれば、それでいいのです」

 義時は困惑しながらも、比奈に振り返るのでした。

 しかし事はこれで終わりではありませんでした。大江広元栗原英雄)が頼朝に伝えます。蒲殿が、次の鎌倉殿になったかのような振る舞いだった。

「信じられん」と声を出す頼朝でしたが、次第に激昂してきます。「範頼め」

 

ZOOM講演会のお知らせ

「コロナ以降の出版市況 ITが編集者を変える」

日時:6月19日(日)午後3時〜

講師:永田勝久氏(小学館編集者、元徳間書店編集局長)

 

まさにコンテンポラリーなテーマ、これからの出版界、小説界の動向を知るためにも、ぜひみなさま、参加してください。
参加・不参加のメールを事務局・加藤までお送りください。

※会員以外の方で参加希望の方は当会までご連絡ください。
 よろしくお願い致します。

『映画に溺れて』第494回 ゲットスマート

第494回 ゲットスマート

平成二十年十月(2008)
新宿 新宿ピカデリー

 一九六〇年代はショーン・コネリー007の全盛期で、それにあやかったスパイものがたくさん作られ、TVでも『ナポレオン・ソロ』『スパイ大作戦』『それいけスマート』などが人気だった。中学生の私が、その中でも特に気に入っていたのがスパイ映画を茶化したコメディ『それ行けスマート』で、毎週楽しみだった。
 悪の組織と戦う合衆国の極秘スパイ組織。そのエージェントがドン・アダムズふんするマックス・スマート。優秀なのかどうか、とんでもない粗忽者。今でも覚えているのが、迫り来る敵をばんばん撃ち殺す凄腕。でもよく見たら、敵と思ったのが実は味方で、死体を前に平然ととぼけている場面など、かなり過激なジョークだった。
 一九八〇年代にアダムス主演の劇場版も作られており、衣類を消してしまうヌード爆弾というバカバカしい兵器が登場、共演が『エマニュエル夫人』のシルビア・クリステルだったとか。残念ながら未見である。
 そして二十一世紀、スティーブ・カレル主演で装いも新たに『ゲットスマート』が登場した。
 長い秘密の通路の先にある偽装電話ボックスなど、TVシリーズのギャグのセンスは、かなり残しているように思う。そして、コメディではあるが、アクション映画としての見せ場もいろいろと用意されている。
 極秘スパイ組織の裏方である情報処理係のスマートが肥満を克服し、第一線での活躍を希望するが、なかなか叶わない。悪の組織によってトップエージェントたちが次々と消され、ようやくスマートにもお鉢が回ってくる。
 相棒がアン・ハサウェイのセクシーな99号。チーフのアラン・アーキン、大統領のジェームズ・カーン、それに悪の組織のリーダーがテレンス・スタンプと配役も渋い。偽装の樹木の中に潜み続けるエージェントがビル・マーレイという遊びもあり。
 TVオリジナル版の脚本はメル・ブルックスバック・ヘンリーが担当していた。

ゲットスマート/Get Smart
2008 アメリカ/公開2008
監督:ピーター・シーガル
出演:スティーブ・カレル、アン・ハサウェイドウェイン・ジョンソンアラン・アーキンテレンス・スタンプジェームズ・カーンマシ・オカビル・マーレイ

 

大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第22回 義時の生きる道

 妻の八重の死を知り、義時(小栗旬)はつぶやきます。

「天罰だ」

 三浦義村山本耕史)がいいます。

「そんなふうに考えるな」

 夜、義時は、息子の金剛にいいます。

「父が、お前を育て上げてみせる」

 子どもたちが多く暮らす義時の館に、頼朝(大泉洋)がやって来ます。上洛が決まったことを知らせます。一緒に来てくれという頼朝に、義時は良い返事をしません。

「あの子たちを育てていくのが、八重への供養になると思いまして。それで手一杯でございます」

 しかし頼朝は最後にいうのです。

「これは命令じゃ」

 建久元年(1190)十一月九日。大軍を率いて上洛した頼朝は、後白河法皇西田敏行)の御所を訪ねます。法皇と頼朝は、二人きりで対面します。法皇はいいます。

「大軍を連れてきたものだなあ。見せつけておるのなら、大成功」

「ありがとうございます」

 と、頼朝は頭を下げます。

「傲(おご)った武士は皆、滅んだ。我らをなきものとするならば、この日の本はおさまらん。やれるものなら、やってみるが良い」

 頼朝は法皇を見すえます。

「新しい世のため、朝廷は欠かせません」

「新しい世」

「いくさのない世にござる」

 法皇は笑い出します。

「薄っぺらいことを申すのう。誰より業(ごう)が深いくせに」

「命からがら逃げ回るのは、もうまっぴら」

「我が身かわいさ」

「いくさがなくなり、喜ばぬ者などおりません。ただし、武士どもは別。あの者どもを、おとなしくさせねばなりません。ぜひとも、お力をお貸し願いたい。私が欲しいのは」

「朝廷の与える、誉(ほま)れ」

 その後、頼朝は、公家の頂点に立つ九条兼実田中直樹)と話します。頼朝は自分の娘を、帝(みかど)に嫁がせようとしていましたが、九条の娘が、すでに帝の妃となっていることを知らされます。

 坂東武者たちが酒を飲んでいます。和田義盛横田栄司)がいいます。

「せっかくの祝いだってのに、なぜ鎌倉殿は来ないんだ」

 大江広元栗原英雄)によれば、頼朝は歌会に出ているとのことでした。その席に工藤祐経坪倉由幸)も行っているのです。工藤は最近、頼朝に気に入られているようでした。  

 和田が大江にからみます。

「あんた、こういう所、珍しいね。俺たち田舎モンと飲んでも楽しくねえだろう」

 大江がいいます。

「私は、頭の固い都人(みやこびと)に見切りをつけて鎌倉に下ったのです。都落ちとあざ笑った奴らの、鼻を明かすことができ申した。坂東の勇者のおかげにござる」

 和田は声をあげます。

「気に入った」

 風に当たるために、宴の席を抜け出した義時に、畠山重忠中川大志)が近づいてきます。

「お耳に入れておきたいことが。今宵(こよい)、我らとは別に集まっている者たちがいます。鎌倉殿への不信がふくらんでいるようです。上総介殿の一件が、繰り返されなければ良いのですが」 

 別に宴をしていたのは、三浦義澄(佐藤B作)や岡崎義実(たかお鷹)など、年配の者たちでした。頼朝の弟である源範頼(蒲殿)(迫田孝也)の姿もあります。

「京に上るんだって、財がかかるんだ」

 と、三浦義澄がいいます。岡崎義実もいいます。

「それなのに一向に所領は増えん。どうすりゃいいんじゃ」

 千葉常胤(岡本信人)がいいます。

「鎌倉殿は法皇様に取り入るために、わしらを利用したのではないのか」

「とどのつまり、鎌倉殿と、身内の者だけがいい思いをする」岡崎は完全に酔っています。「そうじゃねえのか」

 範頼が落ち着いた声を出します。

「兄は、安寧(あんねい)な世をおつくりになりたいのだ。そのためには、大きな力を持たなければならないのだ。分かってくれ」

 京から皆が帰ってきました。政子(小池栄子)や実衣(宮澤エマ)らが話しています。

「兄上(義時)、いまだに引きずっているみたい。京から戻っても結局、御所に行かずじまいですって」

 と、実衣がいいます。政子がたずねます。

「家で何しているの」

「みなし子たちの世話に決まっているでしょう。それが結構、大変なことになっているみたいよ」

 とりあえず様子を見に行く、という政子に、実衣の夫である全成(新納慎也)がいいます。

「それはどうだろう。ここは放っといてあげませんか。小四郎殿はそうやって忙しくして、悲しみを紛らわせているんだと思うな。向こうから相談にやって来たら、力になってあげればいいんじゃないですか」

 そこへ北条時政坂東彌十郎)がやって来ます。時政は伊東祐親の孫である、曽我十郎(田辺和也)と曽我五郎(田中俊輔)を連れていました。二人は今、時政の家人になっています。五郎は時政が烏帽子親でした。時政は二人を御家人にしてもらおうと、頼朝に会わせようとしていました。

 時政たちが行った後、全成がいいます。

「難しいような気がするな」

御家人にはなれないってこと」

 と、政子が聞きます。

「ええ。近頃、鎌倉殿は、京ゆかりの者ばかりを好んで側(そば)に置かれていますから。あの兄弟、今さら取り立ててもらえるとは思えないな」

 頼朝との対面からしばらくして、後白河法皇が倒れました。法皇は愛妾の丹後局鈴木京香)にいいます。

「守り抜いた。わしは守り抜いたぞ」

 法皇後鳥羽天皇を呼びます。

「守り抜かれよ」

 との言葉を残します。乱世を、かき乱すだけかき乱し、日本一の王天狗といわれた、後白河法皇が死にました。

 建久三年(1192)七月。法皇の死を待っていたかのように、頼朝は、みずからを大将軍とするよう、朝廷に要求します。数ある将軍職の中で、朝廷が任じたのは。

 政子は渡り廊下で、頼朝がやってくるのを待っていました。官位束帯姿の頼朝に政子は、

征夷大将軍。おめでとうございます」

 と、呼びかけるのです。

「たいしたことではない、御家人どもを従わせる、肩書きに過ぎん」といかめしい表情をつくっていた頼朝でしたが、こらえきれなくなり叫びます。「征夷大将軍じゃあ」

 と、はしゃぎます。

「おめでとうございます」

 と、政子も応じます。

「わしは日の本の武士の頂(いただ)き、お前はその妻じゃ」

「恐れ多いことにございます」

「政子、呼んでくれ」

征夷大将軍

 二人は笑い転げるのでした。

 八月、政子は第四子を出産します。千幡(せんまん)と名づけられたこの子は、後の源実朝です。乳母(めのと)に選ばれたのは、全成と実衣の夫婦でした。

 万寿の乳母になっていた比企能員佐藤二朗)夫婦はこれに危機感を覚えます。北条が力をつけるのではと怖れるのです。そして思いつきます。姪の比奈(ひな)(堀田真由)を頼朝の側室に差し出すことにします。

 比企能員は、比奈を頼朝の前に連れてきます。頼朝もまんざらではありません。しかし比奈と二人で双六をしているところに、政子が現れるのです。頼朝は苦し紛れか、義時の嫁として見定めていたのだと政子に述べます。

 そういうわけで比奈は義時の館にやってくるのです。

「私は、後妻をもらうつもりはない」と、義時はあっさりといってのけます。「亡き妻の思いの詰まったこの館で、息子と二人で生きていく。申し訳ない」

 建久四年(1193)五月。曽我十郎と五郎が、工藤祐経に敵討(かたきう)ちをしたいと時政に話します。

「あっぱれな心がけじゃ」

 と、時政はほめます。時政の妻のりく(宮沢りえ)もいいます。

「工藤殿は鎌倉殿のお覚えめでたい方ですよ。でも親の敵(かたき)となれば、話は別。ぜひ、お討ちなさいませ」

「烏帽子親として、力になれることは何でもやってやる」時政は請け負います。「遠慮なく申せ」

 万寿のお披露目の場として、巻き狩りが行われることになります。場所は富士の裾野(すその)と定められます。仕切りは時政が行います。義時にも声をかけることにします。

 岡崎義実が、比企能員に曽我の兄弟を引き合わせます。敵討ちの件をなぜ自分に話すのかとの疑問を比企が口にすると、岡崎が答えます。

「実はこれには裏があってな」

 曽我の兄弟がしゃべり始めます。狙いは工藤だけではない。混乱に乗じて、頼朝を襲う。実は頼朝も曾我兄弟の敵(かたき)に当たるのです。五郎が立ち上がります。

「許せぬことはまだある。何が征夷大将軍だ。勇ましいのは名ばかり。もはやいくさは起こらん。文官ばかりが出世する。こんな世は間違っている」

 岡崎がいいます。

「比企よ。こいつらのいうとおりだ。新しい世をつくるため、我らは戦ってきた。ところが、平家がのさばっていたころと、なにも変らねえじゃねえか」

 五郎が再びしゃべり始めます。

「頼朝に近い者だけが得をする。あまりに理不尽」

「力になってくれ」

 と、岡崎が頼みます。お前らだけで何ができる、という比企に、二十人ほどの手の者をそろえたという十郎。北条の兵を借りる手はずになっている。北条の名を聞いて、比企の表情が変ります。

「しかし時政がそのようなたくらみに乗るわけが」

 という比企を岡崎がさえぎります。

「そこが面白いところよ。時政は、祐経への敵討ちのことしか知らねえんだ。まさか北条の兵が、そんなことに使われることになるとは」岡崎は笑い声を上げます。「思ってもいねえって寸法さ」

 夜、比企は妻の道(堀内敬子)に語ります。

「わしの読みでは、たくらみは十中八九失敗する。関わった者たちは間違いなく処罰される」比企は腰を下ろします。「これで北条は終わりじゃ」

 道は身を乗り出します。

「でも、もし、うまくいったら」

「鎌倉殿がおられなくても、いや、おられない方が、我らには都合が良い。つまり万寿様はもう十分、成長なされたということだ」

「では、どちらに転んでも」

「面白いことになってきた」

 二人は笑い声を上げるのでした。

 書庫で作業をする義時は、梶原景時中村獅童)に呼ばれます。

「お呼び立てして申し訳ない。御家人たちに、再び謀反の気配がござる」

 義時はため息をつきます。

「私ではなく、和田殿にお話しなさるべきでしょう。侍所別当はあのお方です」

「わしがそなたの耳に入れたのには理由がある。怪しい動きをしておる者の名は、曽我十郎、五郎。心当たりがあろう。曽我五郎の烏帽子親は、そなたのお父上」

 義時は梶原の顔を見つめます。

「父が関わっていると、申されるのですか」

書評『宗歩の角行』

書名『宗歩の角行』
著者 谷津矢車
発売 光文社
発行年月日  2022年4月30日
定価  ¥1800E

 

 

 文政3年(1820)8月、天野宗歩(あまのそうほ)は5歳で大橋本家十一代大橋宗金(後の大橋宗桂(おおはしそうけい)の門下となり、31歳の弘化3年(1846)9月、七段に昇段しているが、「棋聖」と呼ばれ、実力十三段」といわれた宗歩は将棋家の人でないために段位はついに七段で終わった。江戸時代は将棋家が家元として頂点に立ち、徳川幕府お抱えの将棋所(しょうぎどころ)名人は九段であった。次位の八段は名人である将棋所が死去すれば将棋所となる。よって、八段を許されるものは同時代では一人に限られていた。八段を与えては次期名人候補の有資格者となるからで、将棋家からしか名人を出さないしきたりを崩さなかった。
 宗歩が、将棋家の血につながらないという理由だけで八段に昇り得なかったのは遺憾なことであるが、宗歩が人間としてどう生きたかを当時の時代背景を踏まえて一考する必要がある。
 将棋三家の者(家元派)は将棋家の面子に関わることとして賭将棋(かけしょうぎ)には手を出さなかった。将棋所は免状発行権を独占していて「免状料収入」だけ、つまり将棋だけで生活していけた。一方、将棋では生活できない在野派は賭将棋渡世をせざるをえなかった。
 残存する宗歩の棋譜を全局並べた“自在流”内藤國雄九段は「一生を在野棋士で通した宗歩は、なによって生活の糧を得ていたのだろうか」と疑問を投げかけ、「その時代的性格から宗歩も幾多の真剣を指したが、真剣(賭将棋)をさすと、将棋が歪んだり濁ったりはすこしもしていない。宗歩の将棋のなかに、他の棋士の追随を許さない独特の美を感じる」(内藤國雄『棋聖天野宗歩手合集』)としている。同じように宗歩の実戦譜を並べてみた中原誠十六世名人は「私の場合、その将棋を通じてしか人間を語り得ないが、少年のころからすでに宗歩は王者の風格を備えていることを感じ取った」(中原誠日本将棋大系11 天野宗歩』)と記している。

 本作は歴史時代小説作家・谷津矢車による天野宗歩の人物伝記小説である。「江戸のどこかの商家の旦那はんで、宗歩の足跡を調べたいとする裕福な町人」による、宗歩の周囲にいた証言者20人へのインタビューという形式をとっている。
宗歩が慕い薫陶を受けた大橋柳雪、「遠見の角」の伊藤宗印、「吐血の対局」のライバル八代大橋宗珉、幼馴染みで「宗歩の四天王」のひとり市川太郎松など同時代の棋士たちはもちろん、肌身を接した前妻・後妻、弟子といった身辺の関係者。賭け将棋の胴元、行きつけの煮売り屋、職人、芸者と顔ぶれは多岐にわたる。
 トップバッターは宗歩という不世出の天才を弟子に持ったが故に晩年は不仲であったと言われる十一代大橋宗桂である。一話加わるごとに宗歩の謎に包まれた闇が解き明かされ、インタビュアの正体も輪郭がはっきりしていく。果たして、20人の証言で宗歩の実像がどのように実を結んでいくのか、読者は手に汗握るばかりである。

 インタビューによる結論から言えば、宗歩を「家族の生活の面倒さえできない変人」とみるか、「常識人」と見るかの両極に分かれるということであろうが、そもそも、宗歩には三つの謎がある。一つは生まれ、一つは京都行き、一つは死である。
 まず、生まれから。文化13年(1816)11月、江戸の本郷菊坂にて、小幡甲兵衛の次子として生まれる。幼名は留次郎。後に天野家の養子に入る。本当の父は大橋本家十代宗桂であるとする説もある。小幡甲兵衛は甲州の神官だったという説もあるが、本書では悪徳な代官所手代であったとしている。
 一つは京都行き。天保4年(1834)から天保14年(1843)までの11年間、しばしば京都を訪れているが、18歳の天保4年(1834)3月、五段に昇段するや上方に旅立った最初の京都行きは師宗桂の許しを得た将棋修業の旅との説があるが妥当だと思える。一方、「上方探題」という使命(公儀の命による探索)を帯びていたのではないだろうか(山本亮介『将棋文化史』)との説もあり、斎藤栄の小説『棋聖忍者・天野宗歩』は、宗歩は上忍で西国諸藩の動向を探るとの上忍としての役目があったとしている。
 弘化3年(1846)31歳 9月、七段を許されるや、すぐに江戸を後にしている。家元が居る生き苦しい江戸を離れたかったのであろうか。
 嘉永2年(1849)34歳 5月24日、妻お龍が死去。翌年5月 亡妻の一周忌にあたり、初代宗桂と同じ京都深草霊光寺に墓を建てている。京都の女の人と結婚するほどにお気に入りの京都で永住するつもりであったのか、あるいはこれを機に青春の思い出を刻み付けた京都の地を去ろうと決心したのかどうかはわからない。嘉永4年夏、江戸に戻るが、夫人逝去前後にあたる嘉永初期の棋譜が驚くほど少ないこともなおさらに謎を深めている。

 江戸に落ち着いて後妻ふさを迎えた宗歩は、嘉永5年(1852)5月、大橋本家の別家を立てて御城将棋に出勤するが、嘉永6年(1853)正月、定跡書『将棋精選』を開板するや、翌年、奥州路の旅に出ている。師の十一代宗桂との間は冷たくなるばかりで、やがて、東北越後を歩き、将棋普及に努めるとともに、酒と女と金(賭将棋)に遊ぶこととなったとされる。宗歩とすれば、将棋家の血に繋がらないために八段を許されないことに不満を懐き続けたことであろう。将棋家への養子という話もあった。現代に生きたならなら当然に永世名人になれた人。それが最後まで名人にならずして。“酒と女と金”とは非常に人間的な部分であり、それが自由だったということは宗歩が人間味溢れる 人物であったことの証であるが、「天野宗歩は御城将棋の出仕を許された後も、賭将棋を続けるなど不道徳な行為が多かった。将棋の強さが必ずしも高潔な人格と結びつかない典型であろう」(増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』)とする冷めきった観方もある。

 最後の謎は死。安政6年(1859)5月14日 44歳で忽然と死んだ。師宗桂によって表向きは病死として寺社奉行に届け出されたという。本当は病死ではなく、別であったと言っているようなものではないか。死因については何も残していない。自殺?他殺?賭将棋との経緯で他殺、家元との諍いでの自殺も考えられる。あるいは「頓死」かも。
 享年44歳の短い生涯は奇しくも小池重明(こいけじゅうめい)と同じである。「新宿の殺し屋」と呼ばれ恐れられた最後の真剣(賭将棋)師といわれる小池重明は女に狂い、酒に溺れ、終生、放浪癖の抜けなかった人物である。この男はアマながらプロの八段をなぎ倒すほどの唯一無二の天才というだけではなく、前代未聞の愛すべき変人だったという(団鬼六真剣師小池重明』)。時代背景が比較にならない程ちがうが、勝手ながら、その重明に、宗歩を重ねている。
 将棋一途に生き抜く。ただ、将棋盤の前に座っているときだけが幸せである。天才の研ぎ澄まれた刃ほど、たやすく人を傷つけるものであるに違いない。常識という言葉をすっかり捨て去っている当人には他人の感情の機微がわからない。だが、読めないだけであって、その根底には優しい気持ちがあるのかもしれない。天才の持つ宿命。宗歩から将棋を問ったら何が残る。中原誠は「地位を望むよりは、将棋を愛し、なによりも将棋に打ち込める生活を宗歩は喜んでいたようである」とみる(前掲書)。
 本作の、20人によるさまざまな逸話が、天才だけが知る孤独と悲哀に収斂されていくさまは実に納得できるものであったが、伝説の棋士天野宗歩」はやはり難解であった。
 当時の将棋ファンはその実力と人柄を評して「棋聖」と呼んだのであり、春風駘蕩長者の風格を備えていたのは確かであろうが、晩年は不遇であり、家庭的にも恵まれず、その生涯は必ずしも幸せとは言えない。  

 本作は現代の歴史時代小説界の奇才天才である谷津矢車が孤高の勝負師・天野宗歩の数奇な人生を丹念にたどった歴史小説である。
 今日、将棋にさほどの関心がなかった人たちも、藤井聰太(ふじいそうた)(現、5冠)の出現によって将棋が注目され、約25年前、羽生善治(はぶよしはる)が全冠制覇したとき以来の盛り上がりを見せているが、この将棋人気の活況を宗歩が目の当りにしたら、宗歩は「令和の棋士たちの何と幸せなことか」と後輩たちにエールを送るだろう。本書を手にした読者諸氏、将棋ファンはむろんのこと、将棋を知らない方も、現代とは異なる幕末という苦難の時代をひたむきに将棋ひと筋に生きた一人の人間の姿に心打たれることであろう。
             (令和4年5月31日 雨宮由希夫記)

『映画に溺れて』第493回 メル・ブルックスの大脱走

第493回 メル・ブルックス大脱走

平成二年二月(1990)
中野 中野武蔵野ホール

 

 エルンスト・ルビッチが戦時中に作った反ナチコメディ『生きるべきか死ぬべきか』が日本で公開されたのが一九八九年、が、それより早い一九八四年にリメイク版『メル・ブルックス大脱走』が公開されている。
 名作のリメイクは割りに合わない。下手に細工して失敗すれば、名作への冒涜だと非難される。完璧になぞっても原作を簡単に超えられないし、うまくいっても、元が素晴らしいから当然だと言われる。
 メル・ブルックスはルビッチのオリジナルをかなり忠実になぞり、一九三九年のワルシャワを再現。内容も筋運びもほぼ同じだが、そこにブルックスらしいギャグがふんだんに入る。
 座長のブロンスキーと夫人で花形スターのアンナがポーランド語で歌って踊る「スウィート・ジョージア・ブラウン」で幕が開く。そして場内アナウンスが流れ、以後、ポーランド語は禁止、英語のせりふになる。
 オリジナルで座長を演じたジャック・ベニーは二枚目で劇中の舞台劇も正統派だったが、ブルックス版では劇中劇がミュージカルコメディになっており、ブルックス演じるブロンスキー座長はヒトラーのコントで「ハイル・マイセルフ」を連発。これが『独裁者』のチャップリンそっくり。この場面は後にミュージカル『プロデューサーズ』でヒトラーが歌って踊る「春のヒトラー」につながるのだろう。
 座長夫人アンナを演じるのが実際にブルックス夫人のアン・バンクロフトハムレットの長ぜりふを合図に楽屋で夫人と逢瀬を楽しむ空軍パイロットがティム・マティスン。ナチススパイの教授がホセ・ファーラーゲシュタポのエアハルト大佐がチャールズ・ダーニング。その部下のシュルツがクリストファー・ロイド。配役もオリジナルと比べてはるかに喜劇色が強い。アンナの付き人がゲイだったり、大量のユダヤ難民をいっしょに国外脱出させたり、オリジナルと比較しても遜色がない楽しいコメディである。

 

メル・ブルックス大脱走/To Be or Not to Be
1983 アメリカ/公開1984
監督:メル・ブルックス
出演:アン・バンクロフトメル・ブルックス、ティム・マティスン、チャールズ・ダーニングホセ・ファーラークリストファー・ロイド

 

書評『戴天』

書名『戴   天』
著者 千葉ともこ
発売 文藝春秋
発行年月日  2022年5月10日
定価  ¥1800E

 

 開元24年(736) 大唐帝国の首都長安の西市(長安城内の西側の商業中心地) 8歳の少年二人と6歳の少女の幼馴染みが遊んでいるところから物語は立ち上がる。
唐の先天元年(712)28歳で即位した李隆基(りりゅうき)(玄宗)は唐皇帝の中で在位期間が一番長く、44年間という長期に及んだ。前半は「開元の治」と呼ばれる唐の全盛期を現出させたが、晩年は長い統治に倦んで次第に放逸となり、楊貴妃に耽溺、やがて「国破れて山河在り」の安史の乱(755~763)を招く。 

「序章」では三人の幼馴染みが紹介される。崔子龍(さいしりゅう)は山東貴族の名門崔家の御曹司。陽物を失って母親から冷遇され、名家の跡継ぎから、町に潜む無法者に変わり果てる。王勇傑(おうゆうけつ)は子龍が生涯の友だと思っていた男だが、子龍に忌まわしい災厄をもたらす元凶。杜夏娘(とかじょう)は子龍が陽物を失った時も、「わたしはあなたと一緒に走れる」と子龍と共にあろうとしてくれる。

「第一章」は15年の歳月が一気に過ぎて、天宝10載(751)。主人公の崔子龍23歳は タラス河畔の戦い(天山山脈の西北麓のタラス河で、7万に及ぶ唐軍がアッバース朝イスラム帝国と戦かい殆ど全滅した戦い)に従軍している。宦官(かんがん)ではないが陽物を欠いている崔子龍は異例の配属で監軍使の隊列にあり一隊長として「蟻隊」という宦官だけを集めた部隊を率いている。 
 唐国の総大将高仙芝(こうせんし)は滅びた高句麗の遺民で唐において出世した人物。容姿端麗なうえに鬼神のような猛々しさを兼ね備え、民からも人気が高い。まさに英雄である。加えて、高仙芝に子龍自身の顔が酷似しているとなれば、子龍がすでにこの男のことが好きになっているのは当然である。
 この高仙芝の前に立ちはだかるのが、宦官にして監軍の隊を統べる監軍使(目付)宦官の辺令誠(へんれいせい)である。唐朝の征討軍には監軍使として宦官を従軍させる慣例があった。辺境における監軍使には節度使をしのぐ絶対の権限があり、武骨な将軍らと軍事の素人ながらやたらと干渉する宦官とは当然折り合いが悪く、紛糾が絶えなかった。タラスの大敗は宦官辺令誠が敵と通じたがゆえに起こった。辺令誠が仕込んだトルコ系遊牧民カルルックの裏切りで唐軍は壊滅したのであった。皇帝に報告する戦功の内容には監軍使への賄賂の量で決まる。
 撤退に際し、高仙芝の直下に組み込まれた子龍は複雑奇怪な化け物で巨悪の根源たる辺令誠を殺すべく寝込みを襲うが仕損じる……。
 安史の乱前夜の唐の国情は厳しい財政状況および機能不能の政情のもとにあった。言葉巧みに玄宗楊貴妃に取り入り唐朝簒奪の野望を抱く安禄山(あんろくざん)と、楊貴妃の従祖兄(またいとこ)という幸運によって栄耀栄華を誇る身となっている元破落戸の宰相楊国忠(ようこくちゅう)とは不倶戴天の立場にある。かくして安禄山は「君側の奸楊国忠を除く」を名目に兵を挙げる。

「第二章」は一変して、真智(しんち)という若い僧侶が視点人物。3人の少年少女との繋がりは明記されずにストーリーは展開される。幼少年期に両親を亡くした真智は「ある男」の養子となり、必死に学び、仏典の路を追求している。真智と「ある男」(義父)の間柄は隋唐期に盛んであった仮父子(かふし)(義父と義児)関係にあった。壮絶な死を遂げた義父は朝廷内の抗争に敗れた官人で、佞臣楊国忠を重んじる皇帝を諫めんとして辺鄙な西方の果てに流され、殺されたのであった。義父の遺志を継ぎ、皇帝への直訴を果たそうとする真智は、天宝14載(755)11月、驪山で催された皇帝主催の徒競争(マラソンのような競技)に参加する。ここに、夏蝶(かちょう)という女性が登場する。驪山での競争に参加した夏蝶は華清宮での楊貴妃付きの婢で、直訴に失敗した真智の窮地を救ってくれる……。

「第3章」は崔子龍の再登場である。タラスの戦いから約3年半後、長安に生還した子龍は皇帝の行幸を狙い、タラスの戦いの真実を皇帝に訴えようとしている。安禄山の挙兵に対する唐軍の募兵があり、唐軍に潜り込んだ子龍は〈巨魁〉辺令誠に近づく絶好の機会を得て、〈英雄〉高仙芝と再会を果たす。

 相互のかかわりが不明であった登場人物たちのそれぞれの立ち位置と因縁が明かになる折り返し点が「第四章」。驪山で玄宗楊国忠楊貴妃の排除を訴え身柄を拘束され長安の獄へ運ばれた真智は、楊貴妃の側にいる夏蝶という名の婢が、元は官人の娘・杜夏娘であり、楊国忠によって陥れられた「友」を助けようとして、わが子の冬蝶とともに罰をうけたこと。杜夏娘の「友」とは王勇傑であり、真智の義父の本当の名が王勇傑あることを知る。一方、真智が参加できるように取り計らってくれた「碧眼の男」こそ宦官辺令誠で、辺令誠は真智の目論見を知っていた……。

「第5章」高仙芝は、公開処刑の場にある。安史の乱が起きて副都洛陽が陥落されると、高仙芝は首都長安防衛の要衝・潼関(どうかん)に退くが、このことで玄宗の怒りを買う。加えるに、辺令誠は高が横領の罪を犯したと言上。億兆の人間の生殺与奪の権を握る皇帝が「殺せ」といえば、その者が英雄たりと言えども役人に捕らえられ、首を刎ねられる。それだけのことである。辺令誠の頭の中には義勇軍の総大将高仙芝を「いかに料理するか」しかない。
 死に臨んで高仙芝は「戴いた天に臆せず、胸を張って生きる。私は最期まで胸を張っていたい。見届けてくれるか」と子龍に託す。為す術もない崔子龍。
 第二章で真智は、皇帝は何故、楊国忠ら佞臣に権を持たせ、忠臣である義父に非業の死を遂げさせたのか、この理不尽を正さぬかと嘆いたが、ここで、崔子龍は「正気ではない天子を戴く国はどうなるのか」と天を仰ぐ。

『戴天』はデビュー作『震雷の人』と同様、安史の乱の時代を舞台とし、腐敗した権力者を除いて、国を正しくしようとする若者達たちの挑戦を描く。かつまた、宦官は国を乱す元凶だが、常人には見られない残酷で波乱に満ちた運命に身を晒し、人らしからぬ生き方を強いられた宦官の哀しみをも作者は描く。中世中国社会の構造的矛盾を照射した珠玉の中国歴史小説である。

 

              (令和4年5月31日 雨宮由希夫記)