日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第44回 ぼくたちの失敗

 昭和37年(1962)。東京オリンピックを二年後に控えて行われた第四回アジア競技大会。開幕直前に、規定違反が発覚します。開催国インドネシアが、政治的に対立する、台湾とイスラエルに招待状を送っていなかったのです。これがスポーツ界にとどまらず、国際的な政治問題に発展します。日本のマスコミは、もし日本が参加したら、東京オリンピックは取りあげられるかもしれない、と報じました。
 東京オリンピック組織委員会の事務総長である田畑政治阿部サダヲ)は、オリンピック担当大臣の川島正次郎(浅野忠信)にジャカルタの地でいいます。
「出ますよ」田畑は歩きながらしゃべります。「選手のために、アジア民族の祭典を心待ちにしているインドネシア人のために出ますよ」
 参加決定の知らせを受け、日本人選手やスタッフたちが部屋から出てきます。田畑はいいます。
「政治家の考えていることは、俺にはわからん。だが、選手や観客の気持ちだけはわかる。俺たちが東京オリンピック取りあげられるのと、こいつらが(通訳のアレンの肩を叩く)アジア大会、取りあげられるのと、どっちがつらい。おんなじじゃんねー。今、日本が引き上げて、アジア大会ぶち壊して、その代償として東京オリンピックやって、盛り上がるかね。二年後、心の底から楽しめるかね。だったら出た方がいい。絶対」田畑は選手たちに叫びます。「行ってこい。堂々と歩いてこい」
 こうして日本選手団アジア競技大会に参加を表明します。開会式のわずか数分前のことでした。
 日本では新聞が書き立てます。
東京オリンピックに暗雲か」
「田畑事務総長に非難の声」
 ジャカルタにいる田畑に、日本から電話がかかってきます。回線がつながりにくくなっていたのですが、バー「ローズ」のママ(薬師丸ひろ子)から電話が、偶然つながったのです。「ローズ」には元朝日新聞の同僚で、今は政治家の河野一郎桐谷健太)がいました。田畑は河野に知恵を与えられます。正式な大会ではなく、親善試合ということにしろというのです。
 田畑はそれを実行に移します。インド代表のソンディと共に、インドネシアの組織委員にに、大会の趣旨変更を迫ります。ところがこれに対し、インドネシア国民は、自分たちの大会にケチをつけられたと思い、怒り狂います。数千人のデモ隊がインド大使館を取り囲み、火をつける事件まで起ります。ソンディは国外逃亡します。
 アジア競技大会は閉幕します。日本は155個のメダルを獲得しました。
 日本に降り立った田畑は、記者たちに囲まれます。なぜ参加を決めたのかと詰め寄られます。田畑は答えます。現地の実情をわかってもらえれば、取る道はあれしかなく、今、考えても、あれが最善のやり方だった。しかし翌日の新聞には「田畑、強気な記者会見」「開き直って終止不遜(ふそん)な態度」「戦犯は誰だ」と書き立てられていました。
 組織委員会で田畑は秘書の岩田幸彰(松坂桃李)と話します。岩田は、国際陸上競技連盟から説明を求められたことを報告します。日本はなぜ、どういう理由で参加に踏み切ったのかと。田畑は岩田にいいます。
「今からでも遅くない。参加した各国に働きかけて、あれは親善試合だったと主張するしかないだろう」
「正式な大会じゃなかったと」
 と、確認する岩田。
インドネシアがそれを認めてくれれば、すべて片が付く」田畑は声を潜めます。「それまで内密に、誰にも言わず進めてくれ」
 ところが田畑は記者たちに漏らしてしまうのです。
「あれは親善試合だから」
 この発言を批判され、田畑は翌日、すぐに撤回の記者会見を開きます。
「昨夜の私の発言は、説明不足のため、報道関係者に誤って受け取られました。修正します。アジア競技大会は、正式競技であります」
 オリンピック担当大臣の川島正二郎は記者たちを集めて発言します。
「なにも津島(寿一。オリンピック組織委員会会長)、田畑だけが悪いというんじゃないがね、今の組織委員会東京オリンピック、開けますか。いかにも優柔不断で頼りにならん。このさい膿(うみ)を出し切って、責任体制をしっかりしなければいけない。それにはまず、国民に説明する場を、早急にもうけましょうよ」
 そして田畑は参考人として、国会に召喚されることになったのです。この場で田畑はまさに吊るし上げを受けます。田畑は考えていました。どこの時点で自分は間違えたのか。数々の場面を思い出していきます。川島正次郎が発言します。
「今後は東京オリンピックを、政府の国家事業と捉え、金を出す。その代わり、時には口も出し、しっかりと監理する所存です」
 田畑は思い当たるのです。当初オリンピックに関わることになったとき、当時の財務大臣であった高橋是清萩原健一)に田畑はいっていました。
「先生方も、スポーツを政治に利用すりゃあいいんですよ。金も出して、口も出したらいかがですか」
 数日後、東京オリンピック組織委員会会長の津島は、川島と会食します。津島は批判に耐えられなくなっていました。組織委員会を辞めることを川島に申し出るのです。
「私が会長の座を退くことで、今回の騒動の火消しになるのであればいたしかたない」
 川島は形ばかりなだめようとします。
「辞任はする」津島は川島の言葉をさえぎります。「ただし条件がある」
 組織委員会にいる田畑のもとへ秘書の岩田が駆け込んできます。
国際陸連から回答がありました。ジャカルタ問題に関する制裁はインドネシアのみ。日本を含め、参加国に責任なし」
 田畑は安堵のあまり力が抜けて座り込みます。
「これで東京オリンピックも安泰か」
 田畑はさっそく気持ちを切り替えます。オリンピックのテーマソングについて、岩田に説明するのです。その名も「東京五輪音頭」。
「あの日ローマで ながめた月が
 きょうは都の 空照らす
 四年たったら また会いましょうと
 固い約束 夢じゃない」
 その次にある「オリンピックの 顔と顔」のフレーズに田畑は引きつけられます。田畑は岩田に語るのです。
「世界各国の白い顔、黒い顔、黄色い顔、赤い顔、いろんな顔が押し寄せてくるんだよ。東京に」
 田畑は岩田と笑い合います。岩田は田畑に、組織委員会の懇談会があることを思い出させます。田畑ははしゃいだまま、部屋に入ります。そこは厳粛な空気でした。オリンピック担当大臣の川島もいます。東京都知事東龍太郎(松重 豊)がうつむいています。東は立ち上がり、懇談会を始めることを宣言します。そしていうのです。
「田畑さん。津島さん。今日は、お二人の責任問題を議論する会ですので、ご退室下さい」
 田畑は信じられません。
 川島との会食の時、条件がある、といっていた津島ですが、その条件とは、田畑も共に辞めさせることでした。
「辞任しろというのか」
 田畑は叫びます。退出しようとしない田畑を、スーツの男たちが引きずり出します。
「俺が辞めたら、オリンピックはどうなるんだよ」
 の言葉を残して、田畑は部屋から閉め出されます。
 部屋の外で津島は田畑に話します。
「負けたんだよ。川島に。我々は」
 東が部屋から出てきます。
「田畑さん。事務総長として、最後の仕事をして下さい」
 そういって深く頭を下げるのです。
 田畑は事務総長を「解任」されることになりました。津島と田畑はテレビで辞任会見をさせられます。田畑はいいます。
「私は辞めたくないんだ。私の経験と情熱を、オリンピックに生かしたいんだ」津島がしゃべるのをさえぎって、田畑はさらにいいます。「僕は嫌なんだ。やりたいんだ。最後まで。やっとレールを敷いたところなんだよ」津島が再びしゃべり、田畑が再びさえぎります。「私は辞めざるをえない。しかし誰がこのレールを敷いたんだ。私なんだ。だが、そのレールを走れない。最後まで、走りきることができないのがはなはだ残念でならない」
 田畑は涙を流すのです。
 田畑はバー「ローズ」で飲んだくれていました。テレビでは三波春夫(浜野謙太)がオリンピック音頭を歌っています。田畑も声を合わせます。二番の歌詞がまたいいんだよ、と田畑はママにいいます。
「待ちに待ってた 世界の祭り
 西の国から 東から
 北の空から 南の海も
 越えて日本へ どんときた」
 田畑はママに訴えます。
「呼んだの誰。俺だよ」
 田畑は椅子から転がり落ちるのです。