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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第二十二回 京よりの使者

 桶狭間の戦いから四年後の永禄七年(1564年)、冬。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は、いまだ越前国で浪人生活を送っていました。

 この頃、京は三好長慶山路和弘)が完全に実権を掌握していました。松永久秀吉田鋼太郎)は大和の国(現在の奈良県)を任されています。将軍足利義輝向井理)は、長慶の完全な傀儡(かいらい)となっていました。

 関白の近衛前久本郷奏多)は、義輝と話していました。帝(みかど)に改元のお伺いを立てるのが、代々将軍家の勤めです。しかし義輝はそれをしようとしないのです。義輝は前久にたずねます。

「それがしを将軍と思われますか」

「なんと」

 と驚く前久。つぶやくように義輝はいいます。

「京を治めているのは誰であろう。私ではない。三好長慶です。私には何の力もない」しまいに義輝は言い放つのです。「帝が何ほどのものですか。武家の後ろ盾がなければなにもできぬではありませぬか」

 越前の光秀を訪ねてくる武士がいました。光秀の良き理解者で、将軍奉公衆の細川藤孝眞島秀和)です。再開を喜び合う二人。光秀は藤孝に二人の娘を紹介します。

 食事をすませ、光秀と藤孝は改めて酒を酌み交わします。

「京で何かありましたか」

 率直に光秀はたずねます。藤孝は杯を置きます。

「実は近く二条御所で能が催されるのですが、十兵衛殿もぜひ京へと。共に見たいと、上様がおおせでございます」

 驚く光秀。

「公方様が。私を」

「上様は十兵衛殿を以前から買っておられますので」打ち明けるように藤高は話します。「上様は変わってしまわれた。都は今、以前にも増して三好の力は強くなり、上様はないがしろにされているのです」藤孝は光秀を見すえます。「将軍としての務めを果たそうとせず、怠惰な日々を送っておられます。それではいけませぬと、われら奉公衆がお諫(いさ)めしても耳を貸さず、かたくなに心を閉ざしておられるのです」藤孝は訴えます。「十兵衛殿。京へおいでいただきたい。そしてできることなら、上様のご真意を探っていただきたい」

 子供たちが寝入り、光秀は妻の熙子(ひろこ)と話します。光秀は熙子に、京に呼ばれたことを打ち明けます。お行きになりたいのですね、という熙子に、光秀はうなずきます。

「この越前に来て、もう八年になる。しかし相も変わらぬ、この暮らし向きだ。子供たちに読み書きを教えるのは、それはそれで楽しいが、これで良いとは思うてはおらぬ。もっと何かできることがあるはずだ。その何かを見つけるためにも、京へ行ってみたい。己の力を試してみたいのだ」

 熙子はいいます。

「よく分かりました。どうぞ行ってらっしゃいませ。あとのことは案ずることはありません」

「すまぬ」

 と、光秀は妻に頭を下げるのでした。

 京にいる医者の望月東庵(堺正章)は助手の駒(門脇麦)と、些細なことから喧嘩をしてしまいます。駒は東庵の宅を飛び出していまいます。駒の向かった先は、旅芸人の一座で以前、世話になった伊呂波太夫尾野真千子)のところでした。

 伊呂波太夫は客と双六をしていました。その客は関白の近衛前久だったのです。伊呂波太夫は子供の頃、近衛家に拾われ、そこで育てられました。前久は太夫の弟のような存在だったのです。太夫をたずねた駒は、大和の国に共に行かないかと誘われます。大和を治める松永久秀の妻が死に、松永が鳴り物禁止のお触れを出していたのでした。興業ができなくて困っている大夫は、そのお触れを取り下げてもらうために、前久と一緒に大和に行こうとしていたのでした。

 松永久秀は三年前に築いた多聞山城にいました。前久は松永久秀と対面します。前久は改元を見送ることを松永に告げたあとにいいます。

「ときに松永、先日、妙な噂を耳にした。将軍を亡きものにせんと企んでいる輩(やから)がいるというのじゃ」

 松永はそれに笑ってみせるのです。

 駒はその頃、大和の街を歩いていました。人々がある僧侶に群がっていました。僧侶は集まってくる者たちに物を与えています。ある老婆は、駒に、僧侶が「生き仏のようなお方じゃ」と話します。駒は歩き去る僧侶に話しかけます。僧侶の名は覚慶。後の将軍、足利義昭になる人物でした。

 その夜、伊呂波太夫は、鳴り物禁止の件について、松永久秀と話していました。松永は拒絶しますが、そのそばから大夫を口説く始末です。

 京の二条御所に、光秀が到着していました。光秀の来たことを喜ぶ将軍奉公衆の三淵藤英(谷原章介)。三淵は光秀に驚くべきことを告げます。

「能を見たあと、上様からそなたに話があるはず。恐らく、三好長慶を討てという話だろう」

 光秀は困惑します。

「どういうことでございましょう」

「実は、我らもいわれたのじゃ。三好を斬れと。将軍家に力を取り戻すためには、三好を成敗するほかないと」

「ひょっとして、そのために上様は私を」

「そうかもしれぬ。どう受け止めるかは、そなたしだいじゃ」

 能が行われます。その後、光秀は将軍義輝と話をします。

「お告げの通りじゃ」と義輝は切り出します。「夢に観音菩薩が現れてな。菩薩がわしに告げられたのじゃ。越前から助けが来る。それを頼みにせよとな。そなたのことじゃ」

 義輝はあることを頼もうと思って光秀を呼んだと言います。しかし逡巡(しゅんじゅん)の態度を示すのです。

「だが、よう分からなくなってきた。正直に言おう。三好長慶を討てと、そなたに頼もうと思うていたのじゃ。今、京がどうなっているか、そなたも知っておろう。三好の力はますます強くなり、将軍の権威は地に落ちてしもうた。それを取り戻すには、三好を成敗するほかない。されど頭を冷やしてよう考えた。武家の鑑(かがみ)でなければならぬ将軍が、己の意にそわぬからと、その者の闇討ちを企ててはますます将軍の権威は落ちる一方じゃ」

「仰せの通りにございます」

 光秀は深く頭を下げるのです。将軍は言います。

「十兵衛、覚えておるか。昔そなたに、麒麟の話をしたのを」

 光秀はわずかに微笑みます。

「はい、しかと覚えております」

「わしは麒麟を呼べる男になりたいのじゃ。それは将軍になってからずっと願い続けてきた事じゃ。しかし、思うようにならぬ。やればやるほど皆の心はわしから離れていく。何もかも、うまくいかぬ」

 光秀は意を決したように口を開きます。

「上様。恐れながら、わたくしに考えがございます。将軍家に力を取り戻すには、強い大名の支えがいります」

 義輝はいらついたように言います。

「分かっておる。しかし誰も呼びかけには応じぬ」

尾張織田信長がおります。今川義元を討ち果たし、強く、大きくなりました。あれはただ者ではありません。勢いがあります。信長が上洛し、上様をお支え申すなら、大いに力になりましょう」

「上洛してくれるのか」

「わたくしがお連れいたします」

「ならば十兵衛。そなたに託す。織田信長を連れてきてくれ」

 翌日、光秀は京の街を歩いていました。思いついて望月東庵の宅をたずねます。光秀は昨夜の興奮が収まらず、東庵に対してまくし立てるのです。

「あるお方に会(お)うて参りました。私が大事に思うておるお方です。そのお方は、迷うておられました。雲がかかった月のように。その雲を払うて差し上げたい。私はそのための手立てを申し上げた。しかし、この先のことを思うと、大きな山を前にしたような心地がいたします。果たしてこの足で、その山に登れるのかどうか。しかし、登るほかはありませぬ」