日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第22回 篤太夫、パリへ

 慶応三年(1867)。篤太夫吉沢亮)はパリへ向かう船に乗っていました。船酔いで苦しむ篤太夫に、水を差し出す者がいます。日本語を操る外国人に、篤太夫は驚きます。アレクサンダー・シーボルトでした。帰国のために同船していましたが、パリまで通辞の役をしてくれることになったのでした。

 篤太夫は船中での食事に驚きますが、パンやコーヒーも抵抗なく受け入れていきます。

 篤太夫たちの乗った船はインド洋を過ぎ、スエズ運河が建設中のため、汽車に乗り換え、地中海へ。そして五十五日目、ついにパリに到着するのです。

 篤太夫は荷物を背負い、階段を登っていきます。スエズ運河のことを感心してしゃべっていました。階段を上りきると、そこは展望台でした。パリの街並みを一望することができたのです。篤太夫は言葉を失い

「これがパリ」

 と、やっと声を発するのでした。

 徳川昭武(坂垣李光人)ら幕府の使節一行は、パリのグランドホテルに投宿します。

 外国奉行である向山一履(岡崎諦)は、フランスの聖職者らしき人物に、日本語で話しかけられます。カション神父でした。

「なぜシーボルトがいる。フランス政府からは、私が正式な通訳をするようにいわれています」

 向山は、カションの胸にかかっている十字架を見て、

キリシタンめ」

 とつぶやくのです。釈明するよう向山はいいます。道中、シーボルトの好意に助けられた。しばらく同行してもらいたいと考えている。カション神父はフランス語でつぶやくのです。

「あいつはイギリス側だぞ」

 昭武の側に付いている三人の水戸藩士は、コーヒーを持ってきた給仕を怒鳴りつけます。昭武に無礼があってはならじと、ピリピリしているのです。なんとか篤太夫の取りなしでその場は治まります。

 篤太夫たちは万国博覧会の見学に出かけました。巨大な車輪が回っています。シーボルトが一行に説明します。

蒸気機関はイギリスで発明され、そこから世界が一気に変わりました」

「船も鉄道も、この力で動いてんのかい」

 と、篤太夫は感心します。篤太夫と医師の高松凌雲(細田善彦)は、次々と人々が入っていく小部屋を見つけます。

「なんだいこの、窮屈そうな箱は」

 篤太夫はいぶかしみます。

「行ってみよう」

 と、凌雲が誘います。篤太夫たちが乗り込むと、入り口の格子が閉められるのです。

「なぜ閉める。まるで牢屋じゃねえか」

 と、篤太夫は動揺します。小部屋は蒸気の力で上昇していきます。エレベーターだったのです。エレベーターは最上階に到着します。さらに階段を登り、篤太夫は博覧会場の屋根に出ます。篤太夫は笑い声を上げ、座り込んでしまいます。

「参った」と大声で叫ぶのです。「物産会どころか、何日かけても見きれねえ品ばかりだ。にもかかわらず、ちっぽけな俺は言葉も通じず、その品々を見定める目も、考える頭すらねえや」篤太夫は再び笑います。「夢の中にいるみてえだ」

 栄一たちは博覧会場の日本の展示場にやって来ます。日の丸が多数立てられ、歓迎されていることがうかがわれます。しかし隣に琉球と書いた展示場があったのです。中には薩摩の工芸品が並べてありました。そして島津家の旗が掲げられていたのです。そこにモンブランと名乗るフランス人が声をかけくるのです。

 幕府の外国奉行支配組頭の田辺太一(山中聡)らは、薩摩藩家老の岩下佐次右衛門と談判します。薩摩側の席にモンブランもいます。田辺は怒りを押さえ切れない様子で述べます。

「薩摩殿が、琉球国王と称し、その名義で薩摩の品々を出品なされているのは、いかなる理由か。日の丸という日本の旗をないがしろにし、薩摩の紋を国の旗として用いておられる。これは、日本に背いた独立と取ってよろしいのか」

「まさか」驚いたように岩下はいい、笑い声をたてます。「薩摩の出品は琉球王国博覧会委員長のモンブラン殿が、万事一手に為されたことで」岩下は真顔になります。「モンブラン殿に聞いて下され」

ムッシュ田辺」モンブランはフランス語でいいます。「あなたは以前、私の申し出をお断りになられた。幕府の方の皆さんはそうです。貿易も万博も助けたかった。しかし、五代は違いました」

 薩摩の五代才助(ディーン・フジオカ)は、モンブランに全面的に任せたのでした。

「もうよい」テーブル叩いて田辺は立ち上がります。「何としても、琉球という二文字を取っていただかなくてはならない。それに琉球王国として掲げたあの薩摩の旗だ。薩摩の旗は外し、日の本の旗の下にすべての品を並べよ。出品者の琉球国王には大君という表記にしてもらわねばならぬ」

「いやあ」とぼけた表情で岩下も立ち上がります。「困るう。薩摩が出品すっ形でなければ、承服できん」

 モンブランがいいます。

琉球王国ではなく、薩摩太守にしましょう」

 それで田辺は納得します。モンブランは話をまとめます。

「では日本の出品は、全て日の丸の旗のもとに置き、幕府の品には大君グーヴェルヌマン。薩摩の品には薩摩太守グーヴェルヌマン。いいですね」

 日本の展示の様子は、新聞記事となって伝えられました。その記事によると、日本は一つの国家ではなく、連邦国であると記されています。幕府一行の中の通辞が、それを伝えます。

「日本の物産は、大君グーヴェルヌマンと、薩摩太守グーヴェルヌマンが出品している」

 グーヴェルヌマンの意味を、篤太夫に杉浦愛藏(志尊淳)が説明します。それは「政府」と訳されるのでした。通辞が続けます。

「つまり将軍とは、日本の中の有力な一大名に過ぎず、薩摩太守や他の大名と同じように、一つの領主である」

 外国奉行の向山一覆は怒ります。

「将軍と大名が同格とは、どういうことだ」

 杉浦が新聞を訳します。

「日本は連邦国。将軍の政府は、その中でもやや広く、やや力があるに過ぎないことが分かった」

 田辺は叫びます。

「公儀をおとしめる、薩摩とモンブランの策略だ」

 その頃、シーボルトは密かに手紙を書いていました。

「イギリス外務省、外務次官殿。幕府一行には、怪しまれることなく動いていますのでご安心下さい。すでに薩摩はモンブランを雇い、幕府にダメージを与えています」

 シーボルトは新聞を手に取り、つぶやくのでした。

「面白いことになりそうだ」

 大君は日本の皇帝ではない、のフランス新聞の見出しを篤太夫は噛みしめます。

 こうした中、昭武は、チュルリー宮殿にて、ナボレンオ三世との謁見の儀式に臨みました。これは徳川将軍の権威を世界に示すまたとない機会でした。まだ幼さの残る昭武は、ナポレオン三世の前で威厳を持って慶喜の親書を読みあげ、将軍の名代としての任務を立派に果たすのでした。

 日本では、慶喜がフランス公使のロッシュと会っていました。ロッシュは話します。

「もし日本の生糸をフランスに最優先で売るとお約束いただければ、わがフランスはお望みのものは何でもご用立ていたします」ロッシュは慶喜を持ち上げます。「大君、あなたは輝ける特別なお方だ。イギリスなど恐れることはない。ナポレオン三世のようにおやりなさい」

 慶喜は各国公使と接見します。兵庫の開港と、大阪に市場を開くことを宣言するのでした。この席でイギリスのパークスはアーネスト・サトウと密かに話します。

「パリのシーボルトはどうしている」

「万事うまくいっていると連絡がありました」

 パークスはいいます。

「しかし慶喜は今までの徳川とは違う」

 サトウも応じます。

「もしかすると徳川は持ち直すかもしれません」

 ロッシュの助言を得て、次々に改革を進める慶喜に対し、薩摩の島津久光はかつての参与会議のメンバーを集め、政治の主導権を奪おうとします。慶喜は久光たちを写真に撮ってやり、集まりをうやむやにしてしまいます。久光の企ては慶喜の前に崩れ、以降薩摩は倒幕へと急速に舵を切るのでした。

 パリでは、使節団の滞在費用がかさみはじめ、経費節約の必要に迫られていました。篤太夫は杉浦たちと暮らすためにアパルトマンを見つけます。昭武のための住居も見つけますが、通辞の山内文治郎は、値切ることに拒否反応を見せるのです。篤太夫は杉浦たちにこぼします。

「侍ってのは金に頓着がなさ過ぎる。倹約など考えもせず、フランス人にいわれればいわれるだけの金をホイホイと出し、むしろそれを美徳と思っている所すらある」

 篤太夫は、家賃を値下げしてもらうことに成功し、昭武たちが引っ越す手はずを整えました。しかし昭武に付いている水戸藩士たちが怒り出すのです。民部公子様をこんなしみったれたところにお住みさせるのか、と。

「待て」と昭武が声を出します。「兄上がお住まいになるところよりずっと立派ではないか。私にはもったいないくらいだ。ここで良い」昭武は篤太夫を振り返ります。「渋沢、ご苦労であった」

 篤太夫たちは、忙しい公務の合間を縫って、パリの街を見物に出かけました。篤太夫と医師の凌雲が心を引かれたのは「廃兵院」でした。カション神父が説明します。

「戦争で傷を負い、動けなくなった兵士たちの治療のために暮らすところ」

「しかし暮らしや治療のお金は」

 と、篤太夫が質問します。

「金は国が出します。国のための戦いで怪我をした兵士の面倒を見るのですから、当たり前のことだ」

 国の金で治療とは、と篤太夫は衝撃を受けます。凌雲も感銘を受けた様子でした。

 舞踏会の席で、上杉は、江戸から金が届かないことを篤太夫に打ち明けます。持っている費用は尽きようとしています。

 薩摩の地で、五代才助が話しています。

「パリ、モンブランの働きで、フランス政府と、幕府の結びつきは切れもした。こいで、大阪の商人を使っての幕府のカンパニーのはかりごとも潰れもんそ」

 大久保一蔵がいいます。

「じゃっどん、慶喜は、おいの思うちょった以上に頭が切る。そんまつりごとがあたかも東照大権現様の再生のようじゃと」

「頭はあっても、金がなければまつりごとは動きもはん」

 江戸城では栗本鋤雲(池内満作)が小栗忠順(上野介)(武田真治)に語っています。

「上様は一大名に過ぎぬという風聞が巻き起こり、このままでは借款はおりぬと、ロッシュ殿があせっておる」

「まさか、薩摩がそこまでするとは」

「急ぎ手を打たねば、公儀はもちろん、パリの民部公子のお立場が危うい」

 篤太夫はそろばんをはじいていました。そこに杉浦が「大変だ」とやってくるのです。

「フランスから、わが国への六百万ドルの借款は、消滅した」