大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第28回 篤太夫と八百万(やおよろず)の神
明治二年(1869)の夏。全国の藩が、領地と領民とを天皇に返還する「版籍奉還」が行われ、篤太夫(吉沢亮)のいる駿府藩は、静岡藩となりました。慶喜(草彅剛)は謹慎(きんしん)を解かれ、一年半ぶりに自由を得ることになりました。
篤太夫は東京に呼び出しを受けます。静岡藩家臣の平岡準がいいます。
「おぬしに新政府への出仕を求めているらしい」
「出仕」篤太夫は鼻を鳴らします。「冗談ではありません。それがしは、先様(慶喜)のおられるこの静岡に、骨をうずめる覚悟。それをなぜ、憎き新政府とやらに出仕せねばならんのか、どうか、藩から、ご免を願っていただきたい」
篤太夫の部屋に、仲のいい者たちが集まっています。新政府の懐を整える大蔵省は、佐賀の大隈重信、長州の伊藤博文が切り盛りしているとの情報が明かされます。篤太夫はいいます。
「よし、一度、東京に出向き、その、佐賀の大隈殿とやらに、お受けできぬと、直(じか)に返答して参ります。藩から断れば藩に迷惑がかかるが、直にいって、きちんと道理を通せば、断れぬことはあるまい」
こうして篤太夫は、新政府に乗り込むため、東京へと向かいました。
かつて徳川幕府の象徴だった江戸城は、皇城と名を改め、新政府の拠点として使われていました。伊藤博文(山崎育三郎)が篤太夫を案内します。
「おぬしは大隈さんとわしのもとで働くことになる。わしもエゲレスで学んだが、おぬしはパリと聞いたぞ。その西洋の知識をこの新政府で生かす時……」
「否」篤太夫は伊藤をさえぎります。「それがしは御一新があり、多く学べぬまま帰国しました。また、洋行前は、異人商館の焼き討ちを企(くわだ)てていた身。そんな己(おのれ)が、新政府様などで働くとは恐れ多いこと……」
「おい、どこをやった」今度は伊藤が篤太夫をさえぎります。「焼き討ちじゃ。そうか、君もやったんか。すっとしたじゃろ。どこをやった」
「どこ」篤太夫は面食らいます。「まあ、横浜を、焼き討ちにしてやろうと……」
「そりゃ剛毅なもんじゃ。わしは品川じゃ。御殿山のエゲレス公使館に、焼玉をぶちこんじゃった」
二人は意気投合しそうになります。
「いや、違う」篤太夫は厳しい表情に戻ります。「大隈様は、いずこに」
篤太夫は築地の大隈邸にやって来ます。実は大隈(大倉孝二)の方も、篤太夫をのぞき見て、斬られるかもしれない、と恐れていたのです。緊張感のある自己紹介が終わると篤太夫がいいます。先程、太政官にて、大蔵省の職を仰せつけられたが、さっそく辞任いたしたく、こちらに参りました。と、篤太夫は辞令書を大隈の前に置くのでした。自分には静岡での勤めがある。また、大蔵省とやらに、一人の知人もおらず、仕事のしかたも少しも知らない。この任はお門違いだ。大隈が何かいおうとするところに篤太夫は大声を出します。
「また本音を申せば、先の上様から卑怯にも政(まつりごと)を奪った薩長の新政府に、どうしてもと幕臣のそれがしが勤めることができましょうか」
大隈が口を開きます。
「渋沢君。君は、それがしは少しも知らぬというとうばってん。ふと、おいがなんでん知っとうと思うとるのであるか。それこそお門違いばい。おいもなんも知らん」
困惑する篤太夫にかまわず、大隈は続けます。それはそうだろう。徳川が二百六十年続く間に、世界はあまりにも変わり、ヨーロッパやアメリカばかり栄え、唐土(もろこし)もあのありさまだ。そんな中、全く新しい世を始めようとするのに、そのやり方を知るものなど自分も含めて一人もいない。知らないから辞めろというなら、皆が辞めなければならない。皆が辞めてしまったらこの国はどうなる。誰かがやらなければならない。新政府においては、すべてが新規に、種のまき直しなのだ。
「なんと、そんなありさまで御一新をしたとは」
と、篤太夫は正論で責め立てます。まくしたてる篤太夫をさえぎって大隈は机をたたきます。
「さもありなん。だがしかし、それについてはおいの預かり知る所ではないのである」
自分は長崎にいた。何か奉行所が騒がしいと思ったら、京で幕府と薩長がいくさをしたということだったので、自分も異人たちもびっくりした。
「何という責任逃れ」
という篤太夫にもひるまず、大隈は続けます。あれは長州と薩摩が勝手に始め、勝手に慶喜公が逃げたのだ。いくさは自分の領分ではない。とにかくいろいろあって、今、王政は復古した。それはめでたい。佐賀で自分は、とにかく今の世を壊さねばならないと思っていた。それが本当に壊れてしまった。しかし壊しただけでは駄目だ。さらに先に進み、真(しん)に新しい国家をつくらねばならない。大隈は篤太夫の方に身を乗り出します。
「君は、新しか世ば、つくりたいと思うたことは、なかか」
今、国は荒れ、各地で百姓の一揆が起き、各国大使も「これが新しい日本か。全く信用できん」といっている。君のいうとおり、岩倉さんや大久保さんがいくら張り切ろうとその実、新政府はまことに名ばかり、恥ずかしい限りだ。御一新は終わりではない。国を一つにまとめるのはこれからだ。法律、軍事、教育。我ら大蔵省においては、貨幣の制度、税の取り立て、通信、度量の単位の制定や制度もまだだ。全て古い因習を打破し、知識を海外に求め、西洋にも負けない新しい制度をつくらなければならない。そのためには、外国の事情に通じた優秀な者を、一刻も早く政府に集め、それぞれ非常な努力をして、協力、同心するほかはない。すなわち、日本中から、八百万(やおよろず)の神々を集めるのと同じ。
「八百万の神」
と、思わず篤太夫は口に出します。
「さよう、君も神。おいも神ばい」
日本を思う神々が寄り集まり、これからどうするかと、新しい国をつくるために思案する。君もその一人だ。
「八百万の神の、ひと柱ばい」
大隈はさらに言葉を重ねます。皆で骨を折り、新しい国をつくろうではないか。
「ひと柱として、日本をつくる場に、立って欲しいのであーる」
篤太夫は圧倒されます。胸を押さえ、口を開くことすらてきませんでした。
篤太夫は静岡に帰ってきます。妻の千代にいいます。
「完全にいい負けた」
「お前様より口の立つ方がおられるとは」
「すぐに荷物をまとめて、一家で東京に来いといわれた」
篤太夫は畳に倒れ込みます。
「喜作(高良健吾)も生きていた」
篤太夫は座り直して千代にいいます。投獄され、このまま打ち首の可能性もある。自分もあの時、日本にいれば同じ目に遭っていてもおかしくない。喜作はもう一人の自分だ。
「八百万の神とは恐れ多いことを」
と、慶喜はつぶやくようにいいます。
「新しき政府は、思い描いていた以上に混乱の極み。むちゃくちゃなありさまでございました。それがしは、新政府はそう遠くない未来、必ず崩れると考えております。第一に、人財がおりません。薩長の政権下と思えば、島津や毛利の殿様に力がなく、世間知らずの公家や田舎侍、草莽の成り上がりなんかが威張るばかり。大隈という方もおっしゃっていたが、新政府とは名ばかり。御一新は始まってもおりませぬ」篤太夫は背筋を伸ばします。「この上は、この静岡で力を蓄え、新政府が転覆したその時こそ、我らで、新しい日本を守るべきだと存じます」
「そなたもとやかくいわず、東京に行ったらどうだ」慶喜は篤太夫を振り向きます。「まだ日本は、危急存亡の時だ。こうなってつくづく思う。東照神君は偉大であった。二百六十年だ。あのような国づくりのできるお方は、千年に一人もおらぬであろう。東照神君なくして国をつくるなら、八百万とはいわずとも、多くが力を合わせるしかない」
「承服できませぬ」と、篤太夫はいいます。「それがしには、上様が何をお考えなのか分かりません。人ごとのよういわれては困る。上様ならできた。上様は消えるべきではなかった。あなたこそが、朝廷や、大名たちをまとめ、新しい日本をつくるべきだった……」
「行きたいと思っておるのであろう。日本のため、その腕を振るいたいと。ならば私のことは忘れよ」沈黙の後、慶喜はいいます。「これが最後の命だ。渋沢。この先は日本のために尽くせ」
篤太夫はゆっくりと頭を下げます。
「では、士分となった際に、平岡様からいただいた、篤太夫の名をお返しし、もとの名に戻したいと存じます」
「もとの名とは何だ」
「渋沢栄一と申します」
慶喜の心に、栄一と初めて出会ったときのことが思い出されます。
「そんな名であったかな」
「今までありがとうございました」
「渋沢栄一。大儀であった。息災を祈る」
栄一は深く頭を下げ、慶喜のもとから辞すのでした。
栄一は商法会所の皆に、別れのあいさつをします。
「後ろ髪を引かれますが、この先は皆さんにお願いするよりほかはありません」
平岡準が慌ててその場に飛び込んできます。
「聞いたぞ渋沢。渋沢がおらねば困る」
「何を困っておられる」と、川村恵十郎(波岡一喜)が立ち上がります。「もうここは、静岡藩の手を離れた、立派なコンパニーだ」
「さよう」商人の萩原四郎兵衛もいいます。「これからも我々が、静岡を盛り上げていかないや」
その言葉に皆がうなずくのでした。
慶喜は妻の美賀君(川栄李奈)と再会していました。美賀君は、あまりにも久しぶりに会うので、このようなお顔だったかと、といって慶喜に近づきます。美賀君は慶喜の頬をさわり、涙を流します。
「よく、生きていてくださりました」
慶喜の部屋にした後、美賀君は猪狩勝三郎(遠山俊也)らに話します。
「わらわはどうしても、御前の子が欲しい。天璋院様や、静寛院宮は、何度もわらわに、慶喜に腹を切るようすすめろ、とおっしゃった。それでも御前は今、こうして生きおおせたのじゃ。わらわは何としてでも、御前の御子を残してみせる。そして、立派に育ててみせる」
大久保利通や岩倉具視など、新政府の要人が話し合っているところに、栄一が乗り込んできます。
「本日より出仕し、江戸城、いや、皇城をぐるりと回り、政(まつりごと)をつぶさに観察しておりましたが、これは駄目でございます。あまりに何もできていない。むちゃくちゃだ。城にいる者は確かに皆、励んではいます。しかし目の前のことをこなすのに精一杯で、東照大権現様のように、この先五年、十年、百年先の日本がどうなるかを考えて励んでいる者が一人もいない。このままでは、新政府はあっと今に破綻します」
栄一は大蔵省と間違えて、政府の中枢にて、大演説をぶったのでした。