日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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『映画に溺れて』第140回 バタフライエフェクト

第140回 バタフライエフェクト

平成十七年九月(2005)
飯田橋 ギンレイホール

 

 時間SFにもいろいろあるが、子供の頃の日記を見つめ、あの時こうすればよかったと強く願うことで、過去が変わり、その後の人生も変化して別の現在になっているというユニークな設定が『バタフライエフェクト』だ。
 主人公は二十歳の心理学を学ぶ学生。少年時代から記憶障害があり、極端に忌まわしい出来事に直面すると記憶がとぎれてしまう。精神科医に日記を書くことをすすめられ、七歳からそれが続いている。
 たまたまある記憶が甦り、それを確認するために故郷の町へ戻ると、そこでウェイトレスをしている幼なじみに出会い、思い出したくない過去を思い出させたため、その夜、彼女は自殺してしまう。
 彼女の死を知らされ、彼は後悔する。古い日記を見つめながら、子供のとき、あんな忌まわしいことがなければよかったのに。そう思った瞬間、彼は幼い頃の過去に戻って、その出来事を未然に阻止する。
 ふと気がつくと、現在。彼女は故郷のウェイトレスではなく、彼と同じ町で過ごす女子学生。過去が変わったために、彼と彼女は今、幸福な恋人同士となっている。
 だが、今度は彼女の兄が犯罪者となり不幸な人生を送っている。刑務所から出てきた彼女の兄と口論になり、彼ははずみで殺してしまう。そこで古い日記を再び開き、彼女の兄が不幸になった原因の事件を取り除く。
 現在に戻ると、さらに最悪の事態に。何が狂ったのか。また日記を取り出し、過去へ。何度めかの現在。彼は少年時代の事故のせいでずっと精神病院にいる。彼が医者に話す過去への旅はすべて異常者の妄想だったのか。そもそも日記など存在しないと医者は言うのだが。
 時間SFの世界、様々なアイディアがあって、ほんとに奥が深い。

 

バタフライエフェクト/The Butterfly Effect
2003 アメリカ/2005
監督エリック・ブレス、J・マッキー・グラバー
出演アシュトン・カッチャーエイミー・スマート、エリック・ストルツ

 

『映画に溺れて』第139回 オーロラの彼方へ

第139回 オーロラの彼方へ

平成十二年十一月(2000)
銀座 ガスホール

 

 タイムマシンで過去や未来へ行く話。タイムマシンを使わなくても、魔法や念力や異次元の扉や、その他の方法で別の時間へタイムスリップする話は多い。が、タイムスリップすることなく、過去を変えてしまうのが『オーロラの彼方へ』である。
 主人公は一九九九年のニューヨークの刑事、オーロラが上空に立ち込めたある日、彼は三十年前に父が使っていたアマチュア無線の装置を物置で見つけ、スイッチを入れる。すると、応答する無線マニアの声。なんとそれは死んだはずの父。
 一方、一九六九年のニューヨーク。夜空をオーロラが覆った日、ひとりの消防士が趣味のアマチュア無線機から不思議な声が届いたのに驚く。声の主は三十年後の息子と名乗る。つまり、オーロラの夜、その無線機は三十年の時を隔てて、父と息子を交信させたのだ。
 三十年前のその日、消防士の父は火事の現場で殉職した。息子は父に忠告する。危険を避けるようにと。その交信によって、過去が変わり、現代に影響を与える。
 息子の忠告のおかげで父は殉職せず、のちに肺癌で死亡。すると、本来現代まで生きているはずの母が、どういうわけか三十年前の殺人事件に巻き込まれて犠牲になっていた。
 彼はまた過去の父と交信し、煙草を止めるように忠告。そして母がいつ被害にあったかを調べ、父に母を守るように指示する。と、また現代が変化していて・・・・・・。
 空中を飛び交う電波。不思議なオーロラによって、時空が歪み、電波が時間の壁を越えてしまうというアイディア。
 ふたつの時代を交互に見せて、なかなか凝った展開である。

 

オーロラの彼方へ/Frequency
2000 アメリカ/公開2000
監督:グレゴリー・ホブリット
出演:デニス・クエイド、ジム・ガヴィーゼル、ショーン・ドイル、エリザベス・ミッチェルアンドレ・ブラウアー、ノア・エメリッヒ

『映画に溺れて』第138回 ある日どこかで

第138回 ある日どこかで

昭和六十年九月(1985)
大井 大井ロマン

 

 タイムマシンも使わず、魔法使いの手も借りず、タイムスリップする映画も実はけっこうあるのだ。私が大好きな一本がリチャード・マシスンの小説の映画化、ロマンチックなファンタジーある日どこかで』である。
 封切りで全然話題にならず、あっという間に終わってしまい、だから、私も知らなかった。ところが、公開終了後、一部のファンの間で徐々に評判が高まるというカルト映画で、私が観たのは三年後、大井にある小さな名画座だった。
 そして、観終わった後、しばらくぼんやりするくらい、酔いしれた。
 若い劇作家が、ぶらりと旅に出て、学生時代に暮らした町を訪れる。そこの古い大きなホテルに泊まり、何気なく展示されている記念品を見ていて、一枚の写真が目にとまる。なんて美しい人だろう。写真だけで一目惚れしてしまうのだが、その写真、何十年も昔、二十世紀初頭に活躍した舞台女優のものだった。
 彼女のことを調べると、すでに故人。でも、なんとしても彼女に会いたい。ならどうするか。
 彼女が活躍した過去へ戻るしかない。二十世紀初頭に。
 過去へ戻る方法は、ひたすら念じること。昔の洋服を手に入れて着替え、あの時代、彼女がそこに滞在していた日に戻りたい、戻りたい、戻りたいと。
 すると、ある朝、彼は二十世紀初頭の同じそのホテルにいる。
 そして、女優もまた滞在している。彼はなんとかして彼女に近づき、自分の思いを伝えるのだ。
 主演はかつて『スーパーマン』で一世を風靡したクリストファー・リーヴ。女優役がジェイン・シーモアラフマニノフパガニーニの主題によるラプソディ』が効果的に使われていて、私はサントラのCDを購入した。この曲はその後『恋はデジャ・ブ』など、他の映画でもときどき流れている。

 

ある日どこかで/Somewhere in Time
1980 アメリカ/公開1981
監督:ヤノット・シュワルツ
出演:クリストファー・リーヴ、ジェイン・シーモアクリストファー・プラマー

 

『映画に溺れて』第137回 おかしなおかしな訪問者

第137回 おかしなおかしな訪問者

平成六年三月(1994)
池袋 文芸坐

 

 タイムスリップものにもいろいろあるが、フランスコメディ『おかしなおかしな訪問者』ではタイムマシンではなく魔法で時を超える。
 場面は中世ヨーロッパ。豪傑伯と異名をとる勇猛果敢な騎士ゴッドフロワは悪い魔女の奸計で許嫁の父である公爵を誤って殺してしまう。許嫁は父の仇とは結婚できないと修道院に入り、ゴッドフロワは公爵を生き返らせるために森に住む魔法使いに依頼する。魔法使いの調合した薬で時の回廊を遡り、公爵殺害を阻止しようというのだが、手違いで従僕ジャックイユともども間違った時代へと飛んでしまう。
 意識を取り戻し、森を抜け出た騎士と従僕は黒人の運転する黄色い郵便自動車に出会い、戦いを挑む。頭上には飛行機が飛んでいる。彼らは二十世紀末へとやってきたのだった。
 城は今では、ホテル業者の手に渡っており、エリート歯科医の妻となっている子孫に出会う。彼女はゴッドフロワを行方不明の従兄弟だと思い、世話をする。
 従僕ジャックイユは主人にこきつかわれる中世よりも、自由な現代が気に入って、過去には帰りたがらない。横柄で気取り屋のホテルオーナーのジャッカールが従僕ジャックイユと瓜二つ、どうやら従僕の子孫らしい。
 徹底したドタバタコメディではあるが、変な部分でリアルなのもうれしい。騎士も従者も自動車に乗ると乗り物酔いで吐いてしまう。入浴の習慣がないから、現代人からみるとホームレスのごとく臭かったりする。由緒ある伯爵家の末裔が歯を治す平民の職人と結婚しているので騎士が憤慨したり。
 続編『ビジター』では、また中世から現代へやって来るし、ハリウッドではリメイクの『マイ・ラブリー・フィアンセ』が作られ、ジャン・レノとクリスチャン・クラヴィエが同じ役を英語で演じている。

 

おかしなおかしな訪問者/Les Visiteurs
1992 フランス/公開1993
監督:ジャン=マリー・ポワレ
出演:ジャン・レノ、クリスチャン・クラヴィエ、ヴァレリー・ルメルシェ

 

大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第31回 トップ・オブ・ザ・ワールド

 ロサンゼルス・オリンピックも中盤。女子二百メートル平泳ぎ決勝が行われることになります。女子のオリンピックプール控え室では、前畑秀子上白石萌歌)恐慌に陥っていました。
「勝てへん。勝てるわけない」
 といいながら控え室の中を歩き回ります。チームメイトの小島一枝(佐々木ありさ)が落ち着かせようとします。
「勝たんでええんや、秀ちゃん」
 同じくチームメイトの松澤初穂(木竜麻生)も言います。
「そうや、決勝残ったんやもん。それで十分。落ち着いて」
 選手たちが入場します。前畑もスタート地点に立ちます。ピストルが鳴り、各自一斉にプールに飛び込みます。前畑は少し遅れます。三位につけ、そのまま進みます。ついに先頭の三人が一列に並びます。前畑はトップ選手を捕えます。頭を水につけたままの連続ストローク。一着、二着はほぼ同時にゴールします。順位が発表されます。前畑は二着でした。十分の一秒差で前畑は敗れたのです。前畑はインダビューで語ります。
「私は夢遊病者のように、何が何だかわからんかった。今、思い出しても、私の力で泳いだとは思えない。きっと神様が助けてくださったのです」
 男子百メートル背泳ぎ決勝が行われます。危ないと言われていた日本勢でしたが、なんと一着、二着、三着と、メダルを独占するのです。
 オリンピックの理事たちは、日本チームの強さに驚いていました。なぜ日本の水泳は急に強くなったのかと嘉納治五郎役所広司)に聞きます。嘉納は答えます。
「急にではない。我が国はクロールよりはるかに古い、四百年前から続く、伝統的な泳法があるのです。人と競争するのではなく、自己の泳ぎの技を追求し、水と一体となる」
 ぜひ見たいものだ、とIOC代表のラトゥール氏は言います。お安い御用です、と嘉納は請け負います。こうして閉会セレモニーであるエキジビションに、日本泳法を披露することになったのです。
 日本泳法を披露することになって、選手たちは張りきります。しかし水泳総監督の田畑政治阿部サダヲ)は躊躇します。泳ぐことは医者に禁じられている、と、皆に言います。まさか泳げないのでは、と、疑いの目を向けられるのです。
 男子水泳チームの快進撃はまだまだ続きます。千五百メートルは金と銀。残るは、二百メートル平泳ぎです。
 最終種目、男子二百メートル決勝の日がやってきます。十六歳の小池礼三(前田旺志郎)と、前回のオリンピックで金をとった、ベテランの鶴田義行大東駿介)が出場します。スタートの合図が撃ち鳴らされます。プールに飛び込む選手たち。予選では小池が鶴田に勝っています。五十メートルの折り返しでは、鶴田が先行しています。いつもここから小池が抜いていくのです。百メートルになっても小池はまだスパートしません。最後のターン。小池が出てきます。必死に水をかく鶴田。残り五十メートル。小池が迫り、鶴田が逃げる展開。鶴田は意地を見せます。鶴田が一着、小池が二着でゴールします。鶴田は二大会連続の金メダルです。鶴田はインタビューで言います。
「小池君を助けて、一等にすっとが私の役目でしたが、実を言うと、一日一本だけ彼に勝つ気で本気で泳ぎました。だけど一度も勝てんかった。今日は小池君が年寄りに気を遣ってくれたんでしょう」
 と、冗談で鶴田はインタビューを締めます。
 これですべての水泳競技は終了し、日本はすべての競技でメダルを獲得しました。大横田の四百メートルの銅をのぞけば、他は金メダルです。
 そして閉会セレモニーであるエキジビションが始まります。田畑を先頭に、水泳チームがふんどし姿で会場に入ります。まずは手足を縛った形での泳法が披露されます。そして次々に繰り出される技に、会場は大盛り上がりです。田畑も眼鏡をかけたまま張りきって泳ぎます。最後に「水書」が行われます。書道を水中で行う技です。皆が一字ずつ書いていきます。「O」「L」「Y」など。一人ずつ観客に見せていきます。「第十回オリンピック競技大会」の文字が完成するのです。興奮のあまり、他国の選手たちや関係者が服を着たままプール飛び込みます。観客も大盛り上がりです。アメリカの水泳監督が田畑に言います。ベルリンで会いましょう、と。田畑は笑い声を上げて叫びます。
「オリンピック最高」
 花火が打ち上げられ、ロサンゼルス・オリンピックは閉幕するのです。
 選手村から選手たちが出ていきます。最後に残った田畑は、一人言います。
「帰りたくねえなあ」
 その田畑に、黒人の守衛のデイブが声をかけてきます。世話になった礼を言う田畑。デイブは忘れ物があると言います。それは田畑の張り出した紙でした。
「一種目も失うな」
 と、書かれていました。何と書いてあるのかとデイブに聞かれます。
「意味などない」
 と、田畑は答えます。所詮たわごとさ、と田畑はつぶやきます。紙が剥がされた看板には、近代オリンピックの父である、クーベルタン男爵の言葉が印刷されていました。
「オリンピックにおいて大切なことは、勝つことではなく参加することである。人生において大切なのは、勝つことではなく努力すること。征服することではなく、よく戦うことだ」
 選手たちはバスに乗り、思い出の地、ロサンゼルスを後にします。そのバスの前に立ちふさがる老人がいたのです。どうしたことかとバスを降りる田畑。どうしてもお礼が言いたいと、田畑を抱きしめるのです。老人は言います。
「私は今日、白人から話しかけられました。なんて言われたと思います。日本の水泳選手は素晴らしい。おめでとう、と」
 田畑は困惑します。老人は続けます。自分はアメリカに来て二七年になるが、こんなことは初めてだ。こんなに嬉しいことはない。日本レストランの給仕をしていた女性も言います。「私、あなたに謝らなくてはならない。日本人、白人に勝てない。勝てるわけがない。大人たちからそう言い聞かされた。日本を祖国に持ったこと、私たち恨んだ」
 老人が田畑に言います。どんなに迫害を受けたことか。日本人だと言うだけで。どんなに肩身の狭い思いをしたことか。それを君たちは、勝った。給仕の女性も言います。
「日本人、白人に決して負けない。そのことを教えてくれた。私、祖国見直しました。ありがとうございます」
 と、深く頭を下げるのです。そして泣きながら前畑に抱きつきます。老人は言います。初めて大道の真ん中で、自分は日本人だと言うことが出来ます。そして実際に老人はオープンカーに乗り込み、叫ぶのです。
「俺は、日本人だ」
 日系人たちも次々に叫びます。
「アイ・アム・ジャパニーズ・アメリカン」
 見ていた人々も大興奮です。黒人やメキシコ人たちも、自分たちを誇る言葉を叫びます。
 そして日本選手団を乗せた船が、サンフランシスコから出航するのです。
 東京駅には、日本選手団を歓迎するたくさんの人が集まりました。
 田畑は朝日新聞社に戻ってきます。社には、酒井菊江(麻生久美子)だけが来ていました。田畑は号外の記事を眺めて感慨にふけります。そして大横田の記事を見て、大声で謝るのです。大横田が負けたのは、自分が牛鍋を食わせたせいだ。いつも通り泳げば、大横田は間違いなく金だった。そんな田畑に菊江は声をかけます。全部とらなくてよかった、と。
「全部とるなんて面白くないし、次の目標がなくなりますから。一個残してきたのは、田畑さんの、なんというか、品格、そう、品格だと思います、私は」
「ありがとう」
 田畑は菊江に礼を言うのです。

『映画に溺れて』 第136回 リバース

第136回 リバース

平成十一年一月(1999)
新橋 新橋文化

 

 時間逆行SF。低予算ながらアイデアが面白く、よく出来ている。
 テキサスの砂漠にある閉鎖寸前の高速化研究所。そこで最後の実験が行われ、ついに成功する。
 一方、砂漠を行く女刑事が事故で路上の看板に衝突。通り掛かった夫婦に乗せてもらう。これががさつなテキサス男。途中立ち寄ったスタンドで、妻の浮気を知り、車を走らせながら、突然怒り狂い、銃を取り出し妻を射殺してしまう。
 びっくりした女刑事は研究所へ逃げ込み、誤って逆行装置が働き、二十分間過去へ遡る。これが二十分だけというのがうまい。
 気がつくと、またテキサス男の車の中、これから何が起こるかわかるので、テキサス男の妻殺しを阻止しようと努める。ところが、今度はスピード違反を咎めた保安官が殺され、やはり妻も殺され、トラックの運転手も殺され、スタンドでの銃撃戦となって、命からがら研究所へ逃げ込み、今度は研究員と二人で過去へ逆行する。
 また、同じテキサス男の車の中、さらにもっとひどい状況になって、前回では通りすがりだった親子や、保安官、トラック運転手など次々と巻き込んで、逆行を繰り返す度に状況がどんどん悪くなる。このエスカレートぶりが楽しめるのだ。
 とうとうテキサス男までが研究所に乗り込み、時間逆行の秘密を知って。
 過去を修正しようとして、遡るたびに悲惨さがエスカレートしてしまうのが面白い。こんな佳作がなかなか人に知られずに、消えていくのはもったいない。
 ジョン・ベルーシの弟のジェームズ、なかなかの怪演であった。

 

リバース/Retroactive
1997 アメリカ/公開1998
監督:ルイス・モーノウ
出演:ジェームズ・ベルーシ、カイリー・トラヴィス、シャノン・ウィリー

『映画に溺れて』第135回 グランドツアー

第135回 グランドツアー

平成四年六月(1992)
新宿歌舞伎町 新宿シネパトス

 

 ジェフ・ダニエルズ主演の『グランドツアー』は心に残る時間SFの佳作である。
 なんの変哲もないアメリカの田舎町。町はずれで小さなホテルの開業準備している主人公、妻は何年か前に事故死して、今は幼い娘とふたり暮らし。
 そこへいきなり金持ちの団体客がやってきて準備前にもかかわらず、ホテルに泊まる。見物するものなどたいしてない田舎町に何しにやって来たのか。
 やがて客たちがそわそわし始めると、いきなり巨大隕石が町の方角に落下し、大災害となる。ホテルの窓から、嬉々としてそれを見物する客たち。彼らは大災害を見るためにやって来たようだ。が、なにゆえに災害が予測できたのか。
 客のひとりが事故に遭い、そのパスポートを拾ったホテルの主人は驚く。そこにはあらゆる年代のスタンプ。彼らはすでに起こった歴史上の大災害を見物するため、未来からやって来た観光客だった。
 ここで使われるタイムマシンは大きな乗り物ではなく、実はパスポートそのものが時間移動の働きをする。
 私たちはTVで災害のニュースなど興味をもって見たりするが、考えてみれば、『グランドツアー』の未来人同様、とんでもない野次馬根性かもしれない。
 この映画を観た歌舞伎町の新宿シネパトスは、その後、ジョイシネマ5と名を変え、ジョイシネマ3となり、やがて閉館した。歌舞伎町にはミラノ座、シネマスクエア東急、新宿プラザ、コマ東宝、オデオン、トーア、もっといっぱいあったが、みんななくなり、やがてシネコンのTOHOシネマズが出現する。

 

グランドツアー/The Grand Tour
1991 アメリカ/公開1992
監督:デビッド・トゥーイ
出演:ジェフ・ダニエルズ、アリアナ・リチャーズ、エミリア・クロウ、マリリン・ライトストーン、ジョージ・マードック

『映画に溺れて』第134回 タイムコップ

第134回 タイムコップ

平成七年一月(1995)
池袋 文芸坐

 

 はるか未来にはタイムマシンが実用化されていて、これを悪用した歴史の改変が行われる。その時間犯罪を阻止するため、各時代に時間監視員が設置されているというのが私の愛読するポール・アンダーソンの『タイムパトロール』である。
『タイムパトロール』ほど壮大ではないが、SFアクションの『タイムコップ』はなかなか面白く作られている。
 最初の場面で南北戦争の兵士たちが荷車を運んでおり、その前に立ちはだかるガンマン。兵士たちに積荷の金を寄越せと言う。兵士たちは笑う。ひとりで無謀な男だと。するとガンマンは高性能の機関銃であっというまに相手を皆殺しにしてしまう。これが時間犯罪なのだ。
 ひとりの警官に新しい指令が発せられる。新設の時間警察のメンバーに推薦されたのだ。が、その夜、何者かに自宅を襲われ、妻を殺され、家を焼かれるが、本人は重症を負いながらも命は助かる。
 十年後、彼は時間警察官として活躍している。大統領補佐官が別にタイムマシンを所有していて、それで過去の金を横領し、大統領になるつもりらしい。タイムコップ内部にも手下が潜入しており、補佐官は自分の悪事に気づいた時間警察官を抹殺しようと、十年前に戻ったのだ。
 衣裳やセットに金のかかる歴史時代を出さずに、はらはらさせるアクションが中心になっている。なにしろ主演がジャン=クロード・ヴァンダムだから。
 悪徳政治家がもっと賢ければ、こそこそ過去の金など集めずとも、歴史そのものを自分に都合よく改変し、まんまと大統領になる道を作ってしまっただろうに。
 とはいえ、こういうB級アクション映画、私はけっこう好きなのだ。

 

タイムコップ/Timecop
1994 アメリカ/公開1994
監督:ピーター・ハイアムズ
出演:ジェンクロード・ヴァンダム、ミア・サーラ、ロン・シルバー

 

『映画に溺れて』第133回 タイム・アフター・タイム

第133回 タイム・アフター・タイム

昭和五十六年九月(1981)
新宿 新宿ビレッジ2

 

 H・G・ウェルズといえば、十九世紀末に『宇宙戦争』『透明人間』『モロー博士の島』など、様々なSF小説を書いたイギリスの作家であるが、その代表作のひとつが『タイムマシン』である。そして、ウェルズが本当にタイムマシンを発明していたというのが、この映画『タイム・アフター・タイム』なのだ。
 一八八〇年代のある日、ウェルズは友人たちを招いて時間を移動する装置、タイムマシンを披露する。そこへ警官が現れ、切り裂きジャックが近くに逃亡したと告げる。警官が室内に入ると、ウェルズの友人のひとりである医師が、タイムマシンとともに消えている。その医者こそ、連続猟奇殺人魔であった。
 自動操縦で戻ったタイムマシンの記録では、切り裂きジャックは一九九七年に移動したと思われる。自分の落ち度で殺人鬼を平和な未来へ送ってしまったことを悔い、ウェルズは自分の手で切り裂きジャックの犯行を阻止するべく未来へと旅立つ。
 ところが、着いた場所はイギリスではなく、アメリカなのだ。そこは想像した平和な未来とはまるで違う暴力や殺人の絶えない世界だった。
 ウェルズは出会った銀行員の女性と仲良くなり、彼女の助けを借りて殺人鬼を追うのだが、切り裂きジャックは犯罪が蔓延する世界を楽しんでいた。
 イギリスのタイムマシンがなにゆえ未来のアメリカに行ってしまうのか、博物館で展示されているタイムマシンの中からウェルズが出て来たり、簡単に自動車が運転できたり、いろいろと雑な場面も多いが、ウェルズ本人が過去から現代に来るというアイディアはなかなか面白い。
 監督は小説『シャーロック・ホームズ氏の素敵な昌険』で売り出したニコラス・メイヤーH・G・ウェルズはホームズの同時代人なので、あの小説の副産物として、こんなアイディアが浮かんだのかもしれない。メイヤーの小説はハーバート・ロス監督で『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』として映画化されている。

 

タイム・アフター・タイム/Time After Time
1979 アメリカ/公開1981
監督:ニコラス・メイヤー
出演:マルコム・マクダウェル、デビッド・ワーナー、メアリー・スティーンバーゲン

『映画に溺れて』第132回 バック・トゥ・ザ・フューチャー

第132回 バック・トゥ・ザ・フューチャー

昭和六十年十二月(1985)
大阪 梅田 三番街シネマ3

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー』は私のベスト映画の中の一本で、公開当時、大阪に帰省中の大晦日に観て、あまりの面白さに、新年に東京に戻ってニュー東宝シネマ1でまた観た。その後、二番館でも何度か観て、TVで放映されたときは、家で幼い子供らといっしょに観ている。
 一九八五年、高校生のマーティは音楽好きで、ガールフレンドがいて、ちょっと冴えない中年の両親がいる。そして親友は年の離れた老発明家のブラウン博士。
 ブラウン博士はタイムマシンの実験を町の広場で行うが、燃料のプルトニウムの代金を払わなかったためテロリストに射殺されてしまう。デロリアン型タイムマシンに飛び乗って逃げるマーティ、時間移動装置が作動してあっという間に三十年前の過去に。一九五五年の町。若き日のブラウン博士を捜し当てたマーティは、あなたのタイムマシンで未来から来ました、助けてくださいと告げる。
 マーティが偶然、若い頃の両親と出逢ってしまったために、両親が結ばれるきっかけがなくなる。両親が結婚しなければ、マーティは生まれない。そこで、マーティはふたりをなんとか結ばせようと努力するが、内気な父は気が乗らず、母は未来の息子にぞっこんとなる。ブラウン博士の助けで、マーティは無事に未来に戻れるのか。
 これだけのストーリーを様々なギャグで盛り上げ、伏線が張り巡らされ、三十年前と現在とのギャップや歴史的な事実が笑いを生む。
 そしてやっぱりアメリカ映画がすごいと思えるのが、一九五〇年代の完璧な再現。町並はもとより、そこに歩いている人々の服装や髪型、走る自動車、様々な風俗、これらがきちんと絵になっていないと、映画はウソになる。どこかの国の映画やTVドラマには、五〇年代なのに長髪の若い男がぞろぞろで、ああ、見ちゃいられない。
バック・トゥ・ザ・フューチャー2』では、マーティはさらに三十年後の未来へ飛ぶのだが、その二〇一五年はもう過ぎてしまった。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー/Back to the Future
1985 アメリカ/公開1985
監督:ロバート・ゼメキス
出演:マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイドリー・トンプソン、クリスピン・グローバー、トーマス・F・ウィルソン、クローディア・ウェルズ