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大河ドラマウォッチ「いだてん 東京オリムピック噺」 第2回 坊っちゃん

 今週も軽くツッコんでいこうと思います。
 1960年(昭和35年)浅草。寄席にて古今亭志ん生ビートたけし)が語ります。
「もうすぐ明治が終わるってえ頃に、羽田の競技場で開催された国内初のオリンピック予選会。当時の世界記録を27分も縮め、見事優勝を果たし、彗星のごとく現れた、日本初のオリンピック選手、いよいよ韋駄天、金(かな)栗(くり)四三(しそう)のお話の始まりであります」
 時代は1877年(明治10年)にさかのぼります。熊本の山深い集落の春冨村に、代々酒造業を営んできた金栗家。そこに男の子が生まれます。父の金栗信彦田口トモロヲ)は体が弱く、六代続いた酒蔵をつぶしてしまいました。しかし子宝には恵まれ、四男三女をもうけました。その下から二番目の子が四三でした。父が43歳の時の子どもだったため、そう名付けられたのでした。
 赤ん坊の頃の四三は体が弱く、夜泣きは満二歳まで続きました。
 若き日の嘉納治五郎は熊本に来ていました。柔道のことを、外国人などに紹介していました。四三は5歳になっていました。祖母のスマがいいます。「嘉納先生にだっこしてもろうたら、丈夫な子に育つばい」。それを聞いて父の信彦が起きてきます。四三を連れて、嘉納の元に向かおうというのです。
 嘉納のいる熊本市までは10里(40キロ)。その距離を父と四三は行きます。とうとう父と四三は嘉納のいる学校にやってきます。ところが人が多く、嘉納が柔道をしている様子を見ることができません。父と四三は諦めて帰ります。しかし家に帰り着くと父は、四三が嘉納に抱っこしてもらった、と家族に嘘を言うのです。
 四三は尋常小学校に入学しました。体が小さく、学校までの道を兄たちについて行くことができません。仕方なく家に戻ってみると、厳しい長兄の実次(中村獅童)に叱られます。実次は「学校部屋」と呼ばれる二畳ほどの空間に四三を閉じ込めようとします。勉強するか、走るか、と実次は問います。四三は泣きながら学校までの道を行くのでした。
 実次の妻がお産をする様子に聞き入った四三は、その特殊な呼吸法に気がつきます。それをヒントにして試行錯誤をしているうちに、二回吸って二回吐くことが、走るのにもっとも苦しくないやり方だと発見します。
 10歳になった四三は高等小学校へ進学。往復三里(12キロ)を走る「韋駄天通学」を実行していました。ほかの子どもたちは、とても四三の走りについていけません。
「四三は、とつけむにゃあ、男ばい」
 と、子どものひとりがいいます。
 四三の父は息を引き取ります。「四三は嘉納治五郎先生にだっこばしてもろうたけん」と言い残して。
 1905年(明治38年)。四三は中学に進みました。中学からは寄宿舎生活でした。週に一度、5里(20キロ)の道のりを走って実家に帰ります。四三はその道中、日本の海軍とロシアのバルチック艦隊が撃ち合う様を目撃するのでした。そして帰り着いた四三は長兄の実次に、海軍兵学校を受験しようと思っていることを告げるのです。兄たちを始め家族はこれに大賛成でした。
 中学で四三は風邪の予防法として冷水浴を教えられます。四三はいうとおりに、毎朝頭から水をかぶり、風邪をひきます。
 ここで「とつけむにゃあ」の意味が明かされます。とつけむにゅあ、とは、とんでもないの意味でした。
 四三は海軍兵学校の試験を受けます。
 四三は実家の近くの橋の上で物思いに沈んでいました。そこへ自転車で娘が通りかかります。父を診てくれていた医者の娘、春野スヤでした。話しかけてくるスヤに四三は、海軍兵学校の試験に落ちたことを打ち明けます。目の検査で不合格となったのです。しかしスヤは、将来四三の奥さんになる人は喜ぶのではないかといいます。軍人は戦争になったら、お国のために戦わなくてはならない。でも戦争にならなかったら手柄を立てられず、出世は難しい。どちらにしても奥さんは報われない。四三は思います。なぜこの人は時々、将来の嫁の気持ちを代弁するのだろう。
 って、美人でお嬢様のスヤ(綾瀬はるか)のどこに四三に惚れる要素があるんだ。そこんとこどうなんだよ、クドカン
 その頃の吉原。若き日の古今亭志ん生美濃部孝蔵は勘定を払うよう、追いかけられていました。逃げ込んだ先は寄席でした。そこで孝蔵は橘家円喬の落語を聞くのです。この人の弟子にならなってもいい、と孝蔵は思うのでした。
 場面は熊本に戻ります。四三は友人が東京師範学校を受けることを聞かされます。その入学手引き書に、四三は嘉納治五郎の文字を見つけるのでした。