書評『酔象の流儀 朝倉盛衰記』
書評『酔象の流儀 朝倉盛衰記』
越前(福井県)に覇をとなえた戦国大名朝倉義景に仕えた山崎吉家を主人公に、信長の上洛から朝倉氏の滅亡に至るまでの史実を滅びゆく敗者の視点で切り取り、鮮やかに描いた歴史小説である。
序章は、既に寝返った前波吉継を証人として信長が山崎吉家の首を検(あらた)める朝倉氏滅亡のシーンからはじまる。
山崎吉家は知られざる武将であろう。本書では、滅亡という運命に殉じた吉家を平時においては散った仲間をともらうべく寡黙に石仏を彫る心優しい性格の持ち主と造形している。
朝倉宗家を支えた名将宗滴に師事した吉家は、宗滴なき後の朝倉家を守ることを託されるが、肝心の当主義景は滅亡に至るまでの戦いの駆け引きで拙劣さを露呈する、凡庸な男であった。
3年半に及ぶ織田軍との壮絶な戦い。義景に失望して同族、重臣の寝返りが続く中、越前軍の中心には常に「最善の策を運命に奪われても、常に次善の策を用意して前進」すべく指揮を執る吉家がいた。吉家は武将たちから「酔象殿」と慕われている。「王将」が詰まされても「酔象」が詰まされない限り負けはない。朝倉将棋に見立てて人間関係や戦闘模様を描写する手法は秀抜である。
吉家の苦渋は謀反の嫌疑のない盟友を主命により討たねばならないことからはじまるが、運命の残酷な変転を冷徹に描写した本書をひもといた読者は、愚かな人間たちが犯したさまざまな歴史上の過ちに思いをはせないわけにはいかない。
赤神諒の歴史小説はわずか1年前のデビュー作の『大友二階崩れ』以来、すべて熱く胸に迫るものがある。それは人間心理や歴史に対する深い洞察力もさることながら、ひたむきに生きた武将にこころ動かされ、その武将が生まれ育ち、そして戦った土地で武将の声を聴こうとする姿勢が、赤神のいちばん奥深いところにあるからであろう。
端倪(たんげい)すべからざる本格派の歴史小説作家の誕生に心からの祝福と敬意を表したい。
(雨宮 由希夫)