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大河ドラマウォッチ「麒麟がくる」 第十八回 越前へ

 弘治二年(1556年)。斎藤道三(本木雅弘)とその嫡男である斎藤高政(伊藤英明)によるいくさが行われました。明智光秀十兵衛(長谷川博己)は叔父の明智光安(西村まさ彦)と共に、道三方についていました。
 いくさは道三の敗北に終わります。明智の城に戻ってきた光安は、光秀に明智のあるじの座を譲るといいます。光安の命令は、光秀が落ちのびることでした。
明智家のあるじとして、再び城を持つ身になってもらいたい」
 光秀は尾張を目指そうとします。そこに尾張から旅をしてきた駒(門脇麦)と菊丸(岡村隆史)がたどり着くのです。高政が尾張に続く道に関を作り、行くのは難しいと知らせます。
「手薄なのは北です」
 と、告げる菊丸。
「わかった」
 と、光秀は答えます。光秀は母や妻を従えます。一行の中には、光安の息子、明智左馬之助(間宮祥太郎)もいました。光安に光秀とともに落ち延びるよう命じられたのです。燃える明智の城を見つめながら光秀はいいます。
「行きましょう」
 そして城に向かって頭を下げるのです。
 一行は山道を行きます。そこで僧兵を従えた女性に出会います。伊呂波太夫(尾野真千子)でした。尾張帰蝶に光秀を助けるように頼まれて来たのでした。
「もはや逃げ道は一つしかありません。越前に参りましょう」
 と、太夫はいいます。
 伊呂波太夫の案内で、一行は空き家で夜を過ごすことにします。
 ここで菊丸は一行と別れることになります。菊丸は光秀に、駒に対する伝言を託します。
「わしはどこまでもついていきたかったと」
 光秀の妻、熙子(木村文乃)は駒に、なぜ自分たちを助けてくれるのかとたずねます。駒は答えます。以前、美濃にいるとき、明智の人々に良くしてもらった。それにある人のことも気にかかっている。その人は自分の命の恩人だ。三歳の時、いくさで焼けた家の中から自分を救い出してくれた。
「その方は、私に麒麟のことを話してくれました」駒は熙子にを説明します。「麒麟というのは、いくさのない、穏やかに国にやってくる不思議な生き物だそうです。そういって、いくさが怖いと泣く私を慰めてくれたのです。いくさは必ず終わる。麒麟を連れてくる人が、必ず現れるといって」
 話を聞いていた光秀の母の牧(石川さゆり)は、駒の腕に、やけどの傷があるかどうか聞きます。確かに傷はあったのです。牧は駒の腕つかんでうなずきます。
「亡き夫、光綱様が話してくださいました。土岐様のおそばについて、京にのぼる折、火事に遭うたと。燃え盛る家の中、小さな女の子を救い出し、旅の一座の者たちに預けたと」
 駒は涙を流します。
「光綱様が亡くなられた」
 お会いしたかった、と駒は瞼(まぶた)を閉じます。涙を流す駒を牧は抱きしめるのでした。
 光秀の一行は、北の越前へと落ち延びました。朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)の治める越前は、畿内を中心とする勢力争いをよそに、確かな繁栄を築いていました。
 伊呂波太夫の手引きにより、朝倉館にて、光秀は朝倉義景と対面します。朝倉義景と伊呂波大夫には、何か因縁がありそうなのです。近衛の姫君の名が出ます。近衛家は摂政、関白に任ぜられる名門の公家です。太夫はいいます。
「この芸人風情が、近衛家育ったなどと、ゆめゆめ申すでない、と、私に申されたお方様でござりましょうか」
 近衛の姫のものまね物まねがうまいと、義景は笑い出します。太夫は義景に子ができぬといい出します。近衛家から探りを入れるようにいわれて来たのか、と義景は大夫にたずねます。
「まさか。この家出娘に探らせるほど、近衛家も落ちぶれてはおられますまい」
 ここでやっと義景は光秀を認識します。太夫がいいます。
明智様を、この越前におかくまいいただきたいのです」
 義景は気の進まない様子。余計な争いに巻き込まれたくはないといいます。しかしこのまま美濃に帰すわけにもいかない。義景は光秀の滞在を許可します。義景は光秀に金(かね)をくれるといいます。今日の米代にも困っているはずだ、と。しかし光秀はいうのです。
「いただけません」光秀はさらにいいます。「いただく理由がございません」
 露骨に不興げな表情を義景は見せます。
 ここなら空いていると光秀が皆を連れてきたのは、長く人が住んでいなかったようなあばら家でした。天井に大きな穴すら開いています。掃除をする箒も、煮焚きするため薪もありません。駒が質屋に行くといい出します。質草として、光秀は駒に数珠を渡すのです。
「それは父上の大切な」
 と、牧がいい出します。
「持って行ってくれ」
 と、光秀は数珠を駒に押しつけるのです。熙子は駒に同行を申し出ます。
 質屋にて、熙子は自分の帯と引き換えに金を得ました。光秀の数珠は渡さなかったのです。
 妻の熙子と駒が質屋に行っているころ、光秀は母の牧と話していました。
「私はいくさが好きではありません。勝っても負けても、いくさはいくさでしかない。いくさにおもむくことは、武士の定めと思うておりました。田もおこさず、畑も耕さない、武士の生き方なのだと思うて。されど、負けてすべてを失うてみると、己の無力さだけが残るのです」
 牧はいいます。
「十兵衛。そなたの父上は、わたくしにおおせになったことがあります。人には浮き沈みがある。武士には勝ち負けがある。沈んだ時にどう生きるか、負けた時にどう耐えるか。その時、その者の値打ちが決まる、と」
 光秀は幼いころ、父に馬に乗せてもらって聞いた話を思い出します。
「十兵衛。馬は誇り高き生き物ぞ。勝っても負けても、己の力の限り、走る。遠くへ。それが己れの役目と知っておるのじゃ。われらもそうでありたい。誇り高く」
 駒は伊呂波大夫と共に帰ることになります。
 斎藤道三の死は、尾張の情勢にも大きな変化をもたらしました。かねてより信長(染谷将太)に不満を抱く者たちがうごめき始めたのでした。信長の弟、信勝(木村了)に謀反の兆しがあると、信勝の家臣である柴田勝家(この時は権六)(安藤政信)が知らせに来たのです。
 帰蝶(川口春奈)は信長に、信勝に会えといいます。顔を見て、どうすれば良いか決めればよい。
 数日後、信長が病気と聞いた信勝がやってきます。信勝は土産を持ってきました。霊験あらたかな湧き水だと述べます。万病を鎮めるというので、兄上にどうかと思い、譲り受けてきたのだといいます。
「病というのは偽りじゃ」
 と、信長は綿入れを脱ぎます。驚く信勝。
「そなたを呼び寄せ、討ち果たすために偽りを申した」信長は平然といいます。「しかしそなたの顔を見て、その気は失せた。そなたを殺せば、母上がお嘆きになる。母上の悲しむ顔を見とうはないのじゃ」
 信長は母にかわいがられてきた信勝に嫉妬していたことを述べます。しかし信勝もいいます。自分も信長に嫉妬していた。いつも信長は、自分より先を走っていた。いくさに勝ち、国を治め、自分がしたいと思うことをすべて成し遂げてきた。
「それゆえ、高政と手を結んだか」
 信長のその言葉に、信勝は答えられません。信長は平然としゃべりながらも、涙を流しています。
「信勝、そなた、これを飲め」
 信長は信勝の持ってきた土産の水のことをいいます。信勝は信長に許しを請うのです。しかし信長は許しません。家臣たちに戸口を閉めさせ、信勝に飲むことを強要します。
 夕暮れになります。信長の前で、信勝は倒れていました。信長はいいます。
「信勝、愚か者」