日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「青天を衝け」 第5回 栄一、揺れる。

「承服できん」

 と、つぶやきながら渋沢栄一(吉沢亮)は農道を歩いていました。代官に銭を届けに行った帰りです。その理不尽さに、栄一は怒っていたのでした。

「どうした栄一」

 と、声を掛けてきたのは栄一のいとこの尾高惇忠(田辺誠一)でした。

「話を聞こうか」

 と、惇忠は栄一にいってくれます。栄一はいきさつを話します。

「胸ん中がむべむべして、それが腹にくだって」栄一駆け出します。「どうにも情けなくておさまんねえ。俺はいまちっとのとこで、あのお代官を殴りつけてやるとこだった」

 栄一の怒りはおさまりません。

「そうか、お前もまさに悲憤慷慨(ひふんこうがい)だな」惇忠はいいます。「慷慨とは、正義の気持ちを持ち、世の不正に憤(いきどお)り、嘆くことをいうんだ。今この世には、お前のように悲憤慷慨する者が多く生まれている。俺もそうだ」

「兄ぃは何に憤って嘆いておられるんだ」

 と、問う栄一。惇忠は答えます。

「この世だ」惇忠はあたり光景を見回します。「この世の中そのものだ」惇忠は栄一に本を差し出します。「お前も一度、これを読んでみるといい。このままではわが日の本も、この清国のように、夷狄(いてき)に踏みにじられる」

 その本にはイギリス人に襲われる清国人の絵が印刷されていました。

 その夜、栄一の父の渋沢市郎右衛門(小林薫)は、心配して妻のゑい(和久井映見)にたずねます。

「栄一はどうしている」

「変わりねえですよ。陣屋から戻ってきたら繭(まゆ)を出すのを手伝ってくれて、今はまた、尾高から借りた本を夢中になって読んでいます」

「そうか」

「でもやっぱり、あの強情っぱりは困りもんだいね。お上(かみ)に歯向かうなんて。あたしが甘やかしたんかいね」

「いや、あいつの理屈にはもっともなとこもある。だけんど、どんなに理屈が通っても、治める者と治められる者の塩梅(あんばい)が崩れれば、どんな目にあうか分からねえ。それに、他の者へ迷惑がかかる。理屈だけじゃいかねえんだ」

 栄一は剣道場に来ていました。いとこの渋沢喜作(高良健吾)に話します。

「まっことにたまげた。この本には、俺が生まれた頃の清国とエゲレスのいくさのことが書いてある」

「あの、なっからでけえはずの清国がどうしてエゲレスに破れちまったんだい」

「それがな」栄一は本のページをめくります。「まあいろいろあるが、まずは交易だ。エゲレスはまず、アヘンという人から精気を奪うおっかねえ毒を、清国にいっぺえ持ち込んで、清国人の魂を奪ったんだ」

「なんと」

「魂が奪われんのか」

 道場の他の者たちも寄ってきます。

「そうよ」栄一は答えます。「そしてふぬけになったところを軍艦で襲い、無理矢理に国を開かせたんだ」

「この日の本も危ないぞ」といったのは惇忠の弟の長七郎(真島真之介)でした。「メリケンはもう、日の本に足を踏み入れている」

メリケン人はもう入って来てんのか」

 と、栄一。嘆くように喜作がいいます。

「はあ、なんてこった。それじゃあいつ、メリケンの連中が俺たちの魂を奪おうとするか、わかんねえに」

 皆が喜作の言葉に同意の声をあげます。長七郎は木刀を構えます。

「おれはとうとう、生きる道を見つけた。なぜ俺たちが剣を学ぶか。それは」長七郎は兜をかぶせた案山子(かかし)に打ち掛かります。「敵を斬るためだ」

 栄一が家に戻ってみると、伯父の宗助(平泉成)とその妻のまさ(朝霞真由美)が市郎右衛門夫婦と話をしていました。姉のなか(村川絵梨)の縁談のことです。まさが断るようにいっています。栄一がたずねてみると、縁談の相手の家が、憑()きもの筋だと宗助がいうのです。

「そんなのただの言い伝えじゃないか」

 と、市郎右衛門は相手にしません。しかし宗助はいうのです。憑きもの筋の家と結ばれると、憑きものに縁のない家まで狐が憑いてくる。栄一もそれを笑い飛ばします。しかし宗助夫婦はあくまでも反対するというのです。

 そして栄一の姉のなかの様子が、明らかにおかしいのです。奇妙な行動が目撃されます。まさがいいます。

「もうこれは、狐のたたりをお祓(はら)いする、拝み屋を呼んだ方がいい」

 馬鹿な、と市郎右衛門はいいます。その一同の前を、なかが不自然な様子で歩いて行くのです。市郎右衛門は栄一に、なかのあとをついていくように命じます。栄一は渋々ながら従います。なかに話しかけますが、返事は帰って来ません。なかは川までやって来て滝を見つめます。栄一の見ている前でなかは川に入ろうとします。

「ねえさま、危ねえって」

 栄一が止めようとします。振り向いたなかは、思い詰めたような顔をしていました。

 その後、なかの縁談は破談となりました。

 その頃、江戸では、黒船の来航と時を同じくして、多くの疫病が流行していました。様々な迷信が信じられるようになります。

 江戸の水戸藩邸では、徳川斉昭(竹中直人)がこの現状を嘆いていました。流言飛語の類(たぐ)いが、人心を惑わしている。アメリカ船が下田へ、イギリス船が長崎に来たため、夷狄の毒が深くなってきている。

 斉昭は老中の阿部正弘(大谷亮平)を叱りつけます。

「何と無様(ぶざま)な。メリケンの次は、エゲレスと和親を結び、今度はヲロシアもと申すか。この事態、天子様はご存じなのか」斉昭は避けようとする阿部を追います。「今は、天子様を、我が国の要(かなめ)と為しまつり、この日の本の精神を、統一ならしめることこそ肝要。その前に、安易に国を開けば、たちまち清国のような、隷属(れいぞく)国となるぞ」

 阿部は立ち止まって斉昭にいいます。万が一今、異国より戦端を切られたとして、このままの防備で日の本が無事で済むと本気でお思いか。その場を斉昭の側近である藤田東湖(渡辺いっけい)が取りなします。

「伊勢守(いせのかみ)(阿部)のご苦労は、ご老公も承知のこと、ただ、伊勢守様のために何か出来ぬかと思い、励んでおるのでございます」

 そこへ知らせが入ります。下田に大地震が発生したというのです。その後、大津波が湾を襲い、和親の交渉中のロシア船が転覆したとのことでした。斉昭は喜びの声をあげます。

「下田に神風が吹いたのだ。五百人のヲロシア人どもを、ひと思いに皆殺しにせよ」

 阿部がいいます。

「天災に遭う者を不意打ちとは、人の道を外れたこと。これを機に殺戮を行えば、我が国に悪しき評判が立ち、ヲロシアはもちろん、異国が皆、絶好の口実を得て攻め寄せることでしょう」

 水戸の藩邸に帰って来た斉昭に、藤田東湖がいいます。

「異国人とて、国には親や友がありましょう。ましてや、かのヲロシア人どもは、敵ながら、国の使命を果たすため、何ヶ月も船に揺られやって来た、いわば忠臣。どうかお気をお鎮(しず)め下さい」

 

「夷狄の親や友の事など、知るか」

「しかし誰しも、かけがえのなき者を天災で失うは耐えがたきこと。また、今となっては夷狄を打ち払うよりも、いかにして日の本の誇りを守るかが肝要でございます。三千万の精神を凝結一致(ぎょうけついっち)ならしめれば、必ずや富国強兵につながり、さすれば国を開いたとしても必ずや我が国は異国に敬(うやま)われることとなるでしょう」

 そんなことは分かっておる、と斉昭は立ち去ります。

 下田ではロシア人たちの救出作業が行われていました。指揮をとるのは川路聖謨(平田満)です。炊き出しをしたり、遺体を収容したりします。このように時に、と抗議する家臣に川路はいいきります。

「このような時に異国も何もあるか」

 血洗村では、栄一が姉のなかのあとをついて回っていました。川でなかを見張る栄一のところへ、千代(橋本愛)がやって来ます。栄一は話します。

「俺は狐が憑いたなんて思っちゃいねえ。とっさまもだ。お祓いなんてするも気もねえ。でもなあ、どうやったらねえさまの気が晴れんのかわかんねえんだ」

「縁談のお相手を、好いておられたのでしょうか」千代がいいます。「縁談が決まられてから、おなかさんはどんどん美しくなられて。嫁入りとは、それほど心華(はな)やぐことかと、うらやましく思っておりましたゆえ」

「そうか。もしそうなら、ねえさまみてえな気の強えおなごまでこんなことになっちまうとは、恋心とはおっかねえもんだな」

 千代は複雑な表情を浮かべます。

「そうですか」姉を追って立ち去ろうとする栄一に千代はいいます。「強く見える者ほど、弱き者です。弱き者とて、強いところもある。人は一面ではございません」

 家に帰っても、なかは心ここにあらずの状態です。そのなかを、市郎右衛門は、一緒に出かけようと誘うのです。

 翌日、市郎右衛門は、藍玉の集金回りになかを連れて行きました。その留守の間に、栄一の伯母のまさが、修験者(修験者)たちを連れてくるのです。修験者たちは家に上がりこみます。村人たちも見物に集まってきました。修験者たちの中にいた女性が、神の声を伝えます。この家に無縁仏がいて、祟(たた)っているというのです。まさには心当たりがありました。昔、お伊勢参りに出かけ、帰ってこなかった者がいたのです。

「一つおうかがいしたい」栄一が声をあげます。「先ほど、無縁仏と申されたが、その無縁仏が出たのはおよそ何年前のことでございましょうか」

 六十年ほど前だと女性はいいます。その頃の年号は、と栄一は問います。天保三年との答え。

天保三年は二十三年前だで。えれえ神様が無縁仏のありなしは知ってて、年号を知らねえなんてことあるはずねえ。だってそうだに。人にまつられるはずの神様がこんなこともお分かりにならねえとは」栄一は結界にまたぎ入ります。「しょせんたいした神様じゃねえだんべ」

 村人たちが、栄一のいうことももっともだ、と言い始めます。修験者は怒っていいます。

「神をも恐れぬ不届き者め。お前にはいずれ、偉大なる神の、大きな罰がくだるであろう」

 栄一はひるみません。

「俺は人の弱みにつけこむ神様なんてこれっぽっちも怖かねえ。うちのねえさまだって、そんなに弱かねえぞ。こんな得体の知れねえもんで一家をまどわすのは金輪際(こんりんざい)御免こうむる。とっとと帰(けえ)れ」

 修験者たちは逃げるように立ち去るのでした。それを市郎右衛門となかが見ていました。市郎右衛門は笑って言います。

「栄一のおしゃべりもたまには役に立つ」

 なかもかすかな笑みを浮かべるのでした。

 朝、畑に水をやる栄一になかが呼びかけます。すっかり元気な様子です。

「とっさまと山ん中、歩いてるうちに気分も晴れたわ」

 栄一がからかい、二人はじゃれ合うのでした。

「栄一、ありがとね」

 と、なかはいうのでした。

 その年の秋、安政江戸地震が起ります。水戸藩邸の被害は大きく、藤田東湖が亡くなりました。斉昭は

「わしはかけがえのなき友をなくしてしまった」

 と、嘆くのでした。