篤太夫(吉沢亮)は一橋家の懐を豊かにするために動き始めました。良質の米を高く売り、火薬の製造を始めます。
そして幕府にも、懐を豊かにしようとする男がいました。小栗忠順(上野介)(武田真治)です。
「フランスから軍艦を買うか。さすれば長州など一気に潰せる。時宜(じぎ)に応じて、薩摩も討ってしまえば、公儀に歯向かう大名はもうおるまい。日の本は、上様を王とする、一つの国となる」
小栗の言葉に、トレビアン(すばらしい)と答える男がいます。目付の栗本鋤雲(池内満作)でした。
「今の上様はまさに王と呼ばれるにふさわしいお方。して、このフランスの誘い、どうなさる」
栗本は小栗にフランス語で書かれた書類を差し出します。
「二年後のパリの博覧会か。むろん参加だ。今、公儀の懐は火の車。貿易によって利を得るため、世界に我が国の優れた産物を見せつけねばならぬ」
「されば、兵庫の港も急ぎ開きたいものですな」
「そのためにもコンパニーじゃ。横浜の港の失敗でようくわかった。交易で異国にいいようにされぬためには、公儀もコンパニーを持つのが肝要」
ベルギーの地に薩摩藩士の五代才助(ディーンフジオカ)はいました。ベルギー国と、カンパニーの約定を結んだと上役に語ります。
「こいで薩摩の富国強兵はうまくいきもんそ。次は国父様に願い出て、再来年のパリん万国博覧会に、薩摩ん良か品をたくさん出そうちょ思っておりもす」五代はワインを口にします。「ほして、薩摩が幕府の先んゆくとじゃ」
三者がそれぞれの政府を富まそうと懸命に励んでいくのでした。
篤太夫は木綿の売買に苦戦していました。播磨の農村を訪ね、男たちに説明します。姫路の木綿は倍の値段で売られている。なぜなら姫路では領地でできた木綿を、一度城下に集め、そこでまとめて晒(さらし)にしたものを「姫路の木綿」として特産として売っているからだ。
「そこでだ」篤太夫は皆に呼びかけます。「俺は、一橋家で皆の木綿をまとめて買い入れようと思っておる」
そして一橋家の木綿として、大仕掛けで売り出す。
「俺らが儲かるってことか」
男の一人が聞きます。
「そうだ」
と返答する篤太夫。男たちは大喜びです。
「一橋家が、今よりずっと高い値で買い付ける」
と、篤太夫は声を張り上げます。ところが年かさの農夫が、皆の前に立ちふさがるのです。
「こないな口車に乗ったらあかん。お役人が、わしら百姓を儲けさせようなんて、思うはずあるかいな。そやろ」農夫は篤太夫に向き直ります。「どうせ百姓から絞れるだけ絞って、お家だけ儲けさせようとしてんのや」
場は騒然とし、「信じてくれ」という篤太夫の言葉も通りません。
その頃、海の上のイギリス船では、イギリス公使のパークスが、修好通商条約の実がないことにいらだっていました。
「日本との貿易で利益を出さねばならぬ。イギリス帝国の名にかけて」パークスはアーネスト・サトウらに命じます。「七日以内に帝(みかど)に条約を認めさせろ」
「パークスは勅許(ちょっきょ)が取れねば公儀を無視して、じかに朝廷と話をすると申しております」
「しかし」家茂は苦しげにいいます。「天子様が今さら勅許などなさるはずがない」
「フランスはかばってくれんのか」
と聞く者がいます。それに対して栗本鋤雲が答えます。
「申しはしましたが、エゲレスの新しい公使、パークスがまことに強硬なため、これ以上は守れぬと」栗本はここで声を張ります。「しかし僭越(せんえつ)ながら、まことに勅許など、入り用でしょうか。日の本を東照大権現様の御代(みよ)より長らく守ってきたのは公儀でございます。国の差配は公儀がするもの」
「たわけたことを申されるな」
と、いって入ってきたのは、一橋家の慶喜(草彅剛)でした。慶喜は松前と阿倍の前に立って語ります。
「このように大きな事柄は、朝廷の勅許があってこそ治まる。その前提を無視されれば、国の根源が崩れますぞ」
しかし一同に納得する様子は見られませんでした。
慶喜は京の御所に来ていました。御簾(みす)の向こうの天子が慶喜に話しかけます。
「慶喜よ。公儀が、朕の許しもなしに、港を開くつもりであるというのはまことか」
慶喜は黙って頭を下げます。天子は嘆きます。
「お上を侮辱するとは許せん」というのは正親町(おおぎまち)三条実愛です。「勅許をいらぬというた老中の阿部、松前両名は、罷免させなはれ」
慶喜は抗議しようとしますが、
「なんじゃ、不服と申すか」
と三条ににらまれるのでした。
大阪城ではこのことが報告されていました。松前、阿部を罷免するように朝廷からいってきている。将軍家茂は驚きます。
「これはすべて私の責。そなたらは私を助け、まことによくやってくれた。私の力が足りず」
「否(いな)」と声をあげたのは栗本鋤雲でした。「上様ゆえに、ここまでこられたのでございます。朝廷や一橋様がこうした挙に出るならば、ご先祖様への面目もなし」栗本は立ち上がって前に出ます。「かくなる上はすみやかに、征夷大将軍の大任を辞してはいかがでしょうか」皆が騒ぎます。「もし上様がお辞めになるならば、朝廷などどうせなにもできますまい。京だけで日の本を回せると思うなら、やってみたらいいのだ」
「いや」ため息をつくように家茂はいいます。「あるいは、一橋殿ならできるのかも知れぬ」皆の間に怒声が飛び交います。「もうよい。私はこれより、将軍職を一橋慶喜殿に譲り、江戸に戻る」
このことを知った慶喜は家茂のもとに駆けつけます。深く頭を下げて慶喜はいいます。
「お待ち下され。勅許は、私が命をかけていただいて参りまする。それゆえ、どうか将軍職辞職は、思いとどまり下さい。今、旗本八万騎の臣下を動かしておられるのは、上様でございます。上様あってこそ臣下は懸命に励むのです。私が将軍になったところで、誰もついては来ぬ。国は滅びましょう」慶喜は顔を上げます。「将軍は、あなた様でなくてはならんのです」
慶喜は御所に上がり、天子に言上します。
「公儀が調印いたした、条約の勅許をお願いいたしまする。勅許をいただけねば、兵隊は天子様もはばからず、京に入ることとなりましょう」
公家の一人があきれたようにいいます。
「夷狄が御所に。そんなことがあってはならん」
三条がいいます。
「何としてもお上は勅許いたしませぬ。こうなった責任を取り、将軍は辞職しなはれ」
慶喜は三条に語りかけます。
「仕様軍を辞職されよとは、どなたのご意見か。それがしは、あなたのもとに薩摩の者どもが出入りしていることを存じておる。これほどの大事を誰かにそそのかされたとあっては」三条をにらみつけます。「そのままでは済ませぬぞ」慶喜は正面に向き直ります。「なるほど、これほど申し上げてもお許しがないのであれば、それがしは責を取り切腹いたす以外にございませぬ」慶喜は公家たちを脅します。「それがしも不肖ながら多少の兵を持っております。腹を切った後に家臣どもが、おのおの方にいかなることをしでかすかは、責めを負いかねますゆえ、ご覚悟を」
「人払いを」
と、天子が声を出します。部屋から公家たちが下がっていきます。
「朕は、決して家茂や公儀を憎んではいない」天子は慶喜に語ります。「憎きは長州じゃ。いまだ降参せぬとはなにごとぞ。外国のことは、慶喜がそこまでいうのであれば、朕は、慶喜のいうことを、信じよう」
幕府は、七年越しに修好通商条約の勅許を得ることができました。
篤太夫は、疲れのあまり寝込んでしまった慶喜の代わりに、同僚の猪狩勝三郎(遠山俊也)に物産所の構想について語ります。農民から木綿をできるだけ高く買い取り、それをできるだけ安く売る。高く買い上げれば、農民たちはもっとよいものを作ろうとする。よい品が安いとなれば、必ずよく売れる。
「いったい何がいいたいのだ」
と、猪狩は悲鳴にも似た声を出します。
「仁をもって得た利でなくては、意味をなさねえ。上に立つ者だけが儲けるなら、御用金を取り立てりゃ早い話です。しかし、それじゃあどん詰まりだ。誰かが苦しみ不平を持てば、そこで流れがよどんじまう」
寝込んでいたはずの慶喜が通りかかり、篤太夫の話を聞いていました。話の続きを聞かせろというのです。
篤太夫は、藩札の見本を慶喜に見せます。売り買いの流れをよくするために、これを作りたいのだと訴えます。
「信用」と篤太夫はいいます。「銀札をただの紙切れではなく、きちんと銭と思ってもらうのに入り用なのは信用だ。しかるに、一橋が責任を持ってこれを作り、これで木綿の売り買いをさせ、真心を持って、きちんと値うち通りの銀を支払えば、きっと商人も百姓も、これを信用し、大いに役立てるように」
篤太夫は我に返ります。慶喜が理解していない気がしたのです。その通り、慶喜半分も話を聞いていませんでした。しかし篤太夫の顔を見て、少しばかり気鬱が直ったといいます。
「仁をもって為す、か」慶喜は藩札の見本を手に取って見つめます。「おぬしがまことに信用のできる札を作り、民をも喜ばせることができるというならば、ぜひ見てみたいものだ」
「必ずや、やって見せます」
篤太夫は張り切っていうのでした。
こうして篤太夫は、半年をかけて銀札引換所を設立。以前、口車に乗ったらあかん、といっていた年かさの農夫も、交換にやってきました。
「悪かったの。ひどいこというて」
と、篤太夫に謝ります。
「これからも頼む、頼りにしてんだからな」
と、篤太夫は気さくに農夫に肩を叩きます。
「おう、任せとけ」
という農夫。
一橋家は、額面通りの銀と引き換えたことで、広く信用を得ました。そして篤太夫は一橋家の勘定組頭に抜擢されました。慶喜からも言葉を賜ります。
「またたく間に一橋の懐が安定したと、京のみならず、江戸の家中も驚き、喜んでおる」
「これからが、腕の見せ所でございます」
と、篤太夫は見得を切るのでした。
成一郎(高良健吾)は、軍制所調役組頭に昇進していました。篤太夫と成一郎は、別々の場所で暮らすことになります。
「身分が上がったとはいえ、勘定方とはな」同情するように成一郎は篤太夫に話しかけます。「断れなかったのかい。せっかく武士になったというのに勘定もあるめえ。百姓や商人相手に金のことばかりこつこつやるんでは、村にいた頃と変わらねえ」
篤太夫は笑い顔を見せます。
「まあ、俺もそうも思ったが、俺にはこっちの方が合ってるのかも知れねえ」
成一郎は篤太夫に理解を示しません。
「俺は、命をかけて殿のために戦う」
「しかし死んじまったら何にもならねえ」
二人は決裂します。成一郎が荷物を持って去ったあと、篤太夫は一人つぶやきます。
「道はたがえるが、互いに身締めて、一橋を良くすんべえ」
この頃、薩摩は、朝敵である長州と、薩長同盟を締結しました。そして幕府は、いよいよ二度目の長州征討を始めました。しかし各地で幕府軍は苦戦を強いられたのでした。薩摩と長州が裏で手を組んでいるのかも知れない。そう結論づけた将軍家茂は、衝撃のあまり家臣たちの前で倒れ伏すのでした。