日本歴史時代作家協会 公式ブログ

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大河ドラマウォッチ「鎌倉殿の13人」 第4回 矢のゆくえ

 挙兵の日は、8月17日と決まりました。その日は三島明神の祭りに当たっていました。北条宗時片岡愛之助)がいいます。

「まず、父上と私が率いる先陣が、目代(もくだい)、山木兼隆(やまきかねたか)の館を襲う。火を放ち、これをもって平家討伐、関東挙兵の狼煙(のろし)とする」

「私はどうすれば良い」

 と、頼朝(大泉洋)が宗時に聞きます。

「佐(すけ)殿は総大将でございます。ここに、でん、と構えていてください」

「よろしいですか」と、北条義時小栗旬)が発言します。「堤信遠(つつみのぶとお)も討ってしまってはいかがでしょうか」

 伊豆の実力者である堤信遠には、父の北条時政坂東彌十郎)ともども、義時は屈辱を受けていたのです。

 宗時はまとめます。

「相模に我らの根城を作り、坂東中から兵を集める」

「相模のどこだ」

 と、和田義盛横田栄司)が聞きます。宗時は宣言します。

「鎌倉」

 頼朝がいいます。

「わが父、義朝(よしとも)が、本拠としておられた場所じゃ。源氏の名の下に、坂東武者たちが集(つど)うにふさわしい」

 しかし、8月16日になっても、思うように兵が集まらないのです。義時は頼朝に18人と打ち明けます。義時は以前、300人を動員できると話していました。義時は頼朝になじられます。義時は

「申し訳ありません」

 と、頭を下げるしかありませんでした。時政がいいます。

「法王様のお墨付きだといっても、皆、信じてくれねえんですよ」

「田舎者どもめが」

 と、頼朝は吐き捨てます。

「まだ佐々木の兵も来ておりません」宗時は楽観的です。「佐(すけ)殿に縁の深い、山内首藤殿もこれからです。心配ご無用」

「それでどれぐらいだ」

「少なく見積もって、100。勝ち進めば、いずれは、相模や武蔵の豪族たちも加わります。土井はすでに話がついています。さすれば……」

 頼朝は声を張ります。

「初戦が大事だといったのは誰だ」

 義時がいいます。

「なんとかします。300は難しくとも、明日までに二百は、そろえます。必ず」

 義時は一人でも多くの兵を集めようと、周辺をまわっていました。その時、頼朝の前の妻である八重(新垣結衣)に呼び止められるのでした。

「なんだかひどく慌ただしいけど、いくさでも始まるんですか」

「私は聞いておりません」

 と、義時はとぼけます。

「佐(すけ)殿は、いずれ源氏のために立ち上がると、いつもおっしゃっていました。いよいよその時が来たのかしら」

 義時はとぼけ通します。しかし去り際に八重にいうのです。

「仮の話としてお聞き下さい」義時は立ち止まり、振り返ります。「いつでも逃げられるよう、支度をしておいたほうがよい、かも」

 義時は相模の豪族、土肥実平(どいさねひら)(阿南健治)と話していました。土肥は義時に詰め寄ります。

「土地はどうなる。平家の好きにされぬよう、きっちりと安堵(あんど)してもらえるのか。わしらが案じておるのは、そこなのだ」

「心配無用でございます。しかし、そのためにはまず、いくさに勝たねばなりませぬ。だから……」

「佐(すけ)殿を、本当に信じてもよいのか」

 そういう土肥に、義時は言葉を返すことができませんでした。

 義時は、頼朝の元に戻ってきます。

「頭を下げろというのか。」頼朝は声を大きくいいます。「嫌じゃ」

 義時は説得します。

「佐(すけ)殿がいえば、必ず納得すると思うのです」

「わしは源氏の頭領じゃ。なにゆえ坂東に田舎者にそこまでせねばならんのだ。断る。お前がやれ」

 義時は頼朝に、顔を触れんばかりに近づきます。

「そのお考え、一日も早くお捨てになられたほうがよろしいかと存じます。確かに、我らは坂東の田舎者。しかしながら今は、その坂東の田舎者の力を合わせねばならぬ時でございます。彼らあっての佐(すけ)殿。それをお忘れなきよう」

 頼朝は腹から声を出します。

「よう申した」

 頼朝は土肥を訪ねます。

「よう来てくれた」頼朝は土肥の手を取ります。「これからいうこと、誰にも洩らすな、よいか。今まで黙っておったが、わしが一番頼りにしているのは、実はお前なのだ。お前の武勇は耳に入っておる。力を貸してくれ。お前なしで、どうしてわしがいくさに勝てる。どうか一緒に戦ってくれ」

 土肥は感激します。

「どこまでも佐(すけ)殿に、お供いたします」

 と、頭を下げるのでした。

 部屋を後にした後、義時は頼朝にいいます。

「お見事でございます」

「覚えておけ。嘘も誠心誠意つけば、真(まこと)になるのだ」

 と、頼朝はうそぶきます。

 頼朝の従者、安達盛長(野添義弘)は、山内首藤経俊山口馬木也)のもとを訪ねていました。山内は相模の有力武士で、頼朝の乳母である山内尼を母に持ちます。安達は山内にいいます。

「我が殿のもとで平家を倒し、この世を正そうではありませんか」

「ふざけるな」と山内はいいます。「頼朝は流人(るにん)ではないか。本気で勝てると思うておるのか。平相国(へいしょうこく)と頼朝、トラとネズミほどの差があるわい。このたびの挙兵、まさに富士の山に、犬の糞がけんかを売っているようなもの。わしは糞にたかるハエにはならん」

 集まった面々を見て、頼朝は義時にいいます。

「これは負けるぞ」

 その頃、八重は、父の伊東祐親(いとうすけちか)(浅野和之)に、頼朝の挙兵を伝えていました。義時の態度から、八重はそれを感じ取っていたのでした。祐親は出陣の準備を家の者に命じます。八重は祐親に、頼朝の命を助け、を再び流罪にしてくれるよう頼むのでした。

 8月17日になりました。相模一の大物である大庭景親國村隼)の館に、伊東祐親やって来ていました。頼朝に挙兵の動きがあることを伝えます。その場に山内首藤恒利もやって来て、頼朝の挙兵の計画を裏付けるのでした。大庭はいいます。

「どうやら兵を集めるのに苦労しておるようだな。この分ではとうてい挙兵などできまい」

 北条宗時は、親友であり、八重の兄である伊東祐清(いとうすけきよ)(竹財輝之助)と行き交います。宗時は挙兵のことを知られてしまっていることを悟るのです。

「お前と戦うのは気が重いな」

 と、祐清はいいます。

 北条の者たちと頼朝が話し合います。標的としている、堤や山木が、祭りに出かけてしまうのではないかという話題が出ます。頼朝は義時に目配せします。おずおずと義時が話します。

「佐(すけ)殿は、仕切り直してはどうかと、お考えなのです」

「あせっても仕方がない。兵もまだそろっておらぬ事だし。ここは日を改めて……」

 そういう頼朝の言葉を宗時はさえぎります。

「なりませぬ」

 頼朝は大声を出します。

「いくさに負けて、首をさらされるのはこのわしだ」

「伊東はすでに怪しんでおります。一刻の猶予もなりませぬ。伸ばすとしても、あと一日」

「それはならん」

 一日延ばすと、18日になります。毎月18日は、頼朝が殺生を控え、観音菩薩に祈る日だったのです。頼朝は、今夜出陣できる人数を聞きます。義時が答えます。

「24人」

「取りやめだ」

 と、頼朝は叫びます。そして立ち上がると、その場を去って行きます。宗時は、とりあえず山木の居所を探らねばならないといいます。義時が進み出ます。

「私が聞き出して参ります」

 なんと義時がやって来たのは八重の所でした。

「今夜、山木が館にいるかどうか、どうしても知りたいのです」

 八重は聞きます。

「挙兵は今夜なのですね。襲うのは山木様の館」

「伊東の、じさま、に聞けば、今夜の山木の動きも分かるはず。お力をお貸しいただけませんか」

「自分のいっていることがわかっているのですか。お前は、私に父を裏切れといっているのですよ」

「八重さんは、我らの味方と思うております」

 話し合いは決裂します。義時は立ち去ろうとし、振り返ります。

「坂東は、平家にくみする奴らの思うがまま。飢饉が来れば、多くの民が死にます。だから我らは立つのです」

 義時は帰って八重の説得に失敗したことを話し、宗時に殴りつけられます。

 八重は夫である江間次郎(芹沢興人)に祭りに誘われます。八重は夫から、山木が館にいることを聞き出すのです。八重は白い布を結んだ矢を北条の館に射込みます。

 それを見つけた義時は、何かの合図ではないかと頼朝に問います。頼朝は答えます。

「八重とは人の目を盗んで会っておった。伊東の庭の梅の枝に結ばれた白い布は、今夜、会いたいということ」

「今夜、出陣せよとの合図です」義時は頼朝に近づきます。「山木は館にいます」

 頼朝はうなずくのでした。

 夜、かがり火に照らされた北条の庭に、鎧(よろい)に身を包んだ武者たちが集まっています。頼朝が姿を現し、宗時が叫びます。

「これより、伊豆目代(もくだい)、山木兼隆、並びに、後見、堤信遠を成敗する」

 武者たちは応じます。北条時政は、裏道から密かに接近することを提案します。

「それはならぬ」と、頼朝がいいます。「我らはこれより大事(だいじ)をなすのだ。堂々と大通りを行け」

「しかし、敵に悟られてしまいます」

 と、時政がいます。

「それでかまわん」頼朝の態度は、いつになく堂々としています。「一同、京におあす院の思し召し(おぼしめし)である。山木が首、見事、あげてまいれ」

 武者たちは大きく応じます。

 武者たちは、祭りで賑わう大通りを通っていきます。8月17日の深夜、北条宗時率いる頼朝の軍勢は、北条館を出発しました。夫に連れられた八重も、その光景を見ています。

 堤信遠の館にたどり着き、武装した武者たちは持ち場につきます。佐々木経高(つねたか)が一本の火矢を放ちます。この瞬間から、四年七ヶ月に及ぶ、源平合戦が始まるのです。